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謎の蕁麻疹の原因

こんばんは、OSSです。

ここ最近、原因不明の蕁麻疹に苦しんでいました。

仕事中は出ないのだが、帰宅途中、電車の中あたりで何となく痒みを覚え、家で確認すると発疹が出ているといった具合。病院に行っても原因はわからなかった。しかし、先生の言った一言にピンとくるものがあった。

曰く「ストレスが原因で蕁麻疹が出ることもある」

思えばここ数年、何度か謎の蕁麻疹がでたことがある。そういうときは補じょ校でトラブっていた時だったのではなかろうか。今、一部の生徒が原因で、授業中に手や足が震えるほどの怒りを覚えることが頻繁に起こっている。それが肉体をむしばんでいるのではないだろうか。10年前も突然アトピーを発症したことがあったが、それは間違いなくストレスが原因だったと認識している。

そうとわかれば長居は無用。

今年いっぱいで辞めさせてもらえないだろうか。いや、辞めよう。予備校の仕事が忙しいとか、勉強しないといけないとか理由はつけて。それが理由にならなければ、蕁麻疹のせいにしてもいい。そういう考えをここ数日もっていた。キャンパス長の先生に切り出すタイミングねらっていたのだが…、

やめた

いろいろと思うことがあって、ボロボロになろうとも契約満了までしのごうと思っている。

本当に、本当にしんどいんだけどね。

以上

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どうにもこうにもキツイ

こんばんは、OSSです。

聞くところによると、夏の疲れは秋に来るらしい。

最近、どうにもこうにもキツイ。

朝は四時、五時に起きて将来のための勉強をしないといけないと思うのだが、一度眠ると泥のように寝入ってしまい、起きるに起きられない。ここ最近は起きる時間が徐々に後退している。このままでは遠からず遅刻してしまうのではないかと恐れている。

かつて、僕より一足先に社会人になった人が、「社会は厳しい」「働くのは大変」などといって本人曰く「ストレスで太ったりする」と言っていた。

過酷だな、そういう中で生き抜いて行くにはやはり信念が必要だなと確信しつつも、心の片隅では自己管理の問題ではないかと思ったものだった。それから10年以上たち、今年ようやく社会人らしい生活を送っているが、なるほど大変だ。予備校業務は肉体的にきつく、補じょ校業務は精神的にきつい。

しかし、その中で耐え、時に倒れ、寝込み、また耐える。そういう生活をしていると徐々に体が慣れてくる。当初、一日の予備校業務終了時にはいつも気分が悪くなっていたものだが、最近はそこまでなく。むしろ、仲のよい講師の先生達や生徒達との触れあいが楽しい。相変わらず補じょ校業務は性に合わないが、それでも幾分精神的に強くなり、打たれ強くなっているのを感じる(ちなみに、前回、授業中に怒鳴り上げて私語を注意した生徒は授業に出なくなってしまった。要するに、逃げたんだよな。いろいろなことから)。

確かに社会人は大変だ、仕事はキツイ。しかし、だからといって道を踏み外したり、目的を忘れたりしない。

いつか、「大切なこと」を伝えられる人間になりたいと思っている。

以上

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いつかの補じょ校

こんばんは、補じょ校から撤退する気のOSSです。

最近の補じょ校の雰囲気に耐え難いものがあります。

これまでの生徒は、悪い悪いといわれてもまだ人の心があった。しかし、今年入学した1年生の女生徒達の一部は悪さの質が違う。

例えば、授業中は当然だが、休み時間にも先生が電話中や来客時には静かにするよう言われる。先日、一年生の女生徒グループがキャンパス内にポータブルゲーム機を持ち込みぎゃーぎゃーと大騒ぎ中、キャンパスに電話がかかった。電話が鳴ったことに気がつかないはずはないが、まったく騒々しさは衰えない。たまりかねて先生が静かにするように声をかけるも、まったく効果なし。本当に聞こえないかのような完全無視。僕なんかはその無視の仕方に非人間的な悪意すら感じている。結局、数名の先生が集まり、何とか静かにさせた。

そういう輩がいるせいだろう。今まで大人しかった生徒までハメを外すようになった気がする。それが対抗意識なのか、自己保身なのかは知らないが、キャンパス内の雰囲気は明らかに悪くなっている。

そんなこんなの僕の授業。毎回、ペラペラ、ペラペラと普通の声で私語をやめない女生徒いた(前々回のキメェ、ウゼェ、マジムカツクとは違う)。1人でいるときは大人しいのに、仲間がいるとやりたい放題。これまでは何度も何度も注意し、なだめすかしながら、何とか授業をしていたが、もう、さすがに我慢する気になれなかった。

板書を途中で辞め、ドスをきかせて「オイ! いい加減しゃべるのやめろよ!」

女生徒は黙った。

「嫌だったら、出てってもいいぞ」

「いやいやいや…」

しばし、沈黙して女生徒見る。そうすると女生徒は目を合わせず一言、「ウゼェ、ぶち切れやがった」

ここまで言うつもりはなかったが、その一言が火に油を注いだ。

「おまえ出てけ」吐き捨てるように言うと女生徒は反射のように小さい声で「うるせ」とつぶやいた。

女生徒の席まで行き、机ごと蹴り上げたい衝動に駆られたが、そこまでやるのはやり過ぎだと思い、止まった。メッセージのない怒り方はただの暴力でしかない。

それ以降、女生徒達はあからさまな私語はしなくなった。しかし、僕はなかなか感情が安定しなかった。いかなる場面でも冷静沈着であることを美徳だと思っているので、感情に流されることなどあり得ないと自負していたが、またも「ウゼェ」や「うるせ」の暴言を言われたことに対する怒りの感情を抑えようとすればするほど、手が震え、足が震えた。

その時に深呼吸をした。予想以上に効果が絶大だった。怒りを抑え、冷静になるには深呼吸をすればいいということを身を以て経験した。

何食わぬ顔をして授業しながら決意した。授業が終わったら女生徒を残して話をしよう。

言いたいことは二点ある。嫌なことから逃げるな。逃げるからおまえは年相応の成長ができずにいんだ。それから人に対して、特に目上の人間に、しかも先生と呼ばれる人間に「ウゼェ」とか「うるせ」などと暴言を吐くな。その一言でどれだけのものを自分が失っているのか考えろ。この二点をどういう風に言えば相手に届くか、授業をしながら考えていた。

授業が終わり、件の女生徒が板書を写したプリントを僕の所にもってきた。話があるから教室に残っているようにと言おうとしたとき、

「先生、今日はゴメンね」と女生徒はしおらしく謝ってきた。

「^-^うん」反射的に満面の笑顔で許してしまった…

正直、意表を突かれた。まさか謝ってくるとは思わなかった。計算してやっているのなら僕よりも一枚も二枚も上手だが、そうではないのだろう。生徒は僕が考える以上に子どものようだ。

職員エリアで同僚の先生にお礼を言われた。先生が一喝してくれたおかげで、しまった授業になっていたと。どうも一部始終を見られていたらしい。僕としては釈然としていないのだが、僕が取った行動を生徒の中にも少なからず評価する雰囲気があった。授業後、何名かの生徒が親しみを込めて話しかけてきてくれた。

そんなこんなで、午後の授業の準備のため、コピーをとっていると、去年から受験対策で教えていた男子生徒が「先生、先生」と僕を呼ぶ。どうしたのかと思うと「合格しました」と言うではないか。先日推薦入試を受けていたが、合格通知が届いたらしい。キャンパス内の先生達全員が大喜びした。僕は力が抜けそうになった。よかった。本当によかった。

今期、受験指導をしている生徒の中で最初の大学合格者がでた。この勢いで二人、三人と合格させようと、意気揚々教室に行くが誰もいない。一番いないといけない子がいなかったので、担任の先生に確認すると、生徒は今、難聴で片方の耳が聞こえないらしい。だから帰ったそうだ。

心因性難聴

極度のストレスが原因で起こる症状。よく知っている。

片耳が聞こえないのなら、もう片方の耳で聞けばいいと思うのは酷いことだろうか。まぁ、生徒の感じているストレスは僕が思う以上なのは間違いない。

補じょ校にはいろんな理由の生徒が集まっている。彼らの抱えている闇は深い。

補じょ校との契約は今期限りで、来期の契約はしないつもりだ。受験生がいないのなら今年いっぱいで辞めさせてもらえないかとも思っている。補じょ校では、いい勉強をさせてもらっているが、ここは今の、何者でもない僕がいていい所ではない。

以上

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地雷は踏まない

こんばんは、OSSです。

もういっぱいいっぱいの生活が続いています。

今週の金曜日は荒れる補じょ校があり、夜は小規模な塾で中間テスト前最期の個別指導。精神的にも肉体的にもきついが、何とか乗り越えなければならない。

時に、先日読んでいた「心の護身術」が読み終わった。傷つかないよいうにするには非人情に徹することであり、その為のテクニックが紹介されていた。

しかし、それに違和感を覚えた。

確かに紹介されたテクニックを駆使すれば傷つかないかもしれない。しかし、それは心が通ったコミュニケーションといえるのか。相手に対して失礼ではないか。有効な方法論ではあるかもしれないが、それを実行することにすくなからず抵抗を覚えた。

しかし、話の通じない人間がいることは確かであり、傷つけられるのも確かなこと。

そんなことを考えていると予備校で同僚の先生が言った一言。

曰く「地雷は踏まない」

予備校で僕のことが眼中にない、気になる生徒のことを先生と話題にすると、先生もその生徒のことが気になっていたそうだ。しかし、先生はあえてどうこうするつもりはないという。言っても聞かないというオーラがありありであり、ヘタに手を出すとやけどすることはわかっているという。地雷は踏まない。

それは先生と呼ばれる者としていかがなものかという多少の反発を覚えなくもなかったが、それ以上に何かピンと来るものがあった。

確かに地雷が埋まっていることがわかっているのに好き好んで踏みに行く必要はあるまい。例えるならば、これまでの僕は地雷があることをわかっていながら、そのことを認めず、地雷を踏んで大けがしてから、なぜ爆発するのか、なぜ地雷なんてあるのかと、その存在とその奥にある、一個人にはどうすることもできない大きなものと戦おうとしてるようなものだったのではあるまいか。それが、僕の使命であるのならそれもよいだろうが、それは僕のするべきことではないとはっきりわかる。

また、通勤中に何気なく手に取ったフリーペッパー。

善意で野良犬を何匹も保護し、山奥で養っていた人が亡くなったらしい。現在犬たちはボランティアの人たちによって継続して養われているが、人手が足りないらしくボランティアを募集するとのこと。しかし、過酷な環境のためボランティアはすぐに音を上げ、辞めていくそうだ。だから募集にはその過酷な環境が包み隠さず語られているうえで募集があった。覚悟して応募してくださいと。

その中の記述に目がとまった。

「犬たちの気性は野生です。愛玩犬ではありません。吠えられまくることを覚悟して下さい」

僕は犬に吠えられても何とも思わないが、人に吠えられ、時に傷つくのはなぜだろう。

信頼しているから、心があると思うから、思いは伝わると思うから、それが絶望的に叶わないと感じると傷つく。それでは、はなから期待しなければよいのではないか。野犬のような人間にはドラスティックに対応すればいいのではないか。それは単なる自己保身ではない。

うまく言えないが、大切なことを気づこうとしている気がする。

このことはもう少し考えたい。

以上

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