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不測の事態に

こんばんは、OSSです。

嫁いだ妹が甥を伴って里帰りしてきました。

それで今日はかねてからの計画通り、みんなで町内のお風呂とレストランが一緒になった施設へ行く。大きなお風呂に入り、地元食材の食事をたらふく食べ、満足しての帰路、ちょっとした事件が起こった。

母運転の車の後部座席に座っていると妙な音がする。はじめ地面が悪いのかと思ったが、どうもそうでないようだ。そこは街灯も満足にない雑木林の中の道路。二車線幅が三㎞くらい続く道。途中で止まるのは避けたかったが、ちょうど中間あたり止まらざるをえなくなってしまった。

車から降りて確認すると、案の定、左後輪がパンクしていた。あたりは完全に闇。車の出す明かりと、時折通り過ぎる車があるだけ。母は少々パニック気味だったが、こういうときこそ僕は燃える。

ちなみに僕は元スタンド店員。タイヤ交換などお手の物。請われてお店のトラックに乗ってJAF的な仕事をしたこともある。

勇んで後部トランクの下にあるスペヤタイヤと工具を出す。暗闇だが、携帯電話の明かりを頼りにタイヤ交換を試みる。しかし、なぜかジャッキが見あたらない。ダッシュボートにある説明書で確認しても間違いない。あるべきところにそれがない。

そういえば、むか~し、興味本位で取り出したことがあったな…。あの時ちゃんともとのところになおしたかなぁ…。それとも何かの修理に出したときに、取り出されたままで戻ってきたのかもしれない。とにかくジャッキがない。暗いので徹底的に探すわけにもいかない。ジャッキ無しでのタイヤ交換はできないこともないが、環境が悪すぎるのでやめておいた方が無難。しかし状況が困難になればなるほど燃える。楽しい。

冷静に考えて思いつく選択肢はいろいろある。どれにしようかと思っていると、甥が「こわい、こわい」と妹にしがみついてつぶやいている。うーむ、確かに怖いだろうな。

この場合、使えるツールは携帯電話。幸い母がJAFに加入していることから、会員証を頼りに電話し人を派遣してもらうことにした。しかし、場所が場所だけに到着まで時間かかる様子。それまで怖がる甥をそのままにしておくわけにもいかない。家にはハッピーが一匹で留守番していることから誰かに早く帰ってほしい。そこでタクシーを呼ぶことにする。タクシー会社の電話番号など登録していないが、こういう場合は104に電話すればすぐわかる。もしくは知人に電話して調べてもらうことだって可能。104に電話して近場のタクシー会社の電話番号を聞き、タクシーを呼ぶ。

5分ほど待つと、近くを走行中のタクシーがすぐに駆けつけてくれたので、それで酔って当てにできない父と妹と甥を家に送り届けてもらう。母には残ってもらわねばならない、JAF会員であるし、運転してもらわなければならない。僕が運転して帰ると飲酒運転になってしまう。とりあえず、これで甥とハッピーのことは片付いた。

母と車の中で待つことしばし、JAFが到着。目印が何もないところだったが、近くにあるいかがわしい系のホテルの名前をいえばすぐにわかってくれた模様。学生時代、この辺で新聞を毎朝配っていたことがこういうとき役に立つとは思っても見なかった。

JAFの方が機材を使ってさっさと交換してくれた。スペヤタイヤの空気圧やネジが損傷してないかもチェックするあたり、さすがプロ。そして後はつつがなく帰路についた。

自分でタイヤ交換するのが一番華麗な対処だったのだが、なんでジャッキはなかったのだろう。これからは洗車時に確認するようにしておこう。あと携帯にはタクシー会社なども登録しておくべきだな。今回の経験はよく吟味して次に活かせるようにしておこう。

不測の事態にもてる能力を駆使し、冷静に対処してこそ、いい男。目指すべきダンディーなナイスミドルである。

以上

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おやしらず

こんばんは、親を知るOSSです。

次回はちゃんと出勤しますと入っておきながら当日欠勤すること2回。二度あることは三度あるとはいうものの、3度目はいくら何でも僕の信用問題に関わる。そういうわけで、今日から補じょ校にボチボチ出勤した。

ノドは完璧ではないが、7割方よくなった感じ。しかし用心のために電車の中でもマスクをしていった(普通は絶対にしない。僕のダンディズムに反する)。

今日は補じょ校で4コマ授業の予定。午前中の2コマでノドが痛くなりかけたが、午後の2コマは受験対策のインチキ英語指導。あまりしゃべらないようにしたのでことなきを得る。

しかし、実は右あごあたりが腫れていたりする。

昨日までそんなものはなかったのに、今日の朝みたら腫れていた。最初は口を開けるのも痛かったが、気にせず食事をしたり、しゃべったりしているとあまり痛くなくなった。しかし、放っておくのもどうかと思ったので、補じょ校の帰りに耳鼻咽喉科へ行ってみた。

お医者様の見立てによると、ノドの炎症が治るのは時間の問題とのこと。また明日、妹が甥を連れて里帰りする予定だから、うつるかどうか確認すると、もともと感染力はきわめて弱い風邪で、今くらい治っていると人にうつることはほとんどないとのこと。助かった。しかし、そんな弱い感染力の風邪になぜ絶好調だった僕が引き込まねばならなかったのか納得がいかないのだが。

そして右あごあたりの腫れを聞いてみると、親不知が原因だから歯医者に行くように言われた。風邪は万病のもとと言うが、散財のもとでもある。実は長いこと寝てたから、体にズレが生じている。そのため腰の下あたりに少々違和感があり、左臀部あたりが軽く痙っている感覚がある。長引くようなら整体にも行かないといけないかもしれない。

しかし、さしあたってはあごの腫れ、しょうがないのでその足で歯医者にも行ってみた。

歯医者様の見立てによると、風邪などで抵抗力が落ちると、今回のような症状がよく起こるという。とくに僕の親不知のはえかたではこの先何度もこういうことが起こるだろうとのこと。治療法としては抜くしかないとのこと。しかし、今は風邪を引いて抵抗力が弱っているだろうから、後日にしょうということになった。とりあえず、来週の火曜日にまた行くことになった。

自分に親不知がはえていることすら知らなかったんだが、虫歯でもない歯を抜くのは気が引ける。親不知は抜いた方がよいとは聞くが、親からもらった大切な体に手を加えるのはいかがなものか…

だいたいピアスや入墨、整形手術など言語道断なんだよ!髪染めるのも白髪染め以外禁止だ!

け、けっして怖じ気づいているわけではない((((-_-))))

以上

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自営業者の病気療養

こんばんは、マスクは顔の一部のOSSです。

ついでに言うと、首に巻いてあるタオルはスカーフです。

今日、ようやく床上げしました。

風邪の症状を察知し、ひどくなる前に手を打っておこうと、家から歩いてすぐの大きな病院で診てもらったにも関わらず、次の日には寝込んでしまいました。

お医者様の見立てに少々納得いかなかったことから、次の日、仕事を休んで家から車で10分の耳鼻咽喉科で診てもらったところ、適切な処置をしてもらい、それから快方に向かった。

しかし、少々調子がよくなったのを甘く見て、仕事に出たところ、また次の日に悪化。完全に直すことを決め、仕事を休み昨日は一日布団の中で過ごし、今日は一日中部屋の中で温かくして過ごしました。

おかげでノドの痛みはなくなり、頭痛も治まりました。明日からボチボチ仕事に行きます。

時に、頼んでおいた願書が今日届いた。これを見るといよいよだという実感がわき、テンションがあがる。来週中に必要書類を集めて早々に出願する予定です。しかし、現在の経済状況を鑑み、先立つものが非常に痛い。痛すぎる。また寝込んでいる間の金銭的損失が悔やまれてならない。体と時間が資本の自営業はこういう場合がつらい。

しかしだ。本来、こういう生き方の方がまっとうだと思うんだよ。だから、司法試験を受けるのさ。

以上

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条文主義

こんばんは、OSSです。

百科事典の編纂の仕方に大項目主義と小項目主義というものがあるそうな。大きなテーマのを包括的にとらえ解説するのが前者であり、後者は用語レベルの小さいテーマを解説するスタンスをとる。当然のことながら一長一短ある。

学習に仕方にトップダウンとボトムアップというやり方があるが本質的に同じものだろう。

OSS的学習理論によれば、トップダウンとボトムアップをうまく調和させた折衷的なものがよいと思う。具体的には、まず学習対象の全体像をおおざっぱにつかみ、細部を充実させていきながら全体を何度も回す。

振り返ってみると、これまでの法律学習はトップダウン、大項目主義であった。全体の構造をつかもうとするあまり、細部がおろそかになる。法律に対するスタンスもおかしければ、方法もおかしかったのだと思う。

そういうわけで、現在、法律学習は小項目主義、条文の暗記に重点をおいている。当たり前だと思っていた条文もよく読むと、認識していない条件や効果があり、目から鱗だったりする。

法律問題の処理は杓子定規でよい。条文に書かれているかいないか。書いていない場合は判例が補完しているかいないか。これでほぼ問題は解決する。ヒューマンな疑問や感想は実務に出てからでよい。

我、未だ塾長と語り合うに値せず!

以上

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伏せっております

こんばんは、OSSです。

今年こそ風邪をひかずに冬を乗り切ってみせると宣言し、本人少なからず自信があったのですが、ひいてしまいました。土曜日からずっと伏せっています。

幸いインフルエンザではなくただの風邪。症状としてはノドが痛いだけです。熱も吐き気もありません。若干、悪寒がして節々が痛い気がしますが、日常生活を送るのに支障はありません。

ただ、ノドの痛みはなかなかのもので、つばを飲み込むだけでヒリヒリします。そして、長くはしゃべれない。しゃべるのが仕事なのにしゃべれないのでは仕事にならない。そういうわけで、今日の補じょ校はお休みした。生徒に移してもいけないし。ついでにいうと昨日の稽古もお休みした。雪が積もった上に師は用事のために遅れなければならないという道場のピンチになんたる不甲斐なさか!と一人布団の中で嗚咽を漏らしていた。

風邪の菌は口からはいるというから、この冬は寝るときにマスクをして寝るようにしていた。これまでの冬と違い、朝起きてもノドの調子がよかった。体力的にも全盛期に戻りつつあるという実感があっただけに残念でならない。

しかし、マスク理論は間違っていなかったと思う。確かにノドは痛いが、痛いのはノドの上の方(咽頭扁桃(アデノイド)あたり?)。このことから風邪の菌は鼻から入ったものと思われる。マスクして寝るなら、鼻までしっかり隠さないといけなかったと言うことか。

以上

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両足痙った

こんばんは、こむらがえるOSSです。

仕事がない日の夕方はたいてい10キロ程度のランニングをしています。テンポの速い曲を聴きながら走るのが最近のお気に入りです。今日も走りました。

走り終わった後、お利口にも家の前にある公園の掃除。自主的にゴミや糞を拾って回りました。こういうのって犬の散歩していると気になるんですよね。

家に帰るとき公園の柵を跨いだ。家の前の公園は細長い。たいした距離ではないのだが律儀に入り口から出るより、柵を跨いで出たほうが早い。しかし、その行儀の悪さが徒となった。

左足で跨いだとき、右足は爪先立ちになった。その足が急に痙ってしまった。慌てて跨いだ左足を地面に着けたところ、こちらも爪先立ちになったからか痙ってしまった。両足痙ったまま柵を跨いだ状態。

柵は股下より少し高いぐらい。爪先立たなければ跨ぐことはできないが、その体勢は両足のふくらはぎに激痛が走る。かといって柵の中途半端な高さのため、降りるに降りられない。柵を跨いだまま爪先立ちの体勢で動くに動けなくなってしまった。

薄れゆく意識の中で(いや薄れちゃいかんやろ)思ったよ。こんな拷問があったよな…、三角も…

いやはや拷問だった。なんとか公園の方に倒れこみ(反対方面は道路との段差がある土手だから危険)、公園の中でいっとき悶えていた。その時思ったよ。お正月の駅伝でときどき走れなくなる人がいるが…、走れんな。

ご近所から一部始終を目撃されていたらイヤだな。

以上

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3時間1セット

こんばんは、OSSです。

学習の主要な要素の1つである暗記に関しては、これまでの記憶の研究による暗記理論を体現するシステムを構築したことで問題はなくなりました。理論通りなら司法試験に必要な知識量は確実に超えることができるでしょう。

残る問題は、時間。

確実に知識をものにできるとしても、そうするためにはそれ相応の時間は必要となる。収入を確保しつつも勉強しなければならないため、絶対時間が不足するであろうことはわかっている。

しかし足りないものは足りないのだからしょうがない。反対に、これまでの経験から、時間がありすぎるのも問題だったりする。区切りのない長時間の勉強は精神衛生上よくない。特に僕には。

そこで、この際量のことはいったん脇に置き、質を高める方向で考えようと思う。

年末の家事で、短時間に同時進行でいろいろなことをこなしていたが、母がいつもしているのを真似してみただけだったりする。母は何かをするときにまさにバタバタバター!という擬態語が適切なほど集中して終わらせる。主婦は三食昼寝つきなどと言う人がいるが、母を見ている限りそんな暇はない。一日の生産性はかなりのものだろう。しかし、いかに母といえど一日中集中しているわけではない。買い物や食事などはリラックスしている(夜は電池が切れたように動かなくなる)。つまり、一日に集中する時間が何回かあるようだ。

そこから考えた。基本3時間1セットでことに当たるようにしてみてはどうだろう。

お風呂や食事、睡眠などを考えると一日4セット12時間が最大となるが、あまり詰め込むと精神的なバランスが悪くなるのが怖い。さしあたって一日3セットを基準に考えようと思う。1セットで、例えば講義の受講、復習、暗記までする。あるいは論文問題一題の分析と知識の抽出、暗記も3時間もあれば可能だ。

これまでは数時間まとめて受講してへろへろになり、復習は中途半端な上に時間をかけ、結果膨大な量の暗記を一気にしないといけなくなり、挫折するというあまり効率のよくないことをやっていた。暗記は少しずつ確実にしなければならない。学習というものは知識を暗記してこそ習得なのだから。

しかし、一日3セットすべて法律学習に使えるわけではない。仕事がある日は1セットが関の山だったりする。でも、社会人受験生ってそんなものだろう。しばらくこれでやってみようと思う。

以上

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長すぎやしないか

こんばんは、OSSです。

つぶれた塾の受験生をずっとボランティアでみてきました。順調に成績が上がり、セんター試験でも好成績が期待されていたのだが、あまり点数はふるわなかったようだ。それでも高得点であることは変わらないのだが、それまでの成績がよかっただけに本人意気消沈している。

特に国語が思うように点数が伸びなかったそうな。原因は長文化。今回古典は2ページを超えていたという。

そこで、今日実際に問題を解いてみたのだが、なるほど確かに長い。古典が長いのだから現代文が少々短くなってもいいようなものだが、こちらはこちらで結構な分量がある。

ゆとり教育の見直しかどうか知らないが、最近の国語は読書量を問うような問題にシフトしてきたと言われている。悪いことではないと思うが、今回の問題は物理的にどうかと思う。

あまり文章が長すぎると読むことが作業に成りかねない。短時間で大量の文章を読み込む能力というと聞こえがいいが、それは内容が薄っぺらなビジネス系の文章での話だ。それも一つの国語能力かもしれないが、それだけじゃない。

法学や数学なら言葉や文字を額面通りとらえる読み方が正しいだろうが、それは最低レベルの低いコミュニケーションでしかない。実際のコミュニケーションは、時と場合や相手との関係性で意味が変わる。例えば、ある人がある人に向かって「おまえは馬鹿か」と言ったとする。言葉レベルのコミュニケーションだとこの発言は侮辱となる。しかし、その発言がなされた場所が酒の席での談笑の時だとしたら、自ずと意味は変わる。また、その発言が尊敬する上司からであっても変わる。

常日頃から国語の問題を解く際、生徒には「教えを請うスタンス」で読むように指導している。文章を読んで意味がわからないと、その文章を悪文だとし、その原因を作者の知的レベルの低さだと決めつけ、読むに値しないという者がいるが、それは大きな心得違いだ。大切なのは記号としての文字による関係性ではなく、相手の真意を慮る想像力、肯定的な解釈なのだ。解釈には時間がかかる。だから安易な長文化は反対なのだ。

平きん点は去年より下がるだろう。それでも50%を切ることはないだろうから、今年の問題は、数値的には難しすぎず、優しすぎず、よい問題だと評価されるかもしれない。実際、ねらい所や内容はさすがだと思う。しかし、努力した人間が満点をねらえる問題だったかといわれると疑問だ。

今回の長文化はまじめな受験生のそれまでの努力、生き方を否定した気がする。試験は水物と言うが、所詮人間が作るのだからヒューマニズムでなければならない。セんターは標準試験なのだから、努力が報われる試験であってほしい。

ちなみに僕の自己採点は180点を切るくらい(一問疑問に思う選択肢がある)。最近問題解いてないから解答力が落ちているようだ。よく分析しておかないといけない。

以上

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心を開けば

こんばんは、オープンなOSSです。

今日から補じょ校業務が始まりました。正直、休みの間、補じょ校というものを心のどこかでどこか汚らわしいもののように感じはじめていました。だからまたあの教壇に立たないといけないかと思うと憂鬱でした。

しかし、今日、行ってみるとそんな感情はなくなった。休みの間に入校した見たことない生徒がちらほらいたり、休み前までは話もしなかった生徒同士がいつの間にか仲良くなっていたり、先生たちも笑顔でやる気満々、キャンパス全体に活気があった。ほとんどの生徒が相変わらず、授業中私語をしてまともに聞かないのだが、それでも何となく僕は彼らに対し、かわいい奴らだという感情を覚えた。それが生徒にも伝わっていたのか、今日はキャンパス内でよく生徒に話しかけられた。

時に、補じょ校を辞める算段をしていたのですが、四月以降も続けそうな感じです。陰に日向に僕をサポートしてくれてきたキャンパス長の先生からのたっての願いに応えたいというのもありますが、一番の理由は母の一声。

「あんたは人間的に偏ったところがあるから、もう少しそこで勉強さえてもらったほうがいいんじゃない」

僕は不真面目な人間、自分勝手な人間、特にものを考えない人間が大嫌いです。だから、本当は補じょ校とは根本的に相容れないものがある。しかし、そうかといって補じょ校の生徒が生きていけない世の中というのはおかしいと思う。

先日、テレビでブータンという国を見た。経済的に豊かであるとは言えないが、人々が信頼しあう社会だった。その国に僕は自分の求める理想を見た。しかし、仮にそこに僕のようなものの考え方をする人間が入るとおそらくあの国は姿を変えてしまうだろう。

どうすればいいかわからない。自分の信念を貫きたいが、それが自分の理想から遠のくのであれば、何のための信念なのだろう。

今の僕はあまりに未熟だ。それはわかっている。だから、母のアドバイス通り、もう少し補じょ校で勉強させてもらおうと思う。

まぁ、そうはいうものの金銭的な事情というのもある。最近仕事しだした塾はまだ軌道に乗っていないし、春から勤務することになる予備校もまだまだ未知数。なんだかんだ言って補じょ校の収入は貴重なのです。

また補じょ校の仕事はこれから楽になる。不慣れな英語の担当から外れたので、もう英語の授業をしなくていい。するとしても受験対策。こちらの方が目的のはっきりしているぶんやりやすい。

それに最近どんどんいろんなことが簡単に記憶できるようになってきた。それのおかげで授業や勉強に費やした時間が確実に身についていくのを感じる。これは有形無形に今後に役立つこと間違いない。つまり生きた時間を過ごしている。

原因は、そのためのシステムを構築し、それが効果を上げているというのもあるが、何でも受け入れようと努力しているからではないかと思う。心を開けばいろんなものを受け入れることができる。そう考えると、これまでの僕は心を閉ざしていたということになるか。法律学習が大成しなかったのもそこにあったのやもしれない。

正直、絶対に受け入れたくないことはあるが、とりあえず心を開き、クリアに考え、現状突破です。

以上

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身分相意

心がけのよい人は特に幸い多く喜び三重の年となります。身分相意に元気を出してがんばってください。人のためにもつくしてあげてください。三、六、七月は注意を要します。

こんばんは、OSSです。

遅ればせながら三社参りに行ってきました。上記の文章は今年の僕の運勢だそうです。

なかなか的を射ている気がする。とくに「身分相意に元気を出して」という件がピンときた。

「相意」という言葉を辞書で引いてもなかったのだが、勝手に解釈すると、現状の身分や能力にふさわしいことが「分相応」であるとすると、「身分相意」とは自らの主観的な、そうあるべき身分や能力のことを指すのではないだろうか。つまり、自分の価値は自分が思っているとおりということ。

ここ最近、僕が強く感じていることを肯定してもらえて気分です。

以上

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新鮮な感覚

こんばんは、OSSです。

年末の母が入院したとき、家事全般すべてを引き受けていっぱいいっぱいの生活をしていました。しかし、なにげに生き生きしていた。それ以来、何となく感覚が変化している。

思えば、これまでの生活はある意味死んでいた。むろん、その生活であればこそ、ノートやメモの重要性に気がつき、記憶の研究などといった学習スキルを磨くことができたのだが、心はいつも荒漠としたものを感じていた。

しかし、家事をすることで新鮮な気分を思い出した。洗濯しながら、食事の準備や後片付け、いくつものことを同時進行で集中して終わらせる。決めなければならないことを即決断してとりかかる。わからないことがあるとすぐに妹や母に電話することで教えを請い、その通りに実行して結果を出す。そういう当たり前のことが、これまでの勉強中心の生活にはなかった。

自分の人生に真摯に向き合う、いつも自らの責任として一人称で考える、そういう思いで生きていこう、生きてきたつもりだったが、もっとも根本的なことが抜けていたことを認めなければなるまい。今年のテーマ、現状突破のために今感じている感覚を大切にしていこうと思う。

しかし、前にもこういう感覚の大切さを痛感し、心を入れ替えようとしたことあったよな…

あのときと今は違う。今の自分ならものにできるはず。

言葉は口にすると現実になるという。また空元気も元気のうちという。ならば、あえて言おう、心身ともに絶好調である!と

以上

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ソフトレビュー

こんばんは、OSSです。

新しく購入した暗記ソフトを使用しつつ、旧ソフトからのデータ移動を行っています。

僕は勉強の暗記ツールとして情報カードを使っているが、その管理に苦慮していました。日頃持ち歩くのに50枚程度ならさしたる問題ないが、何百枚、何千枚ともなると、とてもじゃないが持ち歩けない。また、知識は何度も繰り返すことで定着するが、覚えてしまったものを繰り返すのはあまり効果がない。しかし、それも一度覚えてしまえばもう忘れないとは言えない。時間がたつと思い出せなくなる。覚える段階では集中して繰り返し、いったん覚えてしまえば、忘れるか忘れないかのときに確認したいもの。

そういうわけで、とある暗記ソフトを使っていた。これだと何千枚ものカード情報を持ち歩ける。覚えているものと覚えていないものを選別できるうえ、ランダム機能があるので、覚えたものも後から無作為に確認ができる。しかし、使い込んでいるうちに使い勝手の悪さの方が気になりだした。

まず、際限なく出題されるので飽きる。出題範囲を指定できるものの、入力順の範囲だからそれほど効果が感じられない。出題数を設定できる機能があればよいと思う。それからランダム機能は本当に無作為に出題されるだけだから、タイミングよく忘れそうな知識の確認ができるというわけではない。つまり、メリハリがないのが何とも不満。何年も前に開発がストップしているソフトなので、バージョンアップして使い勝手がよくなることはもはや望めない。どうしたものかと思案していたところ、今回の新しいソフトを手に入れた(アクセス数のアップは本意でないため、正式なソフト名は控えさせていただきます。興味のある方は記事の最後のアドレスにとんでください)。

まず、このソフトのループ概念は目から鱗だった。いったん覚えた知識は、(そうよんでいいのかわからないが)ループレベルがあがり出題されにくくなる。しかし、そのループも簡単にはあがらない。ループレベルが0から12まであり、「正解」と「大正解」のうち、「大正解」を選べば2あがり、「正解」だと1あがる。最低でも6回は大正解しないといけない計算だが、ループレベルが上がると出題されにくくなるので、そう簡単には挙げられない。そうかといって、全く出題されないわけでない。どういう法則性で出題されているのかわからないが、ループレベルが低いものはじゃんじゃん出題されつつも、上位ループの知識は適時に出題される。その絶妙なタイミングが気に入っている。

ループレベルを上げることを目標にするのもそうだが、解答するたびに点数のようなものがつき、目標値を設定し、それのクリアを目指せるのはゲーム性があってよい。今回のバージョンではまだ完成してないそうだが、今後目標値をクリアすると音声ファイルが自動で流れるプログラムになるそうな。お気に入りの曲が流れるとあれば、テンションアップしますな。また、その点数のようなものを目標にすれば、ダラダラ際限なく問題が出題される感覚ではなく、今日は現在値を100上げようというようにメリハリをつけて頑張れる。

さらに、文字データだけでなく画像や音声も使えるのはすごい。まだ音声は試してないが、画像の方はワープロソフトなどで図解したものを画像ファイル化して登録したり、情報カードにメモした図解などもスキャナで取り込み登録することもできる。記憶効果は否が応でも高まる。

しかし難がないわけではない。

まず、ソフト価格が高く、スペックもそれなりに要求される。デスクトップなら問題なく使えるが、手持ちのネットブックや5年くらい前に購入したノートPCではインストールすらできなかった。まぁ、価格はソフトを使用することによって得られる能力、現在の状況を考えれば、背に腹は代えられない。また春から職場が遠くなるので通勤時間が長くなる。その時間こそ、ソフトを使い倒す絶好の時間となるが、そのためにはソフト専用のモバイルPCを新調しないといけない(ソニーのあれしかない!)。

また、問題集ごとに問題を入力できるのはよいが、複数の問題集から出題できるようにもしてほしかった。問題数が少ないとソフトの効果が半減される、そうかといって無意味な問題を作るわけにはいかない。

問題集ごとにどれだけの時間をかけているのか、ソフトが時間をはかっているのはいいが、この機能の存在に違和感を覚える。カレンダー表示があって、前回いつトライしたのか、そのときどれだけ時間をかけたのか、トータル時間はいくらなのかなどがわかるとよかったと思う。

どうすればよりよくなるか思いつかないが、点数化ももっと改良の余地があると思う。

まぁ、この先何度かバージョンアップされるだろうから、それに期待しましょう。

このソフトの考案者は「自分の脳がPCに移植される感覚」というようなことを言っていたが、使い込めばまさにそういう感覚になる。間違いなくこのソフトは僕の現状を突破するツールとなるだろう。

http://www.qaiba.jp/

以上

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暗記暗記暗記

こんばんは、OSSです。

50歳過ぎて東大に入学した方の本を読み、その方が自作した暗記ソフトに興味を覚えたのがちょうど一年くらい前。

そのソフトを手に入れるべく、いろいろと問い合わせたところ現在商業用に鋭意開発中とのことで、去年の5月くらいには売り出される予定だった。そのため、後にネットブックと呼ばれるようになるPCを購入して待っていたのだが、ついに昨年中にソフトが完成することはなかった。

しかし、年度末に届いた一通のメール。それには年明けにソフトのダウンロード販売がなされるとあった。

そういうわけで、一昨日ソフトを手に入れたのだが、なかなか工夫されていて使い勝手もよい。そして、なにげにゲーム的な要素もあるので、気がつけば二時間近く暗記ソフトを使い、200項目くらいの暗記をしていた。いい手応えだ。

一頃、暗記の旅といって情報カードもって何時間もウロウロしていたが、あれはいったい何だったのだろう…

近々、このソフトのレビューを書こうと思う。

以上

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好きなことでスキルアップ

こんばんは、OSSです。

新しく仕事をしている塾で補じょ校あがりの受験生を受け持っています。その子が年末から面談に来ない。何度か面談してわかったのだが、勉強の実質的進捗状況は限りなくゼロに近い。たぶんセンター終わるまでこないだろう。こういうのを「精神的敵前逃亡」という。

まぁ、そんな状況、僕も経験したことないこともない。辛いよな。

手遅れ、無駄なあがき、不毛な努力、しかし、それから何かが始まることもある。人間追い詰められたときにその真価がわかるという。人の振り見て我が振り直せ。心しておきましょう。

しかし、意に染まぬことを長期間つづけるのはよくないと思う。心が死んでしまう。

今、やらねばならないことが多々ある。それが具体化されたものとして、部屋に読まずに積まれた本の塔。司法試験関係を筆頭に、ビジネススキル、論文研究、英語学習、自己啓発、大学入試の参考書、合気道etc

どれも興味がないわけではない。むしろ自分の生をまっとうするため、どれも身につけるべき知恵や知識、技術であるが、手が出せない。時間がないというのもあるが、手を出しても身につけられる自信がない。それはこの十年の経験則からわかる。理由は、今、心から知りたい、自分のものにしたいと思えないからだ。不承不承、嫌々ながらすることなど身につかない。まして、時間にものを言わせてやらされる子供と違い、こっちは時間が限られている。モチベーションが低いまま、中途半端にあれもこれも手を出して、あれもこれも身につかない。時間と才能の空費。もう、そんな生活はもうやめたい。

だから、今したいことをする。心動かされるもの、興味があることを追及し、することによって身につくもので自分を豊かにせねばならない。

さしあたって、今したいことは暗記。偏見や拒絶を脇に置き、心を開くことで今まで暗記できないものもできるようになってきた。加えてアナログツールがいい感じで機能している。法律の知識だけでなく、一日の中で出会った知識はできるだけ暗記するように心がけている。暗記に成功し、それを当たり前にアウトプットするとちょっとだけ快感を覚える。それが楽しい。

そしてさらに明日、待ちに待った頼もしいツールが手に入る予定。このツールを暗記システムに組み込むことでより効率よく知識の定着が見込まれる。知識や知恵、技術を身につけることで人は変わる。しかし、多くの人はそれらを効率よく身につける術を知らないのではないだろうか。

今、構築しようとしている暗記システムで現状を突破する。そして10年の空費を補ってあまりある人生にする。

以上

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表舞台

こんばんは、OSSです。

今日は初稽古に参加しました。

道場入りし、まずは皆さん一人一人に「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と新年のご挨拶。

稽古が始まり、子供クラスの指導でもまずは挨拶。私は子供を子供扱いしないようにしています。ですから子供相手に全力で挨拶。その際に少し話をさせてもらった。

曰く「昔から一年の計は元旦にありという。一月一日のあり方がその年を大きく左右する。先生は毎年、その日に今年はどんな年にしようかなと考えるんだが、今年は『約束を守る』ということを心がけようと思った。

人との約束を守ることは当たり前だな。守れないのは未熟な人間だ。約束を守れない人間というのはだいたいできもしないことを約束するものだ。一人前の人間なら自分に何ができて、何ができないのかわかるから、できない約束などしないもんだ。

まぁ、先生がいう約束を守るとはそんなことではない。

先生は自分との約束を守ろうと思う。人とする約束は守れるが、自分とする約束はなかなか守れない。今年の先生はそれができるようになろうと思ってる…云々」

と後から振り返ると未熟な人間の偽善だと自己卑下しそうだが、偽善を演じられるだけ立派ではないかと思う。あとは精進あるのみ。

技の指導は新年最初の稽古なので基本に忠実に、逸脱は少々にとどめておいた。

時に、公然と誰も口にしなかったが、昨年、我々は大切な人を失った。その方のおかげで今まで稽古できていたと言っても過言ではない。

私はその方の穴を埋めるべく、表舞台に出ることを決意した。これまで建前上、司法浪人であること、本音では傷心の自分を隠すため、縁の下の力持ち的な極力目立たないところで活動してきたが、これからはそれは許されない。人に指摘されずとももうわかっている。

だから表舞台に出る。名乗りを上げよう。

本部道場の総師範をはじめ、お弟子さん方、他道場の指導員の先生方にも、あの道場にOSSありと認識してもらえるよう、積極的に存在をアピールし、名を売るつもり。

10年間猫をかぶり続けたが、そのあり方はもはや限界。これ以上続けても行き着くところはたかがしれているし、そんなもの望まない。現状を突破するため、本当の自分を出さねばなるまい。

以上

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現状突破の年

あけましておめでとうございます。OSSです。

年末に母が入院してしまいましたが、元日に退院しました。

もともとが点滴投与のための入院であり、あまり大事ではありませんでした。二度ほど様子を見に病院に行きましたが、母は暇をもてあまし、病院の地下から最上階までの階段を数えたり、それを一日三往復することを自分に課したりと、およそ入院患者らしからぬことをしてた様子。

家の方では、家事をするものがいなくなり、僕と父が生活できるかと心配されていましたが、あにはからずや、炊事、洗濯、年末大掃除、全部僕が引き受けて、こなしていました。

小さい頃から死んだばあちゃんが「男が台所に立つもんじゃない」と言われてきたので、知識はあってもあまり実践をしたことがありませんでした。しかし、なかなかどうして、やればそれなりにできるもんです。この僕の予想外な活躍に父を始め、母や嫁いだ妹、本人すらビックリしました。

家事だけでなく、母がしていたように神棚や仏壇のお勤めもし、二日に一度はお墓参りにもいっていました。当然やることがたくさんあり、一日の勉強時間は圧迫されたが、不思議なことに択一問題や論文問題の検討暗記、講義の消化など、生産性はいつもとそれほど変わらなかった。

原因の一つは、母が乗り移ったかのごとく、同時進行で複数のことを処理し、かつ、一つ一つの行動が素早かった。この点を考えると、今までの生活は弛緩していたのだと認めざるを得ない。

また、体を動かして結果が出すのが楽しかった。基本勉強は頭を使うものであって、体を使うものではない。そしてはっきりとした結果や変化が出るものとは言い難い。長いこと勉強ばかりしてきたので、そういう現実感、生きる上での当たり前の感覚が薄らいでいたのだと自覚した。そして、それが勉強にも悪影響を与えていた。

一言で言うと、甘えていた。

清潔な衣服を着られること、時間になると温かい三度の食事がとれることを当たり前に考えていた。二十代に誓った、一生懸命、誠実に生きていこうという誓いは、所詮、坊やの独りよがりだったということだ。

母も今回の入院で思うところがあったようだ。これからは僕や父に家のことをいろいろしてもらうと宣言した(炊事以外の手伝いはよくしていたと思うのだが)。まぁ、僕も母から学ばなければならないことが多いと痛感した。

話変わって、毎年手帳の1ページ目に言葉を揮毫しているが、今年はこれまでと違い、単に言葉だけでなく、キーワードを使った図解を書いてみた。根底に「マスミの境地」。その右上と左上に「開かれた心」、「クリアマインド」。そして、それらの内包するように大きな矢印を書き、矢印の三角形の根本付近に「現状突破」。

何事にも集中して取り組もう。イレギュラーに心乱されることなくクリアにものごとを考え、偏見や好き嫌いで目を曇らせることなく、心を開き、多くのことを受け入れ、学び、記憶する。そういう生活の先に現状突破がある、という思いからです。

僕の人生はこんなもんじゃない。まだまだ成長できる、しなくてはいけない。まだまだ自分の能力に見合った仕事、社会貢献をしていない。ぜんぜん、自分に満足してない。

今年は現状突破して大きく環境を変えるつもりです。

以上

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