地雷は踏まない
こんばんは、OSSです。
もういっぱいいっぱいの生活が続いています。
今週の金曜日は荒れる補じょ校があり、夜は小規模な塾で中間テスト前最期の個別指導。精神的にも肉体的にもきついが、何とか乗り越えなければならない。
時に、先日読んでいた「心の護身術」が読み終わった。傷つかないよいうにするには非人情に徹することであり、その為のテクニックが紹介されていた。
しかし、それに違和感を覚えた。
確かに紹介されたテクニックを駆使すれば傷つかないかもしれない。しかし、それは心が通ったコミュニケーションといえるのか。相手に対して失礼ではないか。有効な方法論ではあるかもしれないが、それを実行することにすくなからず抵抗を覚えた。
しかし、話の通じない人間がいることは確かであり、傷つけられるのも確かなこと。
そんなことを考えていると予備校で同僚の先生が言った一言。
曰く「地雷は踏まない」
予備校で僕のことが眼中にない、気になる生徒のことを先生と話題にすると、先生もその生徒のことが気になっていたそうだ。しかし、先生はあえてどうこうするつもりはないという。言っても聞かないというオーラがありありであり、ヘタに手を出すとやけどすることはわかっているという。地雷は踏まない。
それは先生と呼ばれる者としていかがなものかという多少の反発を覚えなくもなかったが、それ以上に何かピンと来るものがあった。
確かに地雷が埋まっていることがわかっているのに好き好んで踏みに行く必要はあるまい。例えるならば、これまでの僕は地雷があることをわかっていながら、そのことを認めず、地雷を踏んで大けがしてから、なぜ爆発するのか、なぜ地雷なんてあるのかと、その存在とその奥にある、一個人にはどうすることもできない大きなものと戦おうとしてるようなものだったのではあるまいか。それが、僕の使命であるのならそれもよいだろうが、それは僕のするべきことではないとはっきりわかる。
また、通勤中に何気なく手に取ったフリーペッパー。
善意で野良犬を何匹も保護し、山奥で養っていた人が亡くなったらしい。現在犬たちはボランティアの人たちによって継続して養われているが、人手が足りないらしくボランティアを募集するとのこと。しかし、過酷な環境のためボランティアはすぐに音を上げ、辞めていくそうだ。だから募集にはその過酷な環境が包み隠さず語られているうえで募集があった。覚悟して応募してくださいと。
その中の記述に目がとまった。
「犬たちの気性は野生です。愛玩犬ではありません。吠えられまくることを覚悟して下さい」
僕は犬に吠えられても何とも思わないが、人に吠えられ、時に傷つくのはなぜだろう。
信頼しているから、心があると思うから、思いは伝わると思うから、それが絶望的に叶わないと感じると傷つく。それでは、はなから期待しなければよいのではないか。野犬のような人間にはドラスティックに対応すればいいのではないか。それは単なる自己保身ではない。
うまく言えないが、大切なことを気づこうとしている気がする。
このことはもう少し考えたい。
以上
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