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フロンティア

こんばんは、堪能するOSSです。

ガンだム最終回見逃しました。

今日はそれを楽しみに自習室から急いで帰ったのに、お笑いの番組が写ってた。単純にチャンネルを間違えたと思われる。よりにもよって最終回…

話かわって、今日の夕飯は1人だった。何でも好きなものを食べなさいと言われていたので、先日食べておいしかったスーパーの刺身サラダをまた買って帰った。

おいしかった! 今一番のお気に入りです。

しかし、帰宅した母にその話をすると、「つい最近も食べよったよね」と少々あきれられてしまった。うーむ。確かに短期間に同じものを何度も食すのはいかがなものかという思いもある。こういうときこそ、普段食べないものを食べたり、行ったことない店に行って食べるということをした方がよかったのかもしれない。昔から「少年老い易く学成り難し」という。最近、ひしひしとその言葉の重みを感じる。チャレンジはできるだけ若い内にやっておいたほうがよい。

何度も言っているが、今年のテーマは「現状突破」。そのために「心を開く」ことを心がけている。そのためか、最近、僕にはチャレンジ精神、フロンティアスピリット、そういうものがかなり欠けているということに気がついた。

子供の頃から古いものや伝統に価値をおき、新しいものに飛びつくのは軽薄だと考えてきたから、流行を追ったり、チャラチャラしたことはほとんどしてこなかった。そんな僕は一部の人間から「若年寄」と言われていたが、僕にとってそれは賛辞だった。

しかし、最近の僕はちょっと変わった。

きっかけは新しい職場での勤務。新しい職場は全国有数の繁華街のど真ん中にある。今まで長らく過ごしてきたK街もそれなりの繁華街なのだが、新しい街、H街とは違う。

K街はかつてはH街をしのぐほど栄えていたときもあったそうだが、今は出店する百貨店はすぐに撤退するし、小さな小売店はほとんど店を閉め、至る所にシャッター街ができている。それにくらべ、H街は小さな店はたくさんあるがシャッターを下ろしているところは1つもない。よく経営が立ちゆくものだと思うのだが、単純にK街とは人の数が違うようだから大丈夫なのかもしれない。

だいたいH街は服装からして違う。K街のようにトレーナーの上下を着て、スリッパで闊歩する若者はいない。H街の道行く人は老いも若きも洗濯が難しそうな服を着て、おしゃれを楽しんでいる感じだ。まして、K街の、制服をミニスカートにし、その下にジャージをはいている不快な女子高生達など1人もいそうにない。H街は洗練されている。

なぜか、H街は歩いているだけで楽しい気分になれる。今まであまり華やかなところには興味がなかったが、H街では行ってみたいところ、興味のあるスポットがいくつもある。今度時間を作っていってみようと思っている。

「もうK街では満足できんね。H街くらいじゃないと」

かつてそのセリフを大切なものを見失っていると悲しい気持ちで聞いたものだが、今なら何を言わんとしていたのか少しわかるような気がする。

しかし、そうかといって、一度にあれもこれも手を出そうとするのはよくない。「学びて思わざれば則ち罔くらし」。読書でもそうだ。あれもこれも一度に乱読し、ほとんど身につかないというようなことをこれまで結構やってきた。だから、少しずつ、時間がかかっても1つ1つ大切に経験しようと考えている。さしあたっては、択一後の話だが。

そういう訳で二度目の刺身サラダ、結構ではないか。僕はまだそのおいしさを十分に堪能していないのだから。

変革は必要だが、急な変革で自分の根本を見失うことは戒めたい。

以上

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クリアに考える

こんばんは、OSSです。

帰宅が遅い上に、仕事と択一対策とで更新がままなりません。もう少し暖かくなったら朝更新を検討します。

先日、模試を受けてみました。憲法と民法はいい手応えです。今のやり方は時間はかかるが一度間違えた問題はほぼ間違えない。問題を解けば解くほど精度が上がります。しかし、刑法は相変わらず手におえないところがある。原因の一つに僕の論理に対するスタンスに問題があるからだと分析している。

長らく大学入試の国語指導に携わってきたので、そうなっているのかもしれない。国語も論理が大切だと言うが、究極的には論理的でないところがある。

例えば、これは最近の仕事で実際に質問されたことだが、甲、乙女、丙、丁という、3人の男性と1人の女性、計4人がいるとする。甲は敵である丙を殴ろうとするが、それを乙女が「やめて!」と叫ぶ。丁が甲の肩を軽くたたき、甲は拳を下ろした。このようなシチュエーションで、甲の行動を止めたのは、乙女なのか、丁なのかを判断する問題があった。

10人中9人が乙女の叫びが甲を止めたのだと判断し、解答もそうなっているのだが、中に丁の軽く甲の肩をたたく行為が甲を止めたのだと判断する者が必ず出てくる。なぜ、その判断が違うのか、食らいついてこられると説明に窮する。同僚の先生と検討したところ、丁の「軽く」というところにすでに甲の行為に急迫性はなくなっており、その原因は乙女の叫びであることから、甲の行為を止めたのは乙女といえると説明することにした。

僕的には99%その説明でよいと思う。実際、事前に解答したとき、僕はそこまで明確に考えなかったが、感覚的にそのように処理して解答していた。しかし、残り1%のところでやはり納得してない自分がいることも事実。乙女の叫びは甲を迷わせただけで、丁が軽く肩をたたいたことで、決断したのではないか。深読みしすぎな上に、妄想のきらいもあるが、それを間違いだとする明確な根拠はない。

文字表現に拘泥せずに作品のテーマを考えなければならない、あるいは問題として成立しないなど、どちらの見解に対しても、こじつけようと思えばいくらでもこじつけられるし、言い出したらきりがない気がする。ただ、本音を言えば、すべての事柄は論理的に説明できないのではないかと思っている。数学ですら、それが導く解答が真理であるとは思っていない。「1+1」は「2」かもしれないし、「2」でないかもしれない。おそらくそれは、僕が論理そのものに絶対の価値をおいていないからそう思うのだろう。

論理の何が気に入らないか。その一つにデカルト以来の懐疑主義に不快感を覚える。何でもかんでも疑ってかかってはわかるものもわからなくなるのではないかと思う。世の中なんでも論理的に説明できるものでもあるまい。論理的であるが故に説明できないこともある。

例えば、一頃騒がれ、大学入試の小論文の素材にもなった「なぜ人を殺してはいけないのか」。いろんな識者がこの問題を論理的に説明しようとしていたが、今もって万人を納得させられる説は登場していない。だからといって、論理的に納得できないから、人を殺してはいけないという決まりに価値はないとは言えまい。道徳や文化、常識は論理をいくら積み重ねたところで、到達できないものではないだろうか。

極端な話、大人が子供に人を殺してはいけないと言い、子供がそれに対し納得する説明を求め、大人が子供を納得させられない場合、子供は人を殺してもいいと思うのは異常だ。極端で異常な例えであるが、それと同じ論法をしばしば子供は使っている。

例えば校則。よく小論文の練習素材に「制服の是非」などでるが、大人の理屈で説明しても制服を強要され、制服着用に反対の子供は納得しない。だいたいそういう者は、はなから納得することを拒否している。そんな者に論理は意味をなさないのではないか。このことから、論理的であるからといって、その通りになるとは限らないと言うことがわかる。

かつて僕は言葉を尽くし、情や理性に訴え、危険な状態にある者をなんとか守ろうとしたが、守れなかった経験がある。無理を通され、道理を引っ込めざるを得なかった。そのことからも僕は、無力な論理を不甲斐なく思うことはあっても、絶対の価値を置くことができない。故に、判例や論証を心のどこかで軽視し、それに重きを置けずにいる。

法律的に解決されても救われるとは限らない。

しかし、世の中のほとんどが論理で動いているのも事実。例外に心惑わされ、論理に一切の価値を認めないというのも極端な話。今年のテーマは「現状突破」。そのためには「心を開き」、「クリアに考える」ことを自分に言い聞かせている。非論理的なイレギュラーはしばし脇に置いておくとしよう。

以上

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開業

こんばんは、フリーランスのOSSです。

右手の人差し指に時々違和感を覚えます。何というか…、毛細血管がブチブチ切れてる気がする。

最近はよくボールペンで書きものをするからかなと思います。

新しく勤務することになった予備校から個人事業の開業届を出すように言われていました。そんなこと言われたのはじめてだったので、同僚の講師の先生に聞いてみると、「出してないんですか!? それじゃ確定申告できないでしょ」とビックリされた。

毎年、役場に来ている税務関係の人に源泉徴収渡してちょろちょろとしてもらっていたのはよくなかったらしい。

そこで、今日、税務署に必要書類を提出した。

書類の中に屋号があったので、何にするか頭を悩ませていた。

OSS事務所
OSS教育研究所
OSS受験研究所
 ・
 ・
 ・

まて、アルファベットって使っていいのか? 業種と関係ない言葉はダメとか、なんかいろいろ制約があるかもしれない。ここは税務署の人に確認してから記入しよう。

そういうわけで税務署に行き、屋号欄を空欄のまま書類を提出すると、特に何を言われるのでなく受理されてしまった。

「あの~、屋号は…」
「ん? おたくの場合いらんでしょ」

……屋号つけたかった。来たるべくOSS法律事務所、その先のOSSグループへの前身として、社史に残る名を付けたかった。

日常業務のことでいろいろ聞きたかったが、聞けそうな雰囲気ではなかったので、本に書いていたとおり今度町の商工会に行ってみようと思う。

弁護士ではないが、これで正真正銘フリーランスの端くれになりました。

以上

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新しい環境

こんばんは、ヘロヘロくたくた、若干頭痛のOSSです。

専業司法浪人の生活に倦んできた頃しも、今日から新しい予備校での勤務が始まりました。

といっても、まだ新学期ではないので試し運転みたいなものですが、生活に刺激を求めていたところなのでちょうどよかった。よく「私は勉強するなら仕事しながらの方がいい。勉強だけするのはできない」という人がいます。今の僕は、そのタイプです。かつてのように長期間専業司法浪人をする自信が今はありません。

新しく予備校は独特なシステムを採用していて、僕はそのシステムの講師として働くことになっている。バーコードとパソコンを駆使しながら、一日数時間、生徒指導に当たります。今日は初日だったので、最初は勝手がわからなかったが、慣れるとなかなか楽しかった。

しかし、今日一日やってみただけだが、いくつか問題点を発見した。

学習上の問題点だが、生徒はどこで暗記するのだろうと思った。テキスト読んで、問題解いて持ってくるのだが、読んだばかりの内容を即テストしているようなので、高得点をとっても不思議ではない。しかし、その内容は受験まで保持していないといけない。明後日あたり、きれいさっぱり忘れている可能性が高い。しかし、まだ予備校が本式に稼働したわけではないので、もう少し様子を見ようと思う。

システムは大いに問題があった。今日国語講師は僕1人だったのだが、7時間フル稼働しても裁ききれない仕事量だった。もう1人国語講師は必要だろうと思う。

1人の生徒が、パソコンを落とした後に「1つでもいいので見てください。今日一回も呼ばれなかった…」と言ってきた。パソコンが落ちていたので入力作業ができない。立ち上げると若干時間がかかる。だから次の機会にしてもらったが、後から考えるとまずい判断だったなと思った。

業務終了後、スタッフの人が感想を聞きに来たので、その点を報告しておき、国語はもう1人増やしてほしいと要望しておいた。

帰りは徒歩とバス、電車で帰るのだが、2時間近くかかる。半日近く集中して仕事していたので、ヘロヘロのくたくた、若干頭痛がしたが、電車の中ではきっちり暗記のメンテナンスに励んだ。仕事だけですり減らないようにしないといけない。

とりあえず今日はもう寝よう。

以上

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気持ちで負けない

こんばんは、OSSです。

ようやく暖かくなってきましたね。足の先の冷えを気にせずにすむのが助かります。

暖かくなってくると眠くなると言うのも人情というもの。今日の学習は全然でした。自習室で寝たりはしなかったが、どうにもこうにも気持ちが乗らない。ここ最近がんばりすぎたのか、まぁ、そんな日もあるかと焦らないようにして、今日一日は守りの学習に徹しておきました。

時に、帰宅すると野球が負けていました。

なんか…、不快です。

前々から思っていたのだが、マスコミの煽り方が気に入らない。「永遠のライバル」とか「宿命の対決」とかやめてほしい。あっちが勝手に目の敵にしてるだけで、こっちは別に何とも思っていないのに、そんな煽られかたしたら嫌でも意識しないといけなくなる。

ただ実際、前々からかの国には見習わないといけないと思うところはある。それはハングリー精神、情熱、つまり気持ちの問題。

中学の部活の先生も言っていた「経験や技術で負けるのはしょうがないが、気持ちで負けるな! 気持ちで負けたらおまえらが勝てるものなんてなんもないじゃないか!」

それ以来、気持ちで負けることを一番の恥だ思って生きてきた嫌いがある。

クールでいい、奥ゆかしくていい、気持ちで絶対負けてはいけない。そこに希望はなく、未来につながるものはない。

以上

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とつとつと

こんばんは、とつとつと話すOSSです。

さっき、どうでもいい記事をアップしてしまいましたが、こっちが本命です(どうでもいいのだが、いやに引っかかるのです)。

今日は専任講師の件で医療系予備校に行ってきたのですが、結論から言って、話は流れた。

だいたい時期が悪すぎる。1月以前から打診してくれていたら、万障繰り合わせて何とかしただろうが、来月から即勤務とは。二月の終わりに言われても、春以降の予定はもうできている。来年からの勤務なのだろうかと思って行ったもんだから、お互い話にならなかった。

でも、考えようによってはよかったのかもしれない。前回の司法試験を撤退したとき、本当に精神的にやばいところまでいった感があり、ものをまともに考えられない状態だった。今でもその症状は若干残っている気がするが、自分でコントロールできなくもない所まで回復した。だからこのまま努力し続ければ何とかなるだろうと思う。専任講師の話は魅力的だが、今はまだその時ではないのだろう。

ところで、この学校は給料がものすごくいい。去年は採用だけされて一度も仕事もらえなかったが、この学校とは引き続きお付き合いさせていただきたい。そういうわけで、専任講師の話は流れ、非常勤で籍だけあるという格好で関係を保つことになった。

未だ回復していないからか、相変わらず言葉が流ちょうに出ない。主観的には立て板に水で、ベラベラしゃべりたいのだが、自分自身を客観視して卑下する自分がいたり、言葉をこちらの意図とは違うようにとられないかと恐れたり、表現した言葉が真に自分の思いを体現していないような違和感を覚えたりと、なんか自分の中がグチャグチャで言葉が出ない。

しかし、今はそれでいいと思っている。昔ならそういう状態を何とかしようと焦っていたのだが、今はグチャグチャながらもとつとつと話すようにしている。だからだろう、今日の面談は相手とのテンポが微妙にかみ合わなかった。でも、これでいい。まずはじっくりと自分を整えることから始めよう。

やることなすこと絶好調で、結果がバンバン出ているというわけではないが、生活が主体的で、確実に前進できているという確信はある。

以上

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これ見たことあるよ

こんばんは、OSSです。

なんかテレビでローマの番組やってます。でも前に見た気がする。新聞のテレビ欄に再放送マークがないけど、内容を読む限り、絶対見てる。ジローラモさんがお父さんで、ベッキーが泣くあれだろ。

ゴールデンタイムに特番の再放送とは…。視聴者の要望に応えるため、意図的なのかもしれないが、テレビ業界の衰退を感じずにはいられません。

昔はよかった。

7時代にアニメ見て、8時代にドラマやバラエティーが毎日のようにあって、どれもおもしろかった。撮影技術や作品のレベルの高さとかは今と比べられないが、昔の番組の方は勢いがあった。

昔の方がよかったというのは、老いの繰り言なのだろうか。

そういえば、今の子供はいつ、どんなテレビ見てるんだろう?

以上

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話し言葉の癖

こんばんは、監禁未遂罪不成立のOSSです。

父はよく間違った言葉を使います。身内であればよいが、よそ様の前ではやめてほしい。

前に区長をやっているとき、有線放送で、地域住民のお茶の間に、原稿の漢字をウソ読みしたアナウンスを何度もしたことがある。当時、父がアナウンスする度にハラハラしていたものです。

それ以来、常日頃から父が間違った言葉遣いをすると皆で訂正するようにしているのだが、父は指摘されると反省し改めようと心がけるのではなく、ふて腐れて黙りこくってしまう。小さい頃に「過ちを改めるにはばかることなかれ」と教えてくれたのは父だったのに…

しかし、話し言葉の癖というのは直しがたいのも事実。漢字の読み書きでは間違わないのだが、何気なく言葉にすると間違って使ってしまう言葉が僕にもいくつかある。

例えば「控除」。なぜか「くうじょ」と言ってしまう。「控」の字を「くう」と読む癖が油断すると出る。だから「控訴」も「くうそ」と言ってしまう。口述試験で言わないか心配だったりする。

その他には「割愛」を「わりあい」という癖がある。時々授業で「今日は時間がないのでワリアイします」と発言したりする。父のことは言えない。「惰性」も鬼門だ。合気道歴が長いのをビックリされ、「いやぁ~、ダジョウで続けてきただけです」というパターンを何度か繰り返したことがある。

修正しようと心がけているのだが、なかなかうまくいかない。げに、習慣とは恐ろしきもの。

そうそう、読み間違えと言うわけではないのだが、相変わらずエレベーターの「開」と「閉」を瞬時に判断できない。今日なんか予備校のエレベーターに若い女性と乗り合わせて、女性が降りる階についたからドアの「開」ボタンを押してやろうと思い、「閉」ボタンを押してしまった。女性が降りようとするとドアが閉まりはじめ、瞬間、女性がおびえた眼でこちらを見た。

監禁されるとでも思ったのだろうか…

以上

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青い色の申告

こんばんは、個人事業者のOSSです。

今年の確定申告もつつがなく終わった今日この頃、春から勤務する予備校から個人事業者登録の用紙が送られてきた。

そんなこといわれたのはじめてだ。

必ず提出とあるので、提出せねばなるまい。これで僕は正真正銘の予備校講師となってしまった。

そのほかに任意だが青色申告関係の用紙も入っていた。

青色申告?

その名は聞いたことあるが、これまで税金関係は要求されるままに払うだけだったのですこぶる疎い。用紙の説明を読んでもよくわからなかったので、ネットで調べるとなんかいろいろお得だということがわかった。

最高65万円の控除が受けられたり、税金面で優遇されたりするそうな。それから書籍代や交通費などを必要経費として計上してもよいらしい。本はかなりたくさん買うが、仕事関係の書籍はそれほどでもない。それより交通費が馬鹿高い。何らかの形で安くなるのなら是非ともお願いしたい。

しかし、あれだろう。これからはことあるごとに領収書もらわないといけなくなりそうだね。

「あ、領収書ください」
「お名前はなんとなさいますか?」
「OSS法律事務sy…」

ネットでは十分理解できないので、初心者用の青色申告の本を一冊買った。今読んでいる本を読み終わったら読むとしよう。

以上

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春といえば

こんばんは、花より暗記のOSSです。

補じょ校は業務終了し、新学期待ち状態。新しく開校した予備校は今月末から。細々とやっている小さい塾は時期的にお呼びがかからない。そういうわけで、完全司法浪人生活を送っています。

時間に余裕がある生活はすばらしいですね。昔はこの生活が当たり前だったのに、それを活かせなかったとは返す返す残念でならない。まぁ、過ぎたことをどうこう言ってもしょうがないんですけどね。

時に、駅を歩いていると、大きな荷物を持った若者とその母とおぼしき2人組をよく見かけます。察するところ、大学に進学するため、この春から親元から離れ、新しい生活を始めようとする若者ではあるまいか。母は子供の住居まで付き添いといったところか。

春から新しい生活が始まる…

そんな世間の当たり前の現象に気がついたのは何年ぶりだろうか。春といえば五月の択一の追い込みしかイメージできない生活をどれだけ続けてきたのだろう。別に後悔しているわけではないが、そろそろ決着つけないとな。

以上

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何のために?

こんばんは、ぶれてないOSSです。

あずかり知らぬところで日程が変更になっていたらしい。授業準備をしていたのだが、今期の補じょ校業務は先日が最終日だったことになる。

普通なら「聞いてない」と不快感をあらわにしてもよいところだろうがそんな見苦しいことはしない。それに僕の場合やらねばならないことがあり、むしろ大助かりだったりする。しかし、この先、こういうことをやっていると外部講師(今のところほぼ僕だけ)との間でトラブルになる可能性がある。今度キャンパス長に一言いっておこうと思う。

そういうわけで補じょ校は新学期が始まる四月下旬までオフです。

キャンパスに珍しい顔がいた。去年、関係が険悪となり、さんざん煮え湯を飲まされた女生徒AとB。彼女らは卒業を間近に控えている。

OSS:「やぁ、久しぶりだね」(さわやかに)
A:「はぁ? あぁ…そうね」(話しかけられるのが心外といわんばかりに)
OSS:「卒業は大丈夫かい?」
A:「まぁね」
B:「先生まだあれしようと?」
OSS:「合気道のことかい? うん、してるよ」
A:(ご苦労さんといわんばかりに)苦笑
OSS:(初回は君らがぶち壊してくれたね。あんな最悪だったのはあの回だけだよ)
A:「先生、カノできた?」
OSS:「ん? カノ?」(「彼女」のことだとわかっててとぼけた)
A:「あ、いい、何でもない」(やれやれといった感じで)
B:「先生、今日やたら荷物が多いね」
OSS:「うん。終わったらちょっと学校に勉強しに行くからね」
A:「うわ、キモ。先生勉強好きなん?」(不快そうに顔をしかめて)
OSS:「ん~、別に好きではないが、嫌いではないね」
B:「…先生、ちょっとは遊び」(同じく顔をしかめて)
OSS:「…何のために?」(さわやかに)
A・B:……………(馬鹿じゃないと? もうあんたとの会話は終わり、あっち行ってといわんばかりの沈黙)

通じ合わないコミュニケーションは不毛だね。しかし、お互い腹の中では嫌いあい、否定し合いながらのコミュニケーションは刺激的だったりする。

お互いの赤裸々な本心をいえばこんなところか。
AB:「おまえ鬱陶しい、どっか行ってくれ」
OSS:「卒業間近なのに、まだ甘ったれてるんだな。その斜に構えた態度が鬱陶しいよ。いい加減、自分自身と向き合ったらどうなんだ」

ところで「遊ぶ」ということは大切なことだと思う。その意味で生徒の言にも一理ある。僕はあまりに遊んでこなかった。とくにこの10年間。だからこれからはできるだけ遊ぼうと思う。しかし、何のために遊ぶのかを踏まえた上でなければならない。人が遊ぶのは、思想や精神のバランスをとったり、ストレスを緩和したり、技能や知識、良質な経験を得るため、あるいは他者と時間や体験を享有することによる相互理解、自他共栄にある。そういう意図がない遊びは単なる現実逃避、自慰でしかない。だから僕は「何のために?」と問い返したのだが、やっぱりこいつは変や奴だ。関わり合いたくないと思われたんじゃないかな。まぁ、そうでなくとも僕の存在自体否定したいようだから、聞く耳を持ってないだろうな。そういう関係にしてしまった原因の一端は僕の未熟さにあるのだが、補じょ校で初めての生徒達、もう卒業、残念でならない。

ついでにこの生徒達にとってつきあっている異性がいることは当たり前のようだが、それもまた考えてみてほしい。

何のためにつきあうのか? もしくは、自分に人とつきあう資格のがあるのか?

時間が惜しいので、これ以上は言及しない。僕を考えすぎだ、そんなこと考えていたら恋愛なんてできないという者もいるだろうが、あえて言わせてもらおう。

異性とつきあうというのは、お互いに高めあいながらも、自分の生き方で相手の人生に責任を持つことだ

考えが浅いから自分の経歴を汚したり、取り返しのつかない失敗をするんだよ。

でも、だからといってそれで終わりというわけではないんだけどね。

そういう存在なら僕は何も言わないし、何も要求しない。そのあり方を守ろうとするだろう。しかしそうじゃないと信じているからこそ、耳の痛いことを言うし、つらいことを要求したりする。

迷い苦しんだ末に行き着いた結論はスタートだった。今の僕は、ぶれてない。

以上

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新サービスに興味

こんばんは、原始の生活を忘れないOSSです。

JRがよくわからないサービスを始めました。

JRとは切っても切れない関係なので、どんなサービスなのか興味を持ち、パンフレットをもらって読んでみたのだが、どうもよくわからない。わからないなりに理解したことは、要するにICなんちゃらが入ったカードをかざせば、改札をスッ!とゴー!!と通れるらしいということ。

……定期券や切符を改札に入れるのはそんなに手間がかかるものなのか?

ほかにもお金をチャージする機能があり、加盟店でかざすだけで支払いができるようだ。最近耳にするお財布携帯、電子マネーというやつだね。

世の中が便利になるのはよいが、この電子マネーには何となく危険なものを感じる。株に代表される投資というのもそうだが、お金というものがどんどん観念的なものになろうとしている気がする。経済のことは詳しくないのだが、実体のない、ただのデータが一人歩きして、気がついたときにはあれは何だったんだろうということになりはしないか。そうなったとき世界的にどのような混乱が起こるのかまったく想像できないが、ただではすまないだろうとは思う。

また金銭感覚が乏しい人には危険ではないか。今回のサービスは子供も利用できるようだが、アナログ感覚がしっかりしてない者にそのようなサービスは教育上好ましくないのではないだろうか(同じ理由から小学生からのパソコン教育も賛成できない)。

いくら便利のよいサービスがあろうと、分をわきまえた、身の丈にあった利用を心がけたほうが良さそうだ。そういうわけで当初JRの新サービスに食指が動くことはなかった。

しかし、今月号のビジネスアスキーでは「クレジットカードは今や重要な節約術だ」とあり、賢いカードの使い方、その中で関東のJRサービスの利用方法が紹介されていた。

確かにクレジットカードをうまく使えば得をする。現にライフカードを一枚持っているが、ほとんど使ってないにもか買わず、携帯やプロバイダーなどの月々の支払いを引き落としで払うようにしているだけで、いつの間にか図書カード2万円分のポイントがたまっている。僕にとって図書カードは現金と同じ価値を持つので大変助かる。

ライフカードは100円単位でポイントがつくので、本当は小さな買い物であろうと積極的に使った方がよいのだろうが、100円の買い物でいちいちサインしないといけないのは何か大げさだ。その点、かざすだけでよいというのならもっと利用するかもしれない。

JRの新サービスにライフカードでチャージして、駅周辺の行きつけのお店で使う。喫茶店のコーヒーや雑誌、お弁当など、現在、現金で払っているためポイントがついていない少額購入も積もり積もればそれなりになる。チャージ額以上は使えないのだから思わず使いすぎてしまうということもないだろう。

いいかもしれない。

そう考え、再度パンフレットを読み直してみると、今のところクレジットカードでのチャージはできない様子。それにまだ行きつけの喫茶店では使えないなど、あまり使い勝手がよろしくない。

アナログ感覚を大切にしないといけないが、サービスは賢く使い、得したいと思うのも人情というもの。自分の根本が定まっていれば容易に流されることはないはず。利用するなら自己ルールを決めて利用してはどうだろう。

とりあえず新サービスの動向に注意しておこう

(でもキャラクターがなぁ…。緑色のゴツゴツした生き物と使いにくそうな時計…。ペンギンいいよなぁ…)

以上

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開脚読書

こんばんは、OSSです。

最近、風呂上がりに柔軟体操を欠かさずするようにしています。

スポーツにせよ、武道にせよ、体の硬い者は高いレベルにはいけない。だから柔軟をすべきであって、風呂上がりにするのが一番効果的だということは前々からわかっていた。しかし、風呂上がりに柔軟をすると汗をかくのではないか、少しめんどくさいという思いがあり、なかなか手を出せずにいた。

しかし、やり始めてそろそろ一ヶ月くらいになるが、なんてことない。冬場だからだろうが、汗なんかかかないし、体と会話しながら柔軟をすると体の余計な力みがとれ、爽快ですらある。これをめんどくさがっていた自分がいかに腑抜けであったか思いやられる。とりあえずの目標は180度開脚した状態で胸を付けられるようになろうと思う。

時に、最近は雑誌を読む時間がない。行き帰りの電車では情報カードをチェックして記憶のメンテナンスをし、余った少しの時間に新書などを読むことを楽しみにしている。読書量が落ちているが、今は良書を一冊ずつ確実に読み込むことを心がけているのでこれでよいと持っている。自分の中にほとんど残らない多読などむなしいだけだ。よって、ただでさえ少ない読書時間、速読ならぬ遅読を実践しているので、必然、雑誌を読む時間がない。週刊アスキー、ビジネスアスキー、THE21、秘伝、AERA、PHP、DIME…etc 読みたい雑誌は多々あるも購入して読まないものもある。

しかし、雑誌は読むのにそんなにまとまった時間は必要ない。1つの記事は短いので記事ごとに読めば短時間で読める。むしろ、雑誌を長時間読む方がどうかしている。

そこで風呂上がりの柔軟後、開脚状態で雑誌を読んでいる。母が食事の支度をしている隣で足を広げ、時々体を前に倒したり、左右に振りながら読んでいる。食事の準備ができたときにやめる。だいたい10分から15分くらいか。雑誌も読めて、柔軟もでき、まさに一石二鳥。

何事にもそうだったが、これまでの一石二鳥はただ行為のみが先行し、気持ちが入っておらず、精神的に不安定になり長続きしなかったが、今回はいい感じで心と体、頭がリンクしている気がする。心地よいリズムで行えていると思うので、近い将来、目標達成できるだろうという確信がある。

ここでも現状突破のきざし

以上

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このまま行けばよい

こんばんは、OSSです。

昨日、この春から勤務することとなる予備校の校長先生との最終面接を終えました。これで春以降の収入は確実となったので、択一模試を受けることができます。

面接では当初、漢文の模擬授業という話があったが、授業をしない個別系の講師を希望したため、その場で面接のみとなった。

この予備校では授業系講師は高給で仕事の自由度が高いが、ほとんどの準備を自分でしないといけなかったりとそれなりにリスクが高い。個別指導系講師は予備校の用意するテキストを使い、決まった勤務時間に仕事をする。高給がねらえるわけでなく、好き勝手できるわけではないが、そこそこ安定している。時間的拘束もほぼ勤務時間だけ。本業を考えるとその選択肢しかない。

あくまでも本業は司法試験受験生。予備校講師は勉強法の研究実践のためと糊口をしのぐためにやっているに過ぎない。まぁ、だからといって、なおざりな仕事をしようという気はさらさらないが。

五月に択一がある。それが終われば論文。その後は、次の年の受験と法科大学院の準備をしないといけないと考えている。予備校講師は男子一生の仕事に値するとは思うが、僕にはやらなければならないことがある。

校長先生の口ぶりから察するに、漢文の成績がすこぶるよかったようだ。当然、満点だったという自信がある。しかし、長い時間費やした現代文や古文より成績がよかったのは皮肉なことだ。

原因ははっきりしている。壁を越えたからだ。

一月より二月。二月より三月。気力、体力、精神力の向上が感じられる。現代文や古文を受けた時より、先日漢文を受けたときの方がはるかに心身ともに充実していた。だから長年認識して手を出さずにいた漢文の死角、四十項目ほどをテスト前に一気に修得できた。今の僕は受験のための漢文知識は十分なレベルに達しているという自負がある。よい成績も当然だろう。

先日、過去の択一模試を受け直してみた。憲法と民法はあと少しで安定的に合格レベルを超えられそうだが、刑法は未だ海のものとも山のものともつかないでいる状態。

しかし、それも後は時間の問題。

法律に限らず、これまでの学習はザルで砂を積み上げるような学習だった。それでもこれまでの学習の後を見るに付けてもその努力は我ながら感心する。しかし自分の中に、ある種の壁があり、確実には身につけられずにいたのが残念だ。

しかし、今は違う。10年の停滞の中、もがき苦しみながら試行錯誤して得た精神状態、編み出した学習理論とその方法論が壁を越えるきっかけとなった。

後はこのまま行けばよい。大成するのは時間の問題だ。

以上

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オーラがない

こんばんは、OSSです。

今日、補じょ校の生徒からいわれた。

「先生にはオーラがない」

言われてすぐにカチンときた(未熟な奴…)

生徒のいうオーラがどんなものなのかよくわからないが、言わんとしていることは何となくわかる。つまりその生徒にとって僕はいてもいなくても同じ、存在感がないと言いたいのではないだろう。そんな風に言われる程、生ぬるい生き方はしてない自負がある。

本人何気なく言ったつもりだろうが、返す返すも腹立たしい。それは僕だけでなく、僕を育み、導いてくれた両親、恩師、先達の方々、そして僕を先生と慕って僕のメッセージを受け取ってくれた後進に対する侮辱だ。

しかし、そうは思うものの、自分自身心当たりがなくもない。

当初、補じょ校の門をたたいたばかりの頃は、生徒に自分自身と向き合い、人生の意義を考えてもらおう、その先にある希望を自分の力でつかんでもらおう。それこそ彼らが真に求めているものだ。そして、それは補じょ校の生徒だからこそできることだ。僕はそのための手伝いをしようと思っていた。

しかし、何かを伝えようとする僕は、彼らにとって道化でしかなく、それを無理に伝えようとすればするほど、僕は侮蔑の対象になっていった。

一時期、一部の生徒達との関係が険悪となり、その生徒達が出席する授業は荒れに荒れた。幸い、その生徒たちはコース変更をしたので顔を合わせることはなくなったが、そのことに懲りた僕は傍目から見ても明らかにわかるほどトーンダウンした。

正直、今の僕は補じょ校の生徒に何をしてやればいいのかわからないでいる。なだめすかしながら、受けても受けなくとも大差ない適当な授業をし、テスト前にほとんど答えを教えるようなことをして何とか卒業資格を取らせる。しかし、本当にそんな指導を受けたものは高卒資格があるといえるのか。「補じょ校は金で資格を買うようなもの」と評する人がいるが、それはある意味正しいと思う。

今僕が補じょ校にとどまっているのは自分のためでしかない。偏狭なものの見方しかできない僕が幅のある人間になるために、理解不能な人種を観察するためにここに踏みとどまっている。必然、キャンパス内をフワフワ漂うだけ、「オーラがない」と言われ、嘗められるのも無理からぬこと。

しかし、それをしょうがないとする気はさらさらない。

補じょ校での体験を糧に誰もが一目置く、件の生徒が自らの発言を恥じるほどのオーラを発する存在になって見せよう。そうなれば、僕のメッセージももう少し受け取ってくれるのではないかと思う。

人のことをとやかく言う前にまず己。

全方向に、精進!

以上

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堅いガード

こんばんは、血の通う朴念、OSSです。

異性から意味深なメッセージをいただいた。

かつての僕ならわからないふりをしてとぼけるか、無視を決め込むところだが、さすがに30年以上生きていると人がましくなるもので、対応を間違えないように慎重を期した。

・・・・・・

うまくいったようだ。

人間何事も経験だね。源氏物語よんでてよかった…たぶん

さて、心穏やかに勉強、勉強。

以上

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