合気道稽古記録

仕事前に朝稽古

こんばんは、OSSです。

択一のプレッシャーから解放された今日この頃。今日はこの春から挑戦しようと思っていたことを挑戦しました。

それは本部道場の朝稽古に参加すること

せっかく職場が道場に近いのだから行かない手はない。そういうわけで、朝の四時に起き、始発に乗って職場と道場のある街へ繰り出した。

道場にはいると、内弟子の先生が事務をされていた。出稽古に来た旨を伝え、出稽古料を払い、早速着替えて道場入り。数人の人たちと一緒に稽古した。

しかし、予想以上に体力は衰えていた。

普段子供相手のなぁなぁな稽古しかしていないものだから、朝稽古の軽めの稽古ですら数十分で根を上げた。そして、そこからが長かった。疲労困憊で、早く終わらないか、早く終わらないかと時計ばかり見て稽古したのは何年ぶりだろう。

自由稽古をお願いします

先生の指示が出たとき、耐えられずトイレに駆け込み吐く始末。情けない。

少し休んで、若干体力を回復させ、最期の最期に稽古に復帰。もう散々でした。

帰る間際、内弟子の先生に稽古をつけていただいたお礼と我が身の不甲斐なさをお詫びし、来週も来ますと宣言して道場を出た。勤務と稽古時間の関係上、朝稽古は今日の曜日しか参加できない。

職場について、講師控え室でお茶を飲んでいると、同僚の先生から「どうしたん? 顔が真っ青やない?」と言われる。半日、死んだように仕事してました。

まぁ、現状突破、社会復帰の第一歩です。

以上

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稽古熱

こんばんは、OSSです

毎年、この時期。私は子供クラスの六年生に卒業祝いとして木刀を贈っています。木刀には懇意にしている武道具店の主人に一人一人の名前と言葉を彫ってもらっている。今年の言葉は論語からとった。渡すときにその意味を教えて渡したのだが、難しくてよく理解できていないようだった。でも、それでいいのです。私は彼らの十年、二十年、もっと先の将来を思い、言葉を選んでいるのだから。いつか、彼らが大人になったとき、私が贈った言葉をどのように解釈できる大人になるのか楽しみです。願わくば、人の真心を受け止められる大人であってほしいと思います。

さて、そういうわけで二月の稽古はだいたい木刀の稽古となる。平素、子供クラスでは武器技はあまりしないので、子供たちの中には熱心に稽古する者が多い。その中でも、六年生は私が贈った木刀を誇らしげにもって道場入るする。ほほえましい限りです。

しかし、今日は少々事件が起こった。武器技の時は特に気をつけているのだが、けが人が出てしまった。

けがをしたのはいつも指導の補助をしてくださっている女性。子供が振った木刀が眉間に当たり、かなり出血してしまった。額に絆創膏を貼る処置をしたが、若い女性なだけに傷が残らないよう、師の判断で稽古中に病院へ行くこととなった。

けがをさせてしまった子は合気道だけでなく剣道もしている。そのため合気道の素振りとは若干違う、手首を使った素振りをする。私は子供ながらに鋭い素振りをするので改めさせなかったが、今回それが徒になったようだ。また、その子の振っていた木刀は去年私がその子の兄に贈ったもの。合気道用の木刀は通常の木刀より重い。コントロールしきれなかったのだろう。

師から子供クラスを任されている私の監督責任はとりあえず置いておくとして、今回のことは子供クラス、特に当事者たちにとってよい経験になったと前向きにとらえたい。稽古終了後、私は子供を連れて負傷した女性に謝りに行かせた。女性は子供を注意し、子供は泣いてしまい、スマートな和解ではなかったが、起きてしまったことを軽く流されるよりよかったと思う。双方、いろいろと考えるだろう。

私は子供が木刀をしまおうとしているとき呼び止め、その木刀に刻まれている言葉の意味を教えた。本来、その子の兄に贈ったものだが、今はその子にぴったりだと思った。なんと話したのかは割愛。

話変わって、最近、武道関係の本を何冊か読破したので、稽古熱が高まっている。私の技は10年間、ほとんど成長していない。原因の一つにどの方向で成長していいのかわからなかったというのがある。しかし、今回、いろいろとヒントを得た。

今注目しているの「流体」

「合気道は簡単に死角に入ってきて、サクッとくるから怖い」とある武道家が言ったとか。また、合気道に蹴りがないのは多人数を想定し、あえて蹴りを捨てたのだという。蹴りにせよ、突きにせよ、その動作はその場に居着かないとできない。それは攻撃されない者にはスキでしかない。

なるほどと思った。居着いていない者は捕まえがたい。たとえるならば、水の中の魚は捕まえにくい。また、同じ方向に体全体を動かせば流線形とまではいかないが抵抗は少なくなる。合気道の達人のエピソードに人混みの中、人とぶつからずにスルスルと移動して行ったという話があるが、それが原理なのかもしれない。

さらに、理想はただ立った状態、座った状態でも居着かない。前に道場にいた高段者の方が、座った状態で自分の頭を押してごらんという。ふつう、その状態から頭を押せば簡単に転がされそうなものだが、うまく押すことができなかった。居着いていないものは水袋のようなもの。こちらが押せば、それを体内で拡散して無化してしまう。それが原理だったのであるまいか。

とりあえず、簡単に打撃の的にならないようスルスルと動けるようになろう、と思い、今日の後稽古の一時間、道場内を走りまわっていた。半身を崩さずにできるだけ高速移動。足の入れ替え時に後ろ足が二度、畳を蹴るのを何とかしたいのだが、そこそこ早く動けるようになった。しかし、早さを追求するとスキップになってしまう。

うーむ、何か違うが研究方向としては悪くない。ここでも現状突破の糸口をつかんだ。

以上

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表舞台

こんばんは、OSSです。

今日は初稽古に参加しました。

道場入りし、まずは皆さん一人一人に「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と新年のご挨拶。

稽古が始まり、子供クラスの指導でもまずは挨拶。私は子供を子供扱いしないようにしています。ですから子供相手に全力で挨拶。その際に少し話をさせてもらった。

曰く「昔から一年の計は元旦にありという。一月一日のあり方がその年を大きく左右する。先生は毎年、その日に今年はどんな年にしようかなと考えるんだが、今年は『約束を守る』ということを心がけようと思った。

人との約束を守ることは当たり前だな。守れないのは未熟な人間だ。約束を守れない人間というのはだいたいできもしないことを約束するものだ。一人前の人間なら自分に何ができて、何ができないのかわかるから、できない約束などしないもんだ。

まぁ、先生がいう約束を守るとはそんなことではない。

先生は自分との約束を守ろうと思う。人とする約束は守れるが、自分とする約束はなかなか守れない。今年の先生はそれができるようになろうと思ってる…云々」

と後から振り返ると未熟な人間の偽善だと自己卑下しそうだが、偽善を演じられるだけ立派ではないかと思う。あとは精進あるのみ。

技の指導は新年最初の稽古なので基本に忠実に、逸脱は少々にとどめておいた。

時に、公然と誰も口にしなかったが、昨年、我々は大切な人を失った。その方のおかげで今まで稽古できていたと言っても過言ではない。

私はその方の穴を埋めるべく、表舞台に出ることを決意した。これまで建前上、司法浪人であること、本音では傷心の自分を隠すため、縁の下の力持ち的な極力目立たないところで活動してきたが、これからはそれは許されない。人に指摘されずとももうわかっている。

だから表舞台に出る。名乗りを上げよう。

本部道場の総師範をはじめ、お弟子さん方、他道場の指導員の先生方にも、あの道場にOSSありと認識してもらえるよう、積極的に存在をアピールし、名を売るつもり。

10年間猫をかぶり続けたが、そのあり方はもはや限界。これ以上続けても行き着くところはたかがしれているし、そんなもの望まない。現状を突破するため、本当の自分を出さねばなるまい。

以上

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最近の道場事情

こんばんは、OSSです。

最近、ゼミのおかげで道場から遠ざかっています。

子供の指導は穴を開けると迷惑がかかるので、極力穴を開けないようにしていますが、、ここ数ヶ月、指導が終わるとすぐに電車に飛び乗るような感じでした。だから、悲しいことに最近の道場事情に疎くなっていたりする。

先週は、近くの大学が道場を会場として演武会を行った。そういうイベントがあるということは前々から聞いていたが、直前まで参加するのかしないのか返事をしていなかったものだから、当日のこのこ出て行くとぶっつけ本番で演武するはめになった。

まぁ、受けをとってくれた人とは何度か演武をしたことがあるし、有段者だし、奇抜な技をしなければ確実に受け身をとってくれると信頼できる人だから心配なかった。それに最近は何となく技が無意識に出る。だから攻撃パターンは受けの人にお任せして、技はそのときの気分でするからといって決めなかった。演武的にはどうかと思うが、ぶっつけ本番でする場合は下手に技を決めておくとそれを意識して動きが悪くなるだろうから、それでいいじゃないかと思う。

演武をしたので、でかい顔して大学主催のレセプションに参加。OSSさんにこんな席で会うのは久しぶりと関係者から言われる。そういえば、道場以外にこういう席に出席しなくなってどのくらいたつだろう。自分の大学の演武会にすら出席しなくなって久しい。忙しかったり、日程が合わないなどの理由はあるが、生き方が定まっていないことに対する気後れがあることは否定できない。

レセプション後は師のお供でさらに道場関係者と飲み歩く。

酒の席で、今度の審査で兄者が二段を受けるかもしれないと言うことがわかった。これまで師は兄者の二段受験を止めていたのだが、今回は「受けてもいいよ」とおっしゃった。僕的には「受けてもいい」とは「受けなさい」という意味だと解釈したのだが、兄者は受けるかどうか迷っていた。そこで兄者に受験を決意させるべく、その場で次回の稽古では二段審査の特訓のお手伝いをさせていただくと申し出た。

そして、今日。兄者の特訓をお手伝いした。

その前に子供の指導。師は仕事の都合で今日の稽古にこられないことを知っていたので、オープンフィンガーグローブ人数分とミットを持参して道場入り。打撃の練習と称してボクシングもどきを子供たちに教える。「拳はインパクトの瞬間だけ握り込む」「ストレートは体重を乗せろ!」「打撃はリズムだ!三三七拍子!」「諸君のパンチは軽いのだ!」。完全に合気道ではなく独自路線。まぁ、鬼の居ぬ間に洗濯と言うやつです。後半稽古ではちゃんとした合気道の指導を受けました。

そして後稽古で兄者の特訓。

座り技を中心に短刀取りと二人掛け。受け身をとってみたが驚いた。

うまくなっている!

受け身をとりながら師の言葉を思い出した。

「あんたは必ず二段にするから心配せんでいい」

師は、かつての鈍く重い兄者の技から、今日のこの日がくることを知っておられたのか。失礼な話だが、僕は年齢的にも兄者はもう変わらない、完成したのだと思っていた。しかし兄者は成長した。師曰く「もっともっとうまくなる」。そして、酒の席で師は兄者に言っておられた。「OSSさんの子供の指導をよく見ておきなさい。先ではあんたがすることになるだろうから」。

予想外なことだったが、これからの兄者の成長から何かを学べそうで楽しみだ。刮目せねばなるまい。

以上

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受身と招待状

こんばんは、OSSです。

高段者の方と稽古をすると容赦がない。こいつなら手加減せんでもいいだろうと思われるのか、投げがシビアだったりする。

今日は両肩取りの呼吸投げで顔面から落ちた。

しかし、そこは然る者。

空中でこの角度はやばいなととっさに判断し、まず手の甲で畳を叩く、そしてそのまま前回り受け身でことなきを得た。誰に習ったわけでもない、変則的だが理にかなった受け身を瞬間的にとってしまう自分。合気道歴16年は伊達ではありませんな。

華麗な受け身をとり、皆の賞賛を受けるかと思いきや、誰もみていなかった…

惜しいことをしました! 皆さん、さっきの受け身は滅多にみられる代物ではありませんでしたぞ><  と心の中で一人ごつ。

時に、先週は父の日だったので、妹と甥がやって来ていたこともあり、子供の指導だけで稽古を失礼した。更衣室で着替えていると、異体君が封筒を袱紗に包み、僕のところにやってくる。

「OSSさん、これ招待状です」

最初、異体君の出身大学のイベントに招待してもらえるのかと思ったが、やけに封筒が豪華だった。

「え?これは何の招待?」
「私、このたび結婚することになりまして」
「へぇ~!」

まさか、異体君の結婚式に招待されるとは思わなかった。僕を招待してくれるくらいなのだから師は当然として道場の人みんな招待しているのかと早合点。

「道場の人みんな呼んでるの?」
「いやぁ~…」

しまった…。呼ぶわけないやん。

こういう気が利かないところが、僕の悪いところだと反省した。しかし言い訳をすれば、このとき明日の補じょ校の授業をどうするか考えていて憂鬱になっていたので、いろんな角度から考える余裕がなかった。僕が自分の道をしっかり歩いていれば、こんな思いをせずにすむものを。根本的な問題は弁護士でない自分にある。

是非、参加させてもらうと返事しておいた。

おそらく異体君の目的は師をお招きすること。しかし、師一人ではお楽しみいただけないと思い、道場で師のお手伝いをしている僕をも招待してくれたものと思った。うん。なかなか考えていると感心した。

そして今日、師に異体君の結婚式に招待されたことをお話しすると、道場のほとんどの人が招待されていたことが判明。なんと兄者まで招待されていた。

異体君は他の道場でも重要人物。当然、他の道場の人も多く参列することになるだろう。関係者ばっかりになりそうだ。

司会教室に通い、ウェイターのアルバイトをしたことがので、結婚式は人並み以上に経験がある。その裏も表も知っているが、今度の結婚式は最高に楽しめそうだ。

以上

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愛語

こんばんは、OSSです。

今日は久しぶりに合気道の子供達のことなど少々…

先週、子供達の審査が終わりました。審査が終わった後、新中学生は子供クラスから大人の方で稽古をつけてもらうことになります。今年は七人が子供クラスを巣立っていった。

稽古前に道場入りしていた数人を連れ、今日から大人の方で稽古をつけてくださいと師にご挨拶。新中学生は緊張の面持ちであった。

稽古が始まる。今まで子供クラスではわいわいがやがやと気楽に稽古ができていたが、大人の方ではそうはいかない。大人の隣で私はいつも通り子供達を教えながら新中学生達が上手くやっているか、横目でハラハラしながら見守っていた。彼らは、とまどいながらもそれなりに稽古についていっていた。

さて、残った子供達。これから少々厳しく指導しようと思う。ここ最近、自分自身の信念が揺らいでいたため、子供達にあまり厳しく指導してこなかった。そのためか、かなりゆるんでいるきらいがある。体操中に死語をしてくすくす笑いをする者、稽古中に道場を走り回る者、なぜか泣いている者etc

信念に対する迷いも一応の解決を見たことから、これからは特に上級生を中心に、私の人生哲学に裏打ちされた熱い指導を心がけようと思う。

稽古が終わる。私は新中学生達を集めて、大人の方での稽古の感想を聞いてみた。彼らは私と話すときはホッとした顔をする。「痛かったです」と口々に技の厳しさを訴えてきた。私はそれをほほえましく思った。

彼らは子供クラスではない。もうこれからは私は彼らに口うるさく注意することはない。彼らが身を以て経験したこと一つ一つが自らの血肉となる。そのことを告げたうえで、私は最後だと断り、新中学生達に話をした。

曰く「決まりの意味を考えなさい」

中学生ともなるといろいろな決まりに従わないといけなくなる。制服を着るというのも一つの決まりだ。中にはこの決まりを破る者がいる。制服を改造したり、変な髪型にしたり、たばこを吸ったりと、こういう者は不良といわれる。決まりには意味がある。大人は馬鹿じゃない。どんな決まりにだってちゃんとした理由があってつくられる。その意味を考えるようにしなさい。そして、それでも決まりを破るというのなら、それ相応の覚悟をして破りなさい。それができずに簡単に決まりを破るのはただの愚か者だよ。

最後の話だと断ったためか、新中学生達は真剣な眼差しで、その表情は引き締まっていた。誰一人、私から目をそらす者はいなかった。よい教え子達に恵まれたと思った。

いつか、これまで私が教えてきたことの本当の意味がわかるときが来ると思う。そのときに、私が君たちを本当に大切に思っていたこともわかってくれるのではないかと思う。

実り多き、青春時代を送ってください。

以上

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2008年初稽古

こんばんは、OSSです。

日曜日に初稽古に行きました。

師をはじめ、道場にいらっしゃった大人の方々に新年のご挨拶をしてまわり、稽古が始まると子供達にも挨拶しました。毎年、初稽古に私は子供達に今年の抱負を話しているので、今年も話をさせてもらった。

曰く「今年は一つ一つ、確実にできるようになろうとおもう」

正直、大学を卒業して以来、明確な目的を持って稽古してこなかった。ある時は精神的なものに傾倒し、ある時は強さを求め、またあるときは、見た目が派手な技ばかりを追い求めることもあった。原因はいつも司法試験や心にかかることにどこか気をとられ集中できないのが原因だった。そう、今年の注目キーワードは「集中」。

「一つ一つ、確実に」と言ったが、そのためには集中しなければならない。集中して、一つ一つの技を吟味し、磨き上げ、これからの自分の方向性を模索したいと思う。それは何も合気道に限らず、法律の学習、仕事も同じである。

そのように思い至ったきっかけは、年末の出張時の興味深い体験にある。テキストの問題の解説だけすれば、事足りるのだが、案の定、基本が皆無の箸にも棒にもかからない者が何人もいた。そこで、しっかり勉強してきた生徒達が問題を解いている間に基本事項の講義をして、問題が解き終わる頃に問題の解説をするという一人二役の授業をした。当然、その準備も二倍時間がかかる。一つの講義が終わると、必死になって次の講義の準備をするような自転車操業で三日間をしのいだ。そのときはさすがに追い込まれていた。

講義の規定回数を半分過ぎた頃に疲労を感じ、部屋のベットに少々横になった。ほんの十五分ほど横なるつもりだったが、そのまま寝入ってしまった。目が覚めたときにしまったと思った。感覚的には一時間は寝たような気がした。しかし、実際は十分しかたっていなかった。

集中力は物理的な時間を超え、能力アップにも資する。今年はこの集中にこだわってみようと思う。

初稽古は基本技がふさわしい。しかし、普通に稽古したのでは子供に飽きられてしまう。そこで、今回はちょっと工夫した。題して「人助け合気道」。

通常、合気道は二人一組で技をかけ合うのだが、今回は三人一組になったもらい、その中の一人が、一人の胸ぐらをつかむ。フリーの人間が二人に介入し、合気道の基本技で収めるというようにしてみた。子供達は楽しんで稽古をしてくれた。

稽古の最後に聞いてみた。「諸君らは今日、何を習ったのかね?」。

答えられる者はいなかった。私は「軽い稽古しかしない者は、軽いものしか積み上がらない。一回一回の稽古を大切にしたまえ。それが一つ一つを確実にできるようになるということだ」と諭した。しかし、自分で言っておきながら何か違和感を覚えた。よくよく考えても発言も少々意味不明だ。

後になってわかった。私は「稽古は技を学ぶだけが稽古ではない。技以外にも学べることはたくさんある」ということを言いたかったのだ。集中していないからこのようなことになる。厳に戒めるべきだ。

以上

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秋口の稽古

こんばんは、OSSです。

今日はいつも通り稽古に参加。

今月末に子ども達の審査があります。最近、子ども達は弛んでいる。夏の暑さもあってのことと考え、あまりうるさく言わなかったが、どうも弛んだ雰囲気が定着しつつある気がしています。

師もそのことが念頭にあるのか、今度の審査は声を出すようにというお達し。故に今日の私は吠え続けた。

年上の子に言うよりは、年下の子に言う方が伝わりやすいし、雰囲気を作りやすいと考え、今日は年下の者たちを指導、率先して声を出し、キビキビと動き回る。つられて子ども達も声を出してくれた。最後は声が出なくなりそうになったが、私ががんばると、子ども達もがんばりでかえしてくれる。何という充実感、何というやりやすい指導。

今日のお話は「やらされるのとやるのは違う」。

子ども達が入会するとき、師は子どもがやりたがっているかどうかをいつもきいている。親がやらせたいだけなら断っている。だから、基本的に子ども達は合気道を習いたいから道場に来ているのである。

しかし、物珍しさも手伝って、はじめこそ真剣だが、時間がたつとなぁなぁになりがち。私が工夫に工夫をし、メッセージを込めた指導も、そんな子には命令でしかなくなってしまう。

そこで、「やらされる」のと「やる」のはどう違うのかきいてみた。子ども達はちゃんと自分の言葉で説明できた。そこで、勉強や稽古、審査はどちらでするべきかきいてみると、みんな大きな声で「やる!」と答えた。

ハイ、よくできました。自分でそう言ったからには、これからはそれ相応の指導させてもらいます。

後半は大人の方で稽古。こちらも審査があり、その準備に余念がない。

子どの指導があっているときに、級の練習は終わった模様。私が合流したときは段の練習になっていた。段ともなると受身をとるのも容易ではない。律儀にも私は初段と二段の方の受けをかってでて、ぶっ通しで受身をとり続けた。体調悪くなるほどヘトヘトになった。

家に帰り、ちょっと休憩のつもりが、夕方まで熟睡してしまう。やりたいことがたくさんあったのだが、運動と休憩も必要と割り切った次第です。

以上


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筆頭

筆頭とは、名を書き連ねた中の1番目。ある範囲の中で第1番に挙げられるもの。

こんばんは、OSSです。

先日は、所用があり稽古をお休みしましたが、どうやらその時からゾクゾクと子どもクラス入会者が訪れていたようです。今日も二組見学に来ていました。子どもクラスの存在は公にしていませんので、みんな口コミでやってきているようです。

しかし、新しい出会いは歓迎するところではありますが、来月は発表会があります。受け入れる余裕がまったくありません。師はそのあたりをふまえ、入会を九月以降としてくださいました。

二組の見学者の前での指導。発表会を見越し、見学者に合気道のなんたるかを少しでも伝えるため、私は子どもクラス筆頭のゲンを召喚し、彼に受身をとらせ技の解説をした。

その際に少々気に入らなかったのが、ゲンの口角が曲がっていたこと。彼に他意はないのかもしれないが、見ようによってはなめた態度とうつらなくもない。さらにもう一つ気に入らなかったことがあった。確かに動きは悪くない。間合いの取り方も動くタイミングもさすがというレベルです。しかし、動きに気持ちが入っていない。見学者がいる前だからこそ、子どもクラスを代表し、全身全霊の動きをすることが子どもクラス筆頭の彼の役目ではないか、と私は不満に思った。

子ども達がそれぞれに稽古をしているとき、ゲンの弟のダイがゲンにつかみかかろうとする一幕があった。またも兄弟げんか。甘えたところのあるダイとそれを茶化すゲン。この二人はほぼ毎回、道場で一悶着起こす。私はいつもはゲンの兄としてのプライドに配慮しダイの方ばかり諭しがちだが、今日という今日はゲンに気持ちを入れ替えてもらう必要があった。

私は技の解説をする際、再びゲンを召喚し、その場でしたたか痛めつけた。ゲンは悲鳴を上げその場でうずくまり動かなくなってしまった。またもや前回と同じ展開です。痛かったことは承知しているが、無茶な技のかけ方はしていない。ほんの少し体をずらせば、十分に避けられた痛みのはずでした。しかし、ゲンにはそれができなかった。手塩にかけた愛弟子の慢心以外の何者でもない。

子ども達が稽古をしている間、私はダイとゲンを呼び、ダイがなぜゲンにつかみかかろうとしたのか聞いた。案の定、取るに足らない理由であった。そして、いつもはダイを諭していたが、今日はゲンを諭した。

曰く「すべての責任を背負う男であれ」

家での兄弟げんかに口出しする気はないが、ここは公共の場、しかも道場という神の前で己の魂を磨く神聖な場所です。そこで己の所行で身内が涙を流すようなことは恥ずべき事態です。兄なれば弟とは違う責任があり、生き方がある。私はそれをゲンに伝えたい。

しかし、この点に関し異論があることも十分に承知している。兄だから、弟だからと言って扱いが異なってよいのか。ゲンは好きこのんで兄という立場になったわけではないというかもしれない。

私は、そのような発想は卑怯者の屁理屈だと言わせてもらう。人間は本質的には平等かもしれないが、形式的には不平等である。しかし、それが何だというのだ。人それぞれ立場も異なるし、役割も違う。言うなれば、人は生まれたときから、自分ではコントロールできない宿命を背負って生きているのだ。それは不幸なことではない。ようは己の宿命を受け入れたうえで、大望を叶えればよいだけの話である。背負うものと望みは決して矛盾しない。望みが大きければ大きいほど、背負うものは重くなる。それは大願成就に必要なことであるからだ。私は今もその確信のもと己の道を歩んでいる。そのことに後悔などみじんもない。あるとすれば己の力不足、不甲斐なさによって、大切なものを失った痛みのみである。

稽古が終わり、大人クラスで稽古をしているゲンの母にことの顛末をお話しした。ゲンが現在の子どもクラス筆頭であること。彼は才能豊かな人間であるが故に物事に対する必死さに欠けるところがあること。繊細が故に打たれ弱いということ。そして私が彼に大いに期待していること。ゲンの母は少しも動じることなく「先生の思うようにご指導下さい。お任せします」と言っていただけた。

賢母とはこのようなものか。ゲンの才能もうべなるかな。

その日の午後は前回と同様、私は鬱ぎ込んでいた。

以上

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非を認める

こんばんは、午後からどーんと落ち込みふさぎ込んでいたOSSです。

今日はいつも通り稽古に参加し、子どもの指導にあたりました。

日を同じくして今日は町の中学校が運動会でした(ちなみに来週は小学校が運動会)。子どもの稽古の参加は少ないかもしれないと思いましたが、予想に反して、多くの子ども達が稽古に参加してくれました。

前回と同じく、有価ちゃんと零下ちゃんのお父さんも道場の隅で稽古を見学していることを目の隅に置き、指導をはじめました。

まず最初に正座の仕方を教える。子ども達は運動会の練習の影響かどこか気持ちが入っていない。正しい座り方を教え、そのまま黙想。気持ちを引き締めてから技の指導に入った。

今日は久しぶりに育美ちゃんが稽古に来ていた。再来月の道場の演武には育美ちゃんには杖で大立ち回りをしてもらおうと思っている。急遽、指導内容を変更し杖技を指導することにした。

しかし、後で考えるとこの決断は正しくなかった。子ども達はそれなりに楽しそうにやってくれていたが、とりあえず思いついた技を適当に教えるやっつけ指導のようになってしまい、テーマのない、メッセージのない、技の紹介でしかない指導になってしまった。

事件はその杖で起こった。

杖のさばきの見本を現在の子どもクラス筆頭のゲンにしてもらおうと前に呼び、ゆっくりではあるが、変幻自在にゲンに杖を繰り出し、さばいてもらった。はじめこそ、うまくさばけていたが、私の杖の突きをゲンはさばき損ね、体を突かれてしまった。ゲンはその場でうずくまり動かない。

私はスピードもなく止まっているに等しい杖が胸の部分にあたったと認識していたので、うずくまっているゲンを意に介さず、次の子どもにさばかせた。その間、補助の大学生がゲンを道場に移動させ、押さえているところを確認していた。胸とばかり思っているとゲンは顔を押さえていた。大学生がタオルを濡らして来て冷やそうとしているので、ゲンのところに行ってみると杖はどうやらほお骨と鼻の間にあたったらしい。救急箱から瞬間冷却剤を持ってきてとりあえず冷やさせておいた。

あきらかに私のミス。私の責任です。しかし、私は毅然とした態度で指導を続けた。

指導が終わり、子ども達がかえった後、指導の補助をしてくれた大学生に礼を言い、私の態度の意味を言い訳させてもらった。

なぜ私が毅然とした態度をとったのか、それは私がオロオロしては子ども達が動揺し、事態がいっそう大事になると思ったからです。指導者がミスをしたとき、どういう態度をとるべきなのか。私のとった態度は正しかったのかはわからない。他に適切なありようがあったのかもしれない。しかし、とりあえず大学生に私のとった態度の意味を伝えた。大学生は教員を志望している。何らかの参考にしてほしいと思う。

稽古が終わり、家に帰ってからはずっと鬱ぎ込んでいた。いつも怪我には細心の注意を払ったにもかかわらず、今日のようなことになったのはひとえに私の気の緩みが原因でしかない。見学してくれていた零下ちゃんと有価ちゃんのお父さんの無言の視線を思うたび、あれでよかったのか、毅然とした態度はただの保身ではなかったのかと何度も自問自答している。

しかし、悩むのと考えるのは違う。一番やってはいけないことは逃げること。それだけは子ども達に見せてはならない。だから私は逃げない。やってしまった失敗を、非を認める。そしてその失敗を次に活かし、挽回することを誓う。私にはそれをする義務があるし、それは私の望むところだ。


以上

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父親の視線

こんばんは、OSSです。

今日は見知らぬ男性が道場にいました。姿勢がよく、背が高い、白髪のナイスミドル。ユウカちゃんがその男性の側から離れないので、ユウカちゃんのお姉ちゃん零下ちゃんに聞いてみた。

「あの男の人はお父さんかおじいちゃんかな?」

「お父さんです」。零下ちゃんは苦笑した。

しまったですね。頭が白かったからおじいさんの可能性も考えて言ったのだが失礼だった。こういう失言をするということはその一瞬に集中していない証拠。反省です。

今日はGW最終日。思った通り子どもの稽古の参加は少なかった。人数が少なかったら杖の技でもしようかと思っていたが、育美ちゃんがいなかったからやめた。

今日、師からもお話があったが、道場の発表会を七月に予定している。毎年六年生には演武をしてもらっているが、今年は育美ちゃんに杖をやってもらおうと思っている。ものすごく大人しい彼女が、杖を使って大立ち回りをしたらさぞかしおもしろうだろうという趣旨からです。いつも育美ちゃんを影ながら見守っているお父さん。育美ちゃんを目の中に入れても痛くないといった感じだが、そのお父さん、そんな娘の勇姿をみることができればさぞかし喜ぶだろう。

というわけで、現在、鋭意発表内容を考察中です。

さて、先日、とあるベテラン先生の授業をテレビで拝見することができた。その先生、一人で40人も教えることはできないので、はじめによくできる生徒を教え、その生徒が人に教えられるようし、生徒が生徒を教えるというシステムをとっていた。

なるほどと思った。

人に教えることは、自分の勉強にもなる。かの緒方洪庵の適塾も同じシステムをとっていたのを思い出した。そこで、今日の稽古はそれを実践してみようと思った。

しかしGW最終日。子ども達はどこか気が抜けていた。とくにユウカちゃんはお父さんがいるのにボーッとして上の空。こういうときは怪我が心配です。稽古前に子ども達に黙想をさせ、気持ちを引き締めてからはじめました。

今日のテーマは「呼吸力」

「力はこめるのではなく、出す」をキャッチコピーに、いつも稽古でやっている呼吸法、呼吸力で人間を持ち上げるコツ、呼吸力での押し合い、がっちりもたれた状態から呼吸力を使って技に入る方法などを指導しました。

その際に今日の目的である生徒に教えさせるというシステムを実践しようとしたのですが、なかなかうまくいきませんでした。六年生をその主体にしようと思っていたが、彼らには人に教えるという意識がない。このシステムを定着させるには少々時間がかかりそうです。

稽古の最後にいつものようにお話。今日は「なぜ勉強をするか」

子ども頃によく思ったものです。

もしタイムマシンがあったら過去に行って勉強を考え出した人を叩いてやる!

それほど私は勉強というものが好きではなかった。しかし、今は違います。好きだとは言い難いが、苦痛ではない。それよりも、知りたいことがたくさんあり、自分を成長させるためにもっともっと勉強したいと思っている。そのためにより効率がよい方法はないか、実践的にできないものか、勉強そのものも日々研究中です。私がこのように考えるようになったのは、自分の生き方を見出しているからです。自分の人生で何を為すべきか、何を成し遂げたいか、人に何を伝えたいのか、それがわかってから勉強することが苦痛ではなくなりました。しかし、それを子ども達に話したところで何の感慨もないでしょう。そこで、こう言いました。

「なんで勉強しないといけないか知っているかい? 先生は知っているよ。でも、教えない。それを知るための方法だけ教えてやろう。それは、勉強することだよ。勉強すればわかるようになる! わからないのは勉強が足らないからだ! 諸君、精進し給え!」

アントニオ猪木氏も言っておられる。
「この道を行けばどうなるものか。あやぶむなかれ。歩まずば道は無し。踏み出せばそのひと足が道となり、そのひと足が道となる。迷わずいけよ、いけばわかるさ。アリガトー!」

稽古終了後、私はユウカちゃんのお父さんに遠くからであったが礼をした。お父さんはその場に正座して礼をかえしてくれました。あらためて男の視線に耐えるにはそれ相応のものがなければならないことを意識し背筋が伸びる思いだった。

あなたの大切な娘さん達に、私のとっておきのものを伝えさせていただきます。

以上

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審査があった日

こんばんは、OSSです。

昨日は子どもたちの審査、指導稽古、親睦会でした。

今回はいつもより準備不足だったため、早くに子どもたちを道場入りさせ、直前まで技のチェックをしてました。

しかし、みんな自分でそれなりに練習した様子。

タカ文は四方斬りに苦戦していましたが、兄に特訓してもらったのかできるようになってきていました。決定的に稽古不足のヒロキンも何とかなるレベルになっていました。思っていたよりみんな壊滅的ではなかったのでホッとしました。いつもの稽古はそれなりに彼らの血肉になっているんだなと思った。

審査がはじめると、できるだけ教え子の受けを私自らかってでた。子供にとって大勢の人の前で指定された技をするのは大人が思う以上に難しいことです。その時に受身が知らない大人の人でなく私だと子どもは安心して本来の動きができます。間違ったことをしたら私がシャドー合気道で人知れず修正できますし。

しかし、受身の競争率は高い。動きのよい大学生達が我先に受身に出てきますし、長時間の正座は足がしびれるので、有段者の方も受身に出る機会を狙ってます。そんな中、私は多少強引でも心配な教え子のために、かなりの確率で受けに出続けた。

さて、後で知ったのだが昨日の審査を最後に、子供クラスの古株、アヤのちゃんが審査に臨んだ。私は受けに出ようとしたが、大学生との競争に負けてしまった。昨日が最後だと言うことを知っていたらもう少し強引に受けに出ていたのだが。それでもアヤのちゃんには何の心配もしていなかった。子供クラスの最古参。長年、私の薫陶を受けてきたアヤのちゃんなら立派に審査を受けきるだろうと思った。

しかし、その日のアヤのちゃんはいつものアヤのちゃんではなかった。審査に対する真剣さを感じさせない意味不明な笑み、気持ちの入っていないなおざりな技、私は端で見ていていたたまれなかった。最後の最後でなぜ、彼女がそんな審査の受け方をしたのか、私なりに思うところがなきにしもあらずだが、そのことをとがめる気はない。彼女は言われなくともわかっている。彼女は最後の審査を忘れないだろう。そして、いつかそれに意味を持たせ、人生の糧にしてくれると信じています。

審査終了後、師範の指導稽古。いつもは教える立場だが、一稽古生として久しぶりにピリッとした稽古をした。しかし、体力が持たない。袴をはいていると積極的な大学生達に捕まってしまう。彼らは技は荒削りだが活きがいいので疲れてしまう。若いっていいなぁ。

親睦会では心おきなく飲み食い。稽古の後はビールがうまい。いつもは運転手だから全然飲まず、中居さんよろしく動き回るのだが、昨日は幼なじみのZEZE君がやって来ていたので、ゆっくり飲み食いできた。

親睦会終了後は二次会、三次会と続く。久しぶりにお会いした鳩さんは、結婚したので姓が変わっていた。その鳩さんから大学の先輩である豪さんが結婚したこと、その一週間後に大学でお世話になった道場のタートル田さんも結婚したことなどを聞く。めでたい。

三次会の席で思わぬ話を聞いた。ハラDさんがもう稽古にこれなくなってしまったのだ。ハラDさんは少し前に思うところがあり、自分の道場をつくって、独自の創意工夫で後進の育成をはじめた。そのことを師範に報告したところ、もう稽古に参加できないことになってしまったようだ。

この問題は難しい。ハラDさんは師範は喜んでくれるものと思ったようだが、そのようにはならなかった。別に怒られたわけではないようだがやんわりと突き放された。師も師範と考えは同じらしく、そのことの意味をハラDさんに話していた。残念ではあるが、それは悲しいことではない。意図していたわけではないがハラDさんは独立したのだ。

ハラDさんは自分の指導理念、これからしたいことなどを師に熱く語り、師もそれにいろいろな助言をしていた。ハラDさんと師の会話を側で聞いていて、お互いの考えの深さ、ハイレベルな内容に驚いた。人生の先輩とはかくも偉大なものか、私が年を取りお二人と同じ年代になったとき、このような会話ができるようになるのか、少々不安になったが、精進しなければなりません。

ハラDさんは子供の指導に関して私にもいろいろと質問してくれた。しかし、その会話は私がハラDさんに教えるのではなく、ハラDさんから教わることが多い会話だった。

その中の一つ。
OSS:「稽古にはいつも課題をもって臨むようにしていますが、その課題に一応の答えを見出し、発展させていくと、ある時当初の課題の答えがぶれているんです」

ハラDさん:「それは、あなたが成長したと言うことなんですよ」

OSS:!


鳥肌がたった。もっともっと精進します。

以上

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2007年初稽古

こんばんは、OSSです。

お正月に子どもクラスのカツ(小2)から年賀状が届きました。日ごろの感謝が縷々とつづられた年賀状に熱いメッセージを込めた返信をしてやろうと思っていたら、

「明けまして☆―☆おめでとうございます。もうちょとむずかしい技を教えてください。木刀やじょうのわざも教えてください。」

とありました。

要望ばっかりか…。何か先生の技はぬるい!と言われた気分でした。

確かにやってることは簡単な技ばかりかもしれない。でも受身もとれない新しい子が何人も入ってきているので難しい技はできないんだよね。そして木刀や杖などの武器技をしないのは人が多いので、ケガが心配だからです。子どもは武器を持たせると周りを確認せずに振り回すから怖いんだよ。

しかし、私自身、カツの要望には応えたくある。カツはnow野さんの息子さんだけあって才能がある。他の子にはできない技でもカツならものにできるであろう技は多々ある。最近は、新人の子は合気道ってこんなもんかとなめた態度をとる子も見受けられるし、昔からの子達ももっと刺激を求めている。

そういうわけで今年は技のレベルを上げることをカツに約束する年賀状を返信した。ちょっと寂しかったが…

さて、今日は初稽古でした。初稽古から少々とばしてしまいました。

前日から雪が降ったり風が強かったりと天候が思わしくなかった。しかし私はひらめいた。この天候じゃ、明日の初稽古に来る子は少ないだろう。そこで私は初稽古は杖をすることにした。しかも前回のボール処理事件を挽回すべく、ボールを使った稽古を考えた。稽古がおわったらボールをヒろキにあげるつもりだった。その際、私が何を考えて前回ボールをショウ君にあげたのかを語るつもりでした。ヒろキには手に入らない物への不平不満を言う前に手に入らないことの意味を考える人間になってほしいと思う。

初稽古の杖の稽古は直突き。突きたい場所をピンポイントで突く稽古です。お店を何軒かハシゴして大小様々なボールを購入。家の物干し竿にボールを垂らし、即席の練習器具をつくってみましたた。カツの喜ぶ顔と、ヒろキの改心が目に浮かぶようでした。

そして今日の初稽古。

案の定、子どもの人数は少なかった。通常なら20人を超えるところが10人足らず。武器技を教えるにはちょうど良い人数です。しかし、私の予想に反してヒろキがこなかった。カツはきていたのだが。

道場入りして、師に年賀のご挨拶。その後、大人の主だった方々に挨拶して回った。

稽古が始まると、私は子ども達にも挨拶した。その場で少し今年の抱負などを語らせてもらった。今年の私の目標は「目的を持って稽古する」です。

毎回、子ども達にはいろんな技を教えているが、自分自身の技の向上は全くない。正直、大学時代の全盛期に比べ、はるかに劣っていることは自覚している。週一の稽古ではしょうがないと居直ることはあまりに情けない。週一の稽古でも目的を持って稽古すればまだまだ技の向上の余地はあるはずです。そういうわけで今年は一回一回の稽古に目的を持って望もうと思います。

時に子ども達は何を目的に合気道をしているのか気になったので聞いてみた。

はかばかしい答えは返ってこなかった。

私は合気道を稽古する目的は何でも言いと思う。私の大学時代の同期で主将を務めた男は、合気道をエアロビ体操と言ってはばからなかった。彼はそういう意図で稽古していたのだ。私は、それはそれでありだと思う。武道として稽古する者、けんかを想定して稽古する者、自信を持つために稽古する者、洗練された動きを身につけたいから稽古する者、体を鍛えるために稽古する者、何でもよいのだ。ただし、合気道の武道性は忘れてはならない。私が子ども達に合気道を教えるのは立派な人になるためです。そういうわけで子ども達にそのことをはっきりと言わせてもらった。「何を目的としてもかまわないが。合気道を通して立派な人になって下さい。そのために先生は、人として大切なことを一生懸命教えさせてもらいます!」

自作の練習器具は結構好評だった。

カツは拙いながらも真剣にボールを突いていた。他の子ども達もなぜか10分、20分と黙々とボールを突いていた。大騒ぎしながら稽古すると思ったら、これは予想外だった。教えてて何だが、何がそんなにおもしろくて突くんだろうかと思った。

こうして、つつがなく初稽古を終えることができました。

以上

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男子九歳

こんばんは、OSSです。

先日の稽古のこと。
子供クラスのサケミンが「先生、僕、今日誕生日^^」と言ってきた。

O:「ほぅ、いくつになったんだ?」

サ:「9才^^」

O:「男が9才ともなればひとかどのもんだな」

サ:「そうかな^^」と嬉しそう。

O:「うむ、精進せいよ」

サ:「はい^^」

稽古が始まってしばらくするとサケミンは友達に連れられてやってきた。
友:「先生、こいつ怪我したところが痛いって言ってます」

O:「ん?どれどれ…、あ~切り傷があるな」
サケミンの足裏にはちょっとした切り傷があった。赤く腫れ上がり切り口の肉が盛り上がっているが出血はない。

O:「痛いか?」

サ:「少し」

O:「大丈夫!このくらいの傷は9才になると我慢できるようになるんだ」

サ:「え!Σ(゜Д゜)…」

そうなんだ…と納得したようなしないような感じでサケミンは稽古に戻っていった。その後、稽古中サケミンは一度も傷口が痛いとは言ってこなかった。

ういやつじゃ^^

以上

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武人来る

こんばんは、OSSです。

先日の稽古のことです。その日、師は仕事の関係で不在。大人の指導は他道場でも指導をされている吉藁先生が担当され、子供の指導は私。台風到来直前の天候と師が不在であることを除けばいつも通りの稽古になるはずでした。

前半は、大人と子供、別れて稽古。
時に、最近私は仕事や研究の方に気が行っておりまして、あまり子供のことを考えていないような気がします。その日もメッセージ性のない稽古をしてしまいました。反省です。

前半の稽古が終わると子供は帰宅。私は後半は大人の方に混じり稽古させてもらいます。そのときです。一人の老人が道場に入ってこられたのは。

大きな福耳に大きな鼻。一見すると七福神の大黒様を思わせる風貌の老人が足を引きずり道場に入ってこられました。その瞬間、指導される吉藁先生の顔が曇ったのを私は見逃しませんでした。

私はいち早くご用の向きを伺おうと老人のもとに駆け寄ると、私が話しかける前に老人は「原Dはおるか?」とぶっきらぼうに聞かれました。大黒様を思わせる風貌ながら、近くで見ると眼の光が尋常でない。私は本能的にこりゃやばい人だぞと直観した。

私と老人のやり取りに気がつき原DさんとH田さんが駆け寄ってきた。二人は脚の悪い老人を支えるように道場の端に連れて行き、用意した椅子に座らせた。そして、H田さんは老人の足下にひかえるように正座して相手を始めた。

吉藁さんは何ごともないかのように指導を始める。しかし、技の模範をする際、私を多用。事態のただならぬものを感じた私は最高級の動きで受身をとる。老人はH田さんを従え、我々の稽古を終始見学されておられた。

稽古中、原Dさんが吉藁先生に耳打ちして何ごとかを話していた。

稽古終了後、吉藁先生が老人を紹介した。

クロいシ師範。自称、合気道、世界人口250万の内、二番目に古い合気道家。若かりし頃の鬼のような強さを誇る開祖を知る数少ない師範である。戦前戦後の合気道史をひもとけば、師範の名前は随所に見られる。現在、八段でおられるが、開祖亡き後、再三の招聘にもかかわらず、合気会とは一線を画した活動をされている、いわば裏の師範。普通は知らないかもしれないが、私が住むこの地方で長く稽古をしている人ならば、一度はその名を聞くであろう師範である。ちなみに原DさんとH田さんは何十年と師範のもとで稽古をされていたそうだ。

師範は足を引きずり道場の上座に移動、我々の前にあぐらをかいて座り、自ら名乗った。

しかし、そこからが長かった。

戦前のビルマでの合気道指導の苦難。本にも載っていない開祖の神がかった強さや逸話の数々。戦後の混乱期にどのように稽古をしたのか。師範はひとしきり武辺話をされた。私は圧倒されて聞いていたが、稽古をされている人の中には反感を持った人もいたようだ。

そして、師範は我々が教わっている師範に若干遠慮気味に、しかし暗に揶揄するように技の解説を始めた。

これには流石にまいった。そりゃいかんやろと誰もが思った。
合気道と言ってもいくつもの流派がある。その流派の中で最大のものは合気会だが、合気会のなかでも師範派閥のようなものがある。師範によって技が若干異なるのだ。いわば師範の数だけ合気道があるといった感じか。故に、自分の門下生でない者に技を教えるのは越権行為、相手の師範に失礼になるのだ。しかし、クロイシ師範からすると我々が教わっている師範などヒヨッコの若造と言わんばかり。「あいつが食えない時に俺が世話してやった」等の発言は道場の雰囲気をあからさまにまずくした。H田さんがそれとなく止めに入ったが師範は意に介さない。ついに師範は私を含め有段者に稽古をつけ始めた。

「敵は前から攻撃することはない。後ろから来る。そのときどうするか。おい、おまえやってみろ。なんだ、できんのか。こういう場合はこうしてごらん」

一通り区切りのいいところでH田さんか原Dさんが止めたようで、とりあえず指導は終わり、師範はもとの椅子戻った。そして、みなさんはいつもとは違う雰囲気の中、三々五々自主稽古に入った。

私は師の不在中、高名な師範に粗相があってはならないと師範のそばで話を拝聴。中には師範に反感を持った人もいたようで近寄らなかった人もいたが、何人もの人が師範を囲み武辺話の続きを聞く。それに気をよくしたのか、また師範は指導を始める。私も師範の手を取らせてもらったが、老人とはいえ、やはり圧倒的なものを感じた。脚が悪いので椅子に座ったままで三段の私をコロコロ動かす。すさまじい…

H田さんが帰る準備をして戻ってきたので師範はH田さんと一緒にお帰りになった。とりあえず、師の不在中、粗相はなかった模様。私はたまたま道場にきていた師の奥さんに報告しておいた。道場史に残る珍事であったと。

師範同士の反目は噂には聞いていたが、それにハラハラさせられたのは初めてだった。しかし、同じ合気道でも違うものだ。合気道を禅の一種ととらえ稽古している私だが、師範の技に身に巣くう鬼の存在を感じた。良くも悪くも私も武道家の端くれと言うことか。精進精進…。

…しかし、師範は何しにこられたのだ?

以上

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常ならぬ審査

こんばんは、OSSです。

今日は私の所属する道場を会場とした審査の日でした。

いつものなら子供の心配だけしていればいい身分。師範は師にお任せして、何かあれば師の指示通りに動けばいいという気楽な感じで臨むのですが、今日は師が仕事の都合でいなかった。師範並びに他道場の先生方がゾクゾクやってくる中、私はいつも通り、子供の審査技を最終チェックをしたりするのに加え、全受験者数の把握して、一日の流れを師範に確認報告、要所要所で進行、懇親会では司会と、少しでも皆さんが気持ちよく審査や稽古ができるように腐心しました。

さて、そんな中、今日のエピソードをいくつかご紹介。
冷静に先を考えれば、今日のような状況になることはわかっていたのですが考えが甘かった。他道場の気元先生から「OSS君、要所要所で締めてね。OSS君がやるのが筋でしょ」ということで、号令をかけることになった。

号令くらいならいいのです。問題は師範の講習の時、私の記憶では師は確か師範の代わりに体操をしていた。やばい、十年以上稽古しているが、未だに最初の体操を完璧に覚えていない。

そこで子供の審査の合間や休憩の間に焦りまくって必死に体操の順番をチェックをしていると、「OSS君、体操ないよ」と言われる。小物ぶりを露呈してしまいました。_| ̄|○


懇親会の席。
私たちの道場で稽古をやっていて、他の道場では責任者をやっておられる吉藁先生。懇親会の席を仕切ってもらおうとお願いしたところ、あっさり「OSS君に任せる」と言われ懇親会を仕切ることになってしまった。まぁ、司会進行はブライダル司会者C級ライセンスをもつ私、できないことはない。

飲み会の席なのでたいしたことはしないのだが、毎回審査を受けた人に感想を聞くという恒例の催しがあるので審査を受けた人にコメントを頼んだ。その中で、我が師のご子息にして、私の愛弟子であるショウ君(7才)が懇親会に参加していたので最後に感想を言わせることにした。いやがるショウ君にちゃんと笑いがとれるオチまで教えていたのだが、はじめに名前を小さい声でしか言えなかったのがいけなかった。師範が「え? 最近、耳が遠くて聞こえない」と冗談をのたまう。ショウ君、それを悪くとったのか泣き出してしまう。

彼にはまだ早かったか…。ZEZE君が状況を察し、さっとショウ君を引っ込めてくれたので助かりました。<(_ _)>


最後にちょっといい話。
子供クラス出身の中学生のエリコ。今回、審査の指定技を失敗をしたらしい。審査終了後、悔しくて泣いているので、女の子達が慰めていると、師範がどうしたのかお聞きになる。事情を知っている小帝さんが訳を話すと、師範はエリコと正面から向き合い。合気道の転換法の話をしてくださった。かいつまんで言うと、過ぎたことはクヨクヨせず、次に活かすように気持ちを切り替えることと諭されたようです。エリコ以下、女の子達は師範に「ありがとうございました」とお礼を言い、気持ちを切り替え着替えに行ったそうな。泣いている子供を見つけ声をかけ、正面から向き合い話をする師範、そしてすぐに師範の言わんとしていることを理解し、気持ちを入れ替えお礼を言うエリコと周りの女の子達、小帝さんは感動したそうな。

私はその頃、そんなことがあったとはつゆ知らず。審査の終わった子供達を集め、「諸君ご苦労であった! 今日は疲れただろうからまっすぐ帰れ! 寄り道して事故にあったり、誘拐なんかされないように、家に帰りつくまでが審査だ!」と愚にもつかぬことを子供相手にいっちょりました。

我ながら小さい…(´△`)


以上

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兄弟げんかにおける修復的司法的考察

こんばんは、OSSです。

今度の日曜日は合気道の昇級審査です。ですから、昨日は審査前、最後の稽古でした。

9月に入り最初の稽古。私が指導する子供クラスは夏休み中、田舎に遊びに行ったり、行事に参加したりと、稽古に来る子供は減ってしまいますが、夏休みが終わるといつもの人数にもどり賑やかさを取り戻します。

昨日は、私は大きなクーラーボックスに約50人分のアイスの差し入れを持って道場に入りました。実際はそんなにアイスは必要ないのですが、稽古に来る子供の妹や弟が、兄や姉を親御さんと迎えに来たとき、みんながアイスを食べているのに自分は食べられないというのも切ない話。ですから、私は余るほど買っていくのです。平素は質素倹約を旨としますが、出すべき時にはケチらず出す。これがOSS流です。

さて、稽古後のアイスを楽しみに一生懸命稽古して、充実した時間となるはずでしたが、ちょっとした事件が起こってしまいました。

小学低学年のダイが受身をとる際、ダイの実の兄、ゲンがいたずら心をだし、ダイに足をかけたのです。ダイはバランスを崩して倒れましたが、ケガはありませんでした。しかし、いつもは温厚なダイですが、腹に据えかねたのか、兄のゲンとつかみ合いの喧嘩になりそうになってしまいました。

このようなことは子供クラスではよくある話。
しばしドンパチやらせて喧嘩両成敗で治めてもよかったのですが、審査前最後の稽古を無駄にするわけに行かず、しかもゲンは自分が悪いにもかかわらずダイを返り討ちにしようとしてました。私はすぐにゲンとダイを引き離し、ダイを道場の端に連れて行きました。ダイは大粒の涙を流し、兄の非をできるだけ口汚くののしろうと躍起になって私に訴えます。悔しかったのでしょう。

公平にみてダイは少しも悪くない。悪いのはゲンです。しかし、ゲンもダイがこれほどまでに怒るとは思っていなかったのでしょう。そこが子供と言えば子供。ゲンの未熟さです。しかし、私はあえてゲンに何も言いませんでした。私は彼の人間としての器量の大きさをかっています。面と向かって言わずとも、私たちの姿を見て何かを考えるでしょう。

と言うことで、ゲンの所行は不問にしてダイとお話。
「ダイ、おまえは少しも悪くない。ゲンがバカだったんだ。でもな、ゲンだっていつもバカじゃない。いい兄貴の時だってあるだろ」
「うん」
「それが人間というものなんだ。人の振り見て我が振り直せ。おまえは絶対にゲンみたいなことはするな! そしてな、些細なことは受け止められる男であれ! いいな!」
「はい」
と、ダイは稽古に復帰。これだけの騒動の後なのにいつまでも引きずらず、気持ちを切り替えられるダイはなかなかのものと、誉めてあげたい。

さて、私はというと、ダイをうまく丸め込んでおきながら、いまいち釈然としない。

ダイはなぜ取り乱したのか。
修復的司法の本を読むと、犯罪とは、人間存在の本質的な部分を侵害する行為なのだという。すなわち、世界は秩序正しく意義ある場所であるという信念と個人の自律という信念(あるいは尊厳)である。被害者は信頼していた秩序に裏切られ、自己の尊厳が傷つけられたことに苦しみを覚えるが、傷つけられた尊厳が今なおむき出してあることに苦悩する。被害者が求めるものは、尊厳の回復と秩序への信頼回復、そして自分が経験した事件の意味づけなのだ。ダイが取り乱したのは、回復と意味を求めるゆえなのだ。

ちなみに、この意味に対する問いかけがなされ、納得できないままだと、被害者はいつまでも苦しむ。被害者が受けたダメージが大きければ大きいほど、もはや時は解決にはならない。何年、何十年たっても事件は昨日の出来事のままなのだ。

私はダイにゲンの非を認めた。ダイを擁護することにより、ダイの秩序への信頼と尊厳の回復をはかった。しかし、ダイの経験した事件の意味うやむやにした。私自身がわからないからだ。

なぜ、ゲンはダイにいたずらをしたのか。ダイに対する愛情が屈折し形で表れたのか、他の要因があったのか、何にせよ、そこに理性はない。これは子供ならよくあることで大人でも「魔がさす」という言葉があるように時に起こりうる現象だと考える。人が真に理性的であれば、人対人の意味不明な犯罪は起こらないのではないだろうか。

人は常に理性的であるわけではない。世界秩序は潜在的に無秩序の脅威に常にさらされているのだ。私はそのことは当たり前だと思う。無条件でいつも世界の秩序が維持されると考えるのは、他力本願的な甘えであり、平和ボケした発想であり、人生をなめた態度ではないかと思う。そう思うからこそ、私はダイに受け止めろと言ったのかもしれない。

しかし、もちろんあらゆることを受け止める必要はない。
犯罪は被害者にとって不幸だが、加害者にとっても不幸だし、当事者を取り巻く人達にとっても不幸なのだ。犯罪を引き起こした原因は何か、加害者の落ち度は当然、糾弾され、分析されなければならない。

犯罪が理性を喪失したときに起こった場合、なぜ喪失したのかを問わねばならない。
私は理性ある人とは、「自分の立ち位置をふまえた」状態にある者だと考えている。自分はどこの何という人間で、誰を愛し、誰から愛されているのか、そして、何を目指しているのかをわかっていること、それが自分の立ち位置をふまえた状態なのだと思う。犯罪が、報復を目的としたものでなく、加害者が理性を喪失しておこしたものであるならば、なぜ、喪失したのか、どこかにおかしなところがあったのではないか、生き方に無理があったのではないかなどを問わなければならない。ゲンにそれを問うことはまだ無理だっただろう。むしろ、ゲンはこれから理性を鍛え、自分の立ち位置をつくっていかなければならない。今回の些細な事件を糧にしてほしいともう。しかし、大人の場合は、社会のためにも、本人のためにも断固として見過ごすわけにはいかない。

ダイに全く非はなかったが、一つだけ私が不快に思ったことは、ダイが自分のために怒っていたことだ。怒ることは悪いことだとは思わない。しかし、怒るのは自分のためでなく、人のために怒れないものか。稽古を妨害した行為を、理性的でない兄を怒ってほしかった。難しいことではあるが…。

稽古後、仲良くアイスを食べる兄弟を見て、ほほえましく思った。彼らの人生に幸多かれ。

以上


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きっかけ

こんばんは、OSSです。

今日は、先日の稽古のお話。

先週のブルネイ少年に続き、今回私たちの道場は中国からの留学生を迎えました。
日本人の通訳二人に、中国人三人(内訳は女性一人に男性二人)。いずれも大学生です。彼らは大学のお休みを利用して、日本に稽古にやってきているのです。日本にいる間は師範の道場で寝泊まりしているそうです。言うなれば、師範のお客さんです。

実は、私たちの道場は師範の直轄道場ではありません。いわば社会人サークル的道場なのです。それなのに師範のお許しをおもらい、このようなお客さんをお迎えするのだから、なかなか師範の覚えめでたき道場といえるでしょう。我が師の人徳のなせるわざと、私など密かに鼻高々だったりします。

中国の方々は合気道をはじめて日も浅いようで、みんな白帯でした。一緒に稽古してみたかったのですが、私は前半は子供の相手をしてたので稽古できず、後半もチャンスに恵まれませんでした。いかにも中国人といったワン君と一緒に稽古してみたかったのですが、残念。

稽古終了後、彼らを誘い、道場の人達20人ばかりで近くの小料理屋にいきました。枯れ木も山の賑わいとばかり、私も一緒に参加させてもらいました。

しかし、座った席がなかなか責任重大な席でした。なんと目の前に、リュウ君とカクさん、通訳のニシさんがいらっしゃるではないですか。日中友好のため、是が非でも良好なコミュニケーションを取らねばと緊張しました。

実は私、正直、中国の方をお迎えするのに抵抗があったんですよね…
「愛国無罪」と言って暴れられたらどうしようとか、中国拳法と合気道、どちらが強いかなど議論をふっかけられたらどうしよう、などなど妙な心配ばかりしてました。まぁ、そんな人ならはなから日本に来るはずないのですが、昨今の日中関係をニュースで見るとね…

そういうわけで、どんな話題でいくか思案していると隣に座っていた丘座木さん、「日本の首相についてどうおもいますか?」とのたまう。丘座木さん!それはいくら何でも!とハラハラしていましたが、リュウ君もカクさんも別にどうも思っていない様子。騒いでいるのは一部の人間だけだそうだ。

ホッとしたのもつかの間。丘座木さんは剛速球の直球質問を続ける。
「天安門事件を知ってますか?」、「中国の経済格差はどうですか?」、「政治は共産主義なのに経済は資本主義みたいなことしてるようですが、国民はその辺どう理解してるのですか?」…etc

通訳のニシさんが彼らに通訳する前にいろいろ教えてくれ、当たり障りなく彼らには通訳してくれたので、剣呑な雰囲気にならずにすみました。もっとも私のただの取り越し苦労だったのかもしれませんが。

私も果敢に彼らに話しかける。
「日本はどうですか?」、「日本語はできますか?」、「漢字はどのくらい知ってるのですか?」…etc

そして我ながらいい質問だったおもったのが「合気道をはじめるきっかけはなんですか?」

これに対して、リュウ君「タッチという漫画の登場人物が合気道をしていたので興味を持ちました」
はぁ?…タッチってあのタッチのことかな?でも、合気道できる登場人物っていたっけ…
するとすかさず兄者「新田の妹のことだね」
タッチってやっぱりあのタッチか!っていうか兄者、話を聞いていたのですか…、それに何ですか、その超反応は。

タッチを知っている人がいることがわかったリュウ君は生き生きとその筋の話題を振ってくる。彼は大学ではコンピューターを専攻していて、将来、ガンダムショップを経営することが夢だそうだ…。いやさ、さいしょっから変だなって思っていたんですよ。彼、時々ウルトラマンのシュペシューム光線のような仕草をよくしてたんです。まさかね、と思っていたんだけど、やっぱりそうだった。でも、何でこんなに詳しんだ?

それについてニシさん曰く、「中国には日本のものは何でもある。海賊版がほとんどだが」。らしいです。

自分の興味のある分野で話ができることがわかり、俄然リュウ君は饒舌になる。彼がアキバ系であることはもう疑う必要はなかった。そんな彼が僕らに質問、「波動拳はどこで習うことができますか?」。

回りの大人達は、波動拳って何?と顔を見合わせる。慌てて僕が説明する。僕が詳しいことがわかるとリュウ君は僕に質問してくる。
「格闘ゲームができるのですか?」
「自慢じゃないが、うまいよ」(´ー`)y-~~
「是非一度、手合わせをお願いしたいものです。どんなゲームができますか?」
「え~っと、スト2ぐらいから…、キングオブザファイターズは結構したな」
「キングオブザファイターズ知ってます!」
「竜虎の拳に餓狼伝説…」
「知ってる!知ってる!烈風拳!!」
「ダボゥ烈風拳!!」
「レイジングストーム!!!」
と、国境と文化を越えてアクション応酬…。こんな話がしたくて来たんじゃないだが…

リュウ君のあまりのはしゃぎぶりにカクさんはかなり嫌そうでした。
彼女が合気道をするきっかけはテレビで見たからだそうな。合気道じゃなくて中国拳法をしようと思わなかったのかと聞くと、中国拳法はあまりオープンでないので一般の人はなかなか習えないそうだ。

そんなこんなで、平素の僕では、なかなか考えられないほど初対面での会話を楽しめた。食後、車に乗り込み帰る彼らをお見送りして、つつがなく師範のお客さんの接待終了。

しかし、二人の合気道をはじめたきっかけがちょっと物足りなかった。日本にまで来て稽古するくらいなんだから、もっとおもしろい話が聞けると思ったんだが…。そういえば、席が離れていたのでワン君とは話せなかった。彼は何がきっかけで合気道をはじめたのだろう。

と思っていると、意思田さんの奥さんから教えてもらえた。ワン君が合気道をはじめたきっかけはゲームのキャラクターが合気道を使っていたからだそうだ。「セガが好き!」と言っていたそうな。

あ~、あれね…


以上


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合気道体験

こんばんは、OSSです。

最近気がついたのですが、道場で稽古されている方々は篤志家が多いようで、よく外国からのホームステイを受け入れています。そして、日本の文化である合気道を体験させようと道場に連れてくるのです。昨日の稽古には、ブルネイからやってきた少年二人が子供クラスの稽古に参加しました。

先週の発表会を終え、子供クラスの次なる目標は、九月の審査。しかし、子供達は夏休みに入っていろんな行事に参加しているようなので、お盆があけまでのんびり稽古するつもりでした。私はまたぞろ合気道とはあまり関係のない、技を仕入れてきては子供に教えるつもりでした。そんなことをたくらんでいると、我が師から今日は外国の少年が来るからよろしく頼むと言われました。いつもなら外国の子供でも大人の方で稽古します。しかし、今回は子供の方で稽古する模様、。正直、外国人に合気道を教えたことはない。でも、まぁ、何とかなるかと安請け合いしときました。

やってきた子は、色の黒い東洋系の顔立ちの子、二人でした。ニコリともしない二人を見て、シャレが通じそうにないな…、と判断した私は当初予定していた合気道以外の技を教えることを辞めることにしました。

稽古がはじまると、外国の子供二人は子供達と一緒に稽古しはじめました。当初、表情がなかったので警戒していたのですが、子供との稽古ではニコニコと笑っていたので安心しました。師の紹介で二人は名乗ったのですが、その独特の発音でよくわかりませんでしたので、ここでは私が適当に名前をつけて呼ぶことにします。ひょろっと背の高い男の子はハマー(MCハマーを彷彿させるから)。背の低くちょっと小太りの子がアレス(改名した某教団の名前に似てたので、それをもじった)。

はじめにした技は、師の号令のもと合気道の基本動作である転換法。この動作はその術理を知らなければ、素人さんには何をやっているのかさっぱりわからない動きです。案の定、子供達は手加減して二人の手首を握っていました。しばらく様子を見ていましたが、やはり彼らは何をやっているのかわからない様子。とりあえず動きをまねしているといった感じです。そこで、私はアレスをつかまえ、手首をちょっと強く握りました。アレスはびっくりしたらしく目を大きく見開きました。「Move」。彼はピンで串刺しになった虫のように動けませんでした。

最初の転換法の後、子供と大人は別れて稽古をします。私は二人のためにこれが合気道だと言わんばかりの代表的な技を教えました。

片手取りからの内転換
胸取りからの一教
片手取りからの二教
四方投げ
小手返し
 ・
 ・
 ・
 ・

合気道の技はほとんどが関節技です。慣れていない彼らには痛すぎたようです。子供達とやるときはニコニコしていましたが、私が近づくと二人は緊張します。アレスに至ってはあからさまに逃げようとします。そんな彼らの思いなど一切意に帰さない私は、彼らに真剣に教えます。

「Catch the hand」
「Right turn」
「Throw!」
「OK、OK」

単語でしか話さない私を子供達は「先生、すげ~!英語で教えてるよ!」と尊敬のまなざし。
「諸君、これからの時代は英語くらい話せなければならんぞ」。
「はい!」
早期に英語をマスターしようと心に誓いました^^;

ハマーとアレスの好奇の眼差し(アレスには恐怖が混じってた)に子供達の尊敬の眼差しにすっかり気をよくして、調子に乗った私はやってしまいました。しないでおこうと思ったのに…

ドラゴン・スリーパーからストレッチ・プラム^^;

悲鳴を上げ畳をたたき、give upと叫ぶハマーに次は自分だと後ずさりするアレス。その直後に私がアレスの背骨をねじり上げたことは言うまでもない。

稽古終了後、すごいものを習ってしまったといった感じで引き上げる二人。
彼らの日本でのホームステイが充実したものであることを祈る。

来週は中国人です

以上

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インタビュー

こんばんは、OSSです。

夜のこと。携帯に電話がかかってきました。

電話の主は、岡座木さん。親子で合気道をしている方です。
その岡座木さんからの突然の電話の内容は、なんでも、子供の総合の授業で「人の役に立っている人にインタビューをする」というものがあるらしく、岡座木さんの息子、子供クラスの翔太が僕をインタビューしたがっているので、相手をしてもらえないかと言うことでした。

えぇ~! てな感じでした。僕は人の役に立っているのか?

翔太は小学二年生。
内気なところがあり、自分の方から僕に話しかけるようなことはしない子です。親を介してしかインタビューできないのも無理からぬこと。でも、彼はかなりの根性者だと僕は見てます。今後が楽しみな人材です。

正直、僕はそんなたいそうな者ではないと断ってしまいたい思いがありましたが、立場上、断るわけにはいかない。それに、親を介してとはいえ、翔太が勇気を出して僕にインタビューができれば、いろんな意味で大きな自信になると思う。やはり断れない。

「自分でよければ、かまいません」と快く引き受けました。

電話口にでた翔太は、はっきりとした口調で挨拶して、質問してきました。おどおど話しかけてくるかと思ったら、ちょっと意外でした。「男子三日あわざれば刮目してみよ」というが、子供の成長は計り知れません。

「今、何人に教えているんですか?」
「先生はなぜ合気道をはじめたのですか?」
などなど、いろんなことをきいてきます。こちらも小学生にわかるようにかみ砕いて話すように心がけましたが、意表を突く質問ばかりでした。

そして、最後の質問。
「僕たちにメッセージをお願いします」

そういわれた瞬間、いろんな思いがあふれてきた。あれも言いたい、これも言いたい、こんなことを言ってはどうだろう....etc しかし、一瞬の間の後に出た言葉はやはり一言でした。

強い人になって下さい。
けんかが強いとか、そういうんじゃない。
人間として、強い人になってほしい。
苦しいこと、嫌なこと、困ったことがあっても、安易に逃げない。
その中で、成長できる人になってほしい。
誰かに幸せにしてもらうのではなく、どんな状況にあっても、自分で幸せになれる人。そして、誰かを幸せにできる人に、なってください。

話しながら、なぜか涙が。
声をふるわせないように話すが精一杯でした。
昔はこんなじゃなかったんですけどね。感情を出すのが嫌いなタイプでした。クールであることが最大の美徳だったのに。最近は人前ではしませんが、よく泣きます。年をとったということでしょうか。でもそんな自分、嫌いじゃない。

口に出してみてこれしかなかったな、と自分自身で納得しました。
今までの僕の人生はこのことをつかむためのものだったし、これからの人生も僕はこのことにこだわって生きていくのだと思う。そして、僕はこれをなんとか伝えようと、子供達と向き合ってきた。
今まで、これについて迷いもあったし、見失うこともあった。
でも、やっぱりこれしかなかった。
いや、このことは子供達に教えるんじゃない。子供達に教わったんだと思う。彼らはいつも僕にいろんなことを教えてくれます。

ありがとう。
君たちに先生と呼んでもらえることを、僕は誇りに思う。

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初稽古

こんにちは、OSSです。

ブログをリニューアルして以来、一度しか更新していませんでした「合気道稽古記録」。今日はたった今、行ってきました初稽古のお話。

合気道とは関係ないのですが、ただいま精力的に司法試験の択一過去問を解いています。正月がやってきて、あけたのも実感なく、来る日も来る日も法律とにらめっこしている生活をしていたので、今日が日曜日で初稽古の日だということをすっかり忘れていました。稽古時間一時間前にそのことに気づき、慌てて準備に取りかかりました。初稽古からやってしまいました。

準備体操中に道場入り。師の年始の挨拶を聞きそびれてしまいましたが、何事もなかったかのように体操に加わり、態度の悪い子供を注意しながら、いつも通り稽古をはじめました。我ながら横着な^^;

そして、子供たちの指導。
年が明けた最初の稽古なので、子供たちに新年の挨拶をしました。そして私の今年の抱負を子供たちに聞いてもらいました。

私の今年の抱負は「初心忘るべからず」。
慣れるということは大切なことだが、緊張感を忘れてはいけない。今年は、初めて道場に足を運んだときのことを忘れず、初心に返って稽古をしようと思う。そしてこれは、合気道だけに限らず、すべてのことについてです。子供たちにも是非そうしてほしい。

初稽古に遅刻してきた人の言うセリフではないのですが^^;

子供たちの冬場の指導は難しい。大人のように黙々と稽古してくれれば、寒さなど感じないものだが、子供は型稽古を面倒くさがる。特に冬場は寒さから動きが悪い。そこで、はじめは体をほぐす意図から「おしくらまんじゅう」。ついで「タックル」の練習。さらに足関節をとる「プロレス技」を2、3。初稽古なのに全然、合気道ではない。

そうこうしてると子供たちはほどよく体がほぐれたようで、動きがよくなった。そこから合気道技の指導。初稽古らしく、一番はじめに習う一教、正面打ちからのさばきなど基本的な技を教える。こうして、つつがなく初稽古は終了しました。

前半の子供の指導が終わると、私は大人の稽古に合流します。師や主だった指導員の方々に新年の挨拶。勉強ばかりしていると感受性が鈍磨してしまうのですが、挨拶をして試験がんばるように励まされると、改めて自分のいる状況を認識します。今年こそ司法試験の合格を誓う次第です。

さて、稽古終了後、見慣れないおじさんが道場に入ってきて、見学させてほしいと我が師に願い出てきました。師は快く見学を許可、おじさん熱心に稽古を見学していました。

そこで他道場で指導されている吉藁先生が、見学のおじさんに善意から丁寧に手取り足取り教えようとしました。しかし、なんと、おじさんそれを拒否。

曰く「私服でやってきて稽古をつけていただくのは礼を失する」とのこと。

後から聞いた話、何でもおじさんは合気道開祖の研究をしている人らしい。立ち振る舞いから、自身も武道をたしなんでいるのではないかと思います。

いやもう一本とられましたね。
礼の上にも礼を重ねる。師もその態度に感銘を受けたようです。師は今後の見学者への対処の仕方を我々に諭してくれました。見学者とくれば、すぐに畳の上に引っ張って稽古させたい私は、反省することしきりです。私自身、おじさんの姿勢を見習わないといけないと思いました。

しかし拒否されて、すぐに真意を理解し引き下がる吉藁先生。なんてハイレベルなコミュニケーション。私にあれができるだろうか。上には上がいる。人間の成長は計り知れないと思いました。精進あるのみです。


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膝つき合わせてお話しましょう

こんばんは、OSSです。

ブログをリニューアルするにあたり、再開希望が多かった「合気道稽古記録」を復活させることにしました。最近はいろいろと忙しいので、以前のように毎稽古ごとに更新することはできませんが、今後ともよろしくお願いします。

さて、子供達は閉鎖中も順調に稽古をつみ、先日行われた昇級審査では、受験者は全員昇級することができました。現在、子供達に目前に迫った目標はなく、楽しみといえば来月予定されている、道場主催の納会(クリスマス会)でしょうか。毎年、私は子供達にプレゼントを用意しています。今年もすでに企画の立案、資金集めに頭を痛めています。

先日の稽古では、ニュージーランドからホームステイに来ている子が、道場につれられ合気道の稽古に参加しました。また、就職のため他県に去った石原君も帰郷のついでに稽古に参加してくれました。相変わらず、道場には活気があります。

さて、今日はタン下兄弟のお話です。
稽古に来てもダラダラし、他の子供にちょっかいをかけたりと、全くと言っていいほど稽古をしないタン下兄弟を、私は叱るためにずいぶん前から観察しています。叱るチャンスはこれまでに何度かありましたが、まだ叱っていません。なぜダラダラするのか、なぜ他の子供にちょっかいを欠けるのか、行動そのものを叱っても、彼らのもつ原因を叱らねば、彼らの心には響かないと思うからです。

そして、ようやく彼らの原因をつかむことができたと思います。彼らは、私に対して不満があるのではなく、合気道が嫌いなわけでなく、ただ単に、甘えたいだけなのです。

タン下兄弟の父親は、自衛隊員。しかもエリートの呼び声高い航空自衛隊のパイロットです。現在、家族を残し単身赴任中です。私は単身赴任する前に、彼らの父親から「子供をよろしくお願いします」と頼まれています。私も「お預かりします」と引き受けた手前、彼らをぞんざいに扱うつもりはありません。ゆえに、彼らには特に注意しているのです。

私が彼らの問題行動の原因を甘えだと突きとめたとき、我が師がポツリとおっしゃった。
「あの兄弟は甘えたいんだな…」
さすが我が師! 私が観察して、考えて考えて考えたあげく、ようやく達した結論を師は一瞬で見抜いてしまいました。しかし、師も同じお考えなら間違えありません。彼らは甘えたいのです。

当初、激しく叱り大人しくさせないといけないと考えていましたが、原因が甘えであるのなら、彼らにそれはあまり意味がないと思いました。そこで、私は毎回、稽古終了後、兄のトシをつかまえ五分ほど話しをすることにしました。

他の子供達が掃除をしている中、掃除の邪魔にならない隅で、二人で正座で相対して、お互い目をそらさずに話しをしています。話の内容は、人の内にある虚栄心や功名心などの我といかに向き合うか、名前の由来、人の名前にどのような思いが込められているかなど、道徳的、倫理的あるいはたんなる私の価値観です。

ここで、特定の思想を押しつけるのはいかがなものかという考えもあろうかと思います。私も長らくそのことに悩みました。しかし、私の言うことが違うと思うのなら、将来いろんな経験をした彼自身が、それを否定すればいいのです。思想のない者に、思想の否定はできません。私たち大人の役目は、子供に自らの生き様を示すこと、子供は何かを感じてくれるものということで納得しています。

当初、視線をそらし、ソワソワしていたトシでしたが、最近では落ち着いて私の目を見て受け答えをしてくれるようになりました。まだまだ問題行動がやむまでには至っていませんが、よい感触を得ているので、これからも続けようと思います。しかし、そのためには毎回、話の内容を気合いを入れて用意しないといけないのが辛いところです。

さて、兄のトシはこれで何とか手を打ったところですが、今のところ弟のカズはノータッチです。見たところ、兄のトシより頭がよく、気性も男らしいようなので兄が落ち着けば、弟も落ち着くだろうとふんで、何もしないことにしました。しかし、カズは私とトシが膝を突き合わせ話している姿をいつも柱の陰からずっと見ているのです。先日の稽古では、話が終わり、トシが明るい表情で引き上げていく姿を見て、柱に崩れるようにうちひしがれていました。

私は彼に声をかけました「カズも一緒に話しが聞きたいか?」。
カズは小さくうなずきました。
失敗したかもしれない…
一瞬そう思いました。でも小学二年生には難しすぎると思う。どうしたものか思案中です。

それはそれとして、私はカズの意思表示の仕方を不快に感じました。
男が何たる醜態!
しかし、相手は小学二年生…
私もまだまだ修行が足らないようです。

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差し入れのアイスはない

こんばんは、OSSです。

「合気道稽古記録」、今日の稽古の報告です。

今日は朝から体調が優れませんでした。ここ数日、配達から帰ってきて二度寝する悪いくせが付いたのがいけないのか、二度寝するほど疲れているのか。とにかく疲労回復が出来ずにいます。今朝も配達後、稽古の時間まで起きておく自信がなく、少し横になっていました。しかし、そうは言っても、道着に袴をはくと気持ちが引き締まります。いつものように早めに道場入りしました。

毎年、夏休みの間に子供達にアイスの差し入れをしています。今年は夏休みにはいると同時に演武会だったので、差し入れをひかえていました。夏休みまっただ中の稽古では子供の参加も少ないので、やはり差し入れをしませんでした。本来なら、夏休み最後の稽古の今日あたり、差し入れをしてもよかったのですが、去年と違い、今は無職でお金がないので、差し入れは中止することとしました。ない袖は振れません。

道場に入って、ちょっとすると目を付けているトシが入ってきました。今日あたり目に余ることをしようものなら、容赦なく修正するつもりでしたが、トシとの何気ない会話に今日のところは見逃すこととしました。
「トシ、夏休みの宿題は終わったか?」
「うん、終わったよ」
「ほ~、なかなか堅実だな」
「苦あれば楽ありってね」
(そうだトシ! 苦あれば楽ありだ…)

所用があり来週の稽古に私は参加できないので、子供クラスは今日から審査の稽古に入りました。受験予定者の級と名前の一覧を師にお渡しし、級の近い者達を集めて、稽古に入りました。その中で私は一番人数が多く、一番問題の多い初級の子達の指導をしました。

帯の閉め方、構え方、体重移動の仕方など、基本的なことばかりしていたので、タン下兄弟、トシとカズヤはそんなのできるとなめきっていました。他の者が正座して私の話を聞いている時、彼らは上半身をフラフラさせたり、柱によじ登ったりと落ち着きがありません。稽古前のトシの言葉に胸を打たれたので今日のところは見逃してやりましたが、彼らに次はありません。

さて、今日の稽古終了間際のお話は、本当に話をしました。
「昔、立派な先生がいました。教育熱心で誰からも慕われる先生でしたが、定年退職することとなり、先生に教わった教え子達で先生に贈り物をしようと言うことになりました。先生はお酒が好きだったので、みんなの家にあるお酒を少しずつ持ち寄り、大きな樽の中に入れようと言うことになりました。教え子達は、家にある高級なワインや、葡萄酒を持ち寄り、口々にこれはどこそこの何々という高級なお酒なのだと自慢して、樽の中に入れました。先生は教え子達の思いやりに感動し感謝して、樽を家に持って帰りました。
さて家に帰り、先生は教え子達がくれたお酒の入っている樽を開け、一杯飲んでみることにしました。いろんなお酒が混ざっている樽のお酒はどんなにおいしいことだろうと期待して飲んでみたのですが、なんと樽の中に入っていたのは水でした…」

私は、子供達になぜ樽の中身が水だったのか聞いてみたした。皆それぞれ思いつきで勝手なことを言います。トシに至っては「なんで先生そんなこと知っとうと?」と言い出す始末。突っ込むところはそこじゃない…
1人の女の子が答えを見つけました。「最初っから水だった」
そうです。教え子達は先生に贈るお酒を渋り、水を入れていたのです。なぜ、そんなことをしたのか。そこには自分だけ水を入れてもわからないだろうという、「自分くらい」という発想があったのです。「その後、先生は行方不明になりました」

このことを教訓に私は子供達に言いました「いいかい諸君、目先の損得で判断を誤ると一生後悔することになるぞ」。何人かの子は真剣な眼差しで聞いてくれていましたが、トシとカズヤはあきらかに聞いていませんでした。彼らの甘えた殻をぶち壊さない限り、真剣に私の方を向いてくれることはないのかもしれません。

この話は、私が中学の時に、学年集会で聞いた話です。出典等は調べていません。似た話を聞いたことがないので、中学の先生の作り話だったのかもしれません。しかし、この話は私の生き方を決めました。私は例え馬鹿正直ゆえに損をしようとも、自分が正しいと思ったことを実践し、後悔しないことに決めました。私は目先の損得に惑わされ、生き様を汚すことの方こそ後悔しようと思います。私は子供達にも誇り高く生きてほしい、そのためには、私自身が模範とならねばと背筋を伸ばす次第です。

さて、子供達の帰り際、子供クラス筆頭の公平が「先生、今日アイスないんですか?」と聞いてきました。どうやら、私の行動と思考パターンを熟知した一部の子供達が、今日あたり、先生はアイスの差し入れしてくれると予想していたようです。私は思わず吹き出してしまいました。

「すまんのぅ。先生、今お金ないんだ」。
アイスの催促はいただけないが、その洞察力はかえます。それだけ彼らは私という人間を見てくれているのだとうれしくなりました。筋の通った指導をせねばとあらためて思う次第です。

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叱るタイミング

こんばんは、OSSです。

「合気道稽古記録」、先日の稽古報告です。

先日の稽古では前回と引き続き、のんびりした指導を心がけました。前回の報告では呼吸投げ系の技は教えられないと書きましたが、少し考え方を変えまして、呼吸投げ系の技も教えることにしました。そこで、先日の稽古では呼吸投げ系の技の原理の1つ、遠心力を理解してもらうべく、水を張ったバケツをグルグル回してみせ、遠心力がどんなものか説明した上で技を教えました。

さて、ちょっとした出来事がありました。
いつも大学生が指導の補助をして手伝ってくれています。大抵特定の大学の学生さん達が手伝ってくれるのですが、先日の稽古では、他大学の学生、Oの君も手伝ってくれました。Oの君は有段者です。若いながら将来は指導員にと期待される人材です。

そのOの君が、稽古中、子供から離れ、道場の隅に1人突っ立っていました。私はさりげなく彼の隣に立つと、彼は目を細めて私に「(子供の指導は)難しいですね…」と言いました。

私の弱さからでしょう。私にはそれが私への批難に聞こえました。子供とはいえ武道の稽古がこんなダラダラしていていいのかと言われた気分でした。私は彼に「夏休みだからね。気持ちが入ってないな」、「上級の子達がもっとしっかりしてくれるといいんだけどね」、「集団としてまとめようと思うんだけど、時間がかかるんだ」など、聞かれもしないのに言い訳がましいことを次々と言ってしまいました。反省です。

彼が私を非難しているのかどうかは別にして、私も今の子供クラスの雰囲気には満足できないところがあります。今、何人か目を付けている子がいます。一見すると無気力な子、言い訳ばかりして稽古をサボる子、横着な言葉遣いが目立つようになった子がいます。彼らを叱って矯正することで、雰囲気はかなり変わると思います。

しかし、それがわかっていながら、なかなか踏み込めずにいます。
まず、私が特定の子を叱ると言うのは、単に怒鳴り散らすのではなく、ネチネチ、コンコンと説教すると言うことです。時に手も出ます(拳では絶対叩きません。平手で頭バシッて感じです)。私がそれをしている時に他の子の稽古はどうなるのか。叱られている子を見せ物にするのは得策ではないと思います。そうなると他の人に指導を引き継いでもらはないといけないのですが、それが出来る適当な人がいません。

さらに、しかるには周到な準備が必要です。
無気力、さぼり、横着を理由に叱ったところで、それが彼らの急所であるのならいいのですが、そうでない場合、叱ることは逆効果になるかもしれません。なぜ無気力なのか、なぜサボるのか、なぜ横着なのかを、彼らの身になって、問題の所在をあきらかにし、適切に叱らないといけないと思うのです。

かつて、心が弱い子がいました。あまりにひどいので鍛えてもらおうと思ったのでしょう、母親が私のところに連れてきました。しかし、彼の弱さは私の想像を絶するものでした。気分が乗らないと、道場のまん中で自分の殻に入り放心状態になります。数回前転しただけで、もうしたくないと言って放心状態。私は彼を叱りました。母親がどんな気持ちで私のところへ連れてきたのか、周りがどんな目で見ているのか、自分自身、今の自分に不満はないのか、などコンコンと話、そして流れで言ってしまいました。

「やる気がないのなら辞めろ」

言った後で、しまったと思いましたが、彼の奮起を期待する部分もありました。しかし、彼はその日を最後に稽古に来なくなりました。私の不徳の致すところでした。

若気の至りと言えば聞こえはいいのですが、私の未熟さです。私は人の弱さを解さない、認めることができないところがあります。そのために何人もの人間を傷つけてきました。しかし、それでも私は人の弱さを認めたくないのです。少しは大人になり、理解はしようと思えるようにはなりましたが、未だ妥協はできません。

私は、子供達には、その子が心から望む人生を送ってもらいたいと思います。自分の力で生き抜きける人間になってほしい。何かを人に伝えられる人間になってほしいのです。だから安易な妥協はしないでほしい。自分の可能性を簡単に捨てないでほしいのです。それは私の目指す人間像です。

私は人に人間の強さと、未来の希望を伝えられる男になりたい。

最近は人手が足りないということもありませんので、そろそろ叱るタイミングを計る時かもしれません。まずは、彼らの身になって、問題の所在、適切なアドバイス、心に残るメッセージを考えようと思います。

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異色な稽古

こんばんは、OSSです。

今日は更新がおくれがちな「合気道稽古記録」を更新します。

先週に大きなイベント、道場演武会は終わりましたので、先日から通常の稽古に戻っています。次の子供達の目標は9月下旬の昇級審査となります。週一回の稽古ではそれほど準備の時間があるわけではないのですが、子供達を審査に追い立てるのは夏休みが終わってからにしようと思います。彼らも海や山や旅行、宿題と忙しいことでしょうから。そういうわけで、夏休みの稽古は比較的のんびりするつもりです。

さて、先日の稽古は子供の参加者が少なかったことから、本来の合気道の稽古方式で稽古しました。通常、合気道の稽古は、指導者が前で、特定の技に解説を加えながら四、五回やってみせます。その後、稽古者は2人一組となり、お互い技をかけ合い、技の練習、研究を行います。その際に、始めと終わりにお互いに正座して、「お願いします!」、「ありがとうございました!」と礼をします。

子供クラスでも基本的にはその方式で稽古を行いますが、人数が増えると子供どおしふざけ合い、稽古にならないことが多くないます。そのため私はあまり基本方式の稽古を行いませんでした。しかし、それがいけなかった。始めと終わりの礼が出来ない子が増えてしまいました。夏休み中は、子供の稽古参加人数は減りますので、この期に基本方式で礼を徹底させようと思います。

その方式でした先日の稽古メニューは、「足払い」、「朽ち木倒し」、「内無双」、レクレーションもどきの鍛錬法でした。格闘技に詳しい人はお気づきでしょうが、どれも合気道の技ではありません。

合気道は呼吸投げ系の技を含めるとかなりのバリエーションがあるそうですが、相手と一体となる境地でかける呼吸投げ系の技は、私は未だに満足に出来ません。まして子供には無理な話です。そうなると子供にはわかりやすい基本技の稽古を行いますが、技の数が限られているので、一度した技の稽古はなかなか子供の興味を引くことが出来ません。そこで、時々、私は子供達に合気道以外の格闘技を教えています。子供の興味を引くためでもありますが、いろんな技を経験することで何かしらのものが体に残るのではないかと思いますし、それがどこかで役に立つかもしれません。また、合気道以外の技を知ることで合気道との相違も感じてもらうのも目的です。

先日の稽古では、子供達は始めと終わりの礼もしっかり出来て、珍しい技を楽しんでくれたようです。

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子供の発表

こんばんは、OSSです。

先日の日曜、無事に発表会を乗り切ることが出来ました。
以下、時系列的に長文レポートです。

・道場入り 発表準備
幼なじみにして身重のZEZE君に車で迎えに来てもらい道場入り。W谷がすでに道場に来ていました。演武に自信がないそうで珍しく神経質になっていました。先週に演武内容が出来たくらいですので、彼が覚えられないでいるだろうことは予想してましたが、いつもの道化ぶりではなく不安そうに饒舌に話しかけてくるW谷に接し、ようやく素顔をみせてくれた気分でした。平素、彼が時折みせる眼差しの通り、本性は聡明な男のようです。時間の許す限り、技のチェックして演武内容の覚え方などアドバイスしました。W谷は一生懸命に準備してくれました。

大学生がいつもより早く道場入りしてくれたので助かりました。私が子供達の演武のチェックをしている時に、彼らには道場の掃除、観客席の設置等をお願いし、会場づくりをしてもらいました。そして、その後子供クラスの発表の流れ、それぞれの役回りを細かく指示し、演武者とその受けを決定しました。当日決定にも関わらず大学生達は、臨機応変に動いてくれて、今更ですが感謝です。

演武者が全員そろったので、演武のみ一度全部通しのリハーサルをしてみました。各人のはコンディションもよいようで、リラックスしてリハーサルが出来ました。その席で私は彼らに1つお願いをしました。
「君らに1つお願いがある」
「何でしょう?」
「先生が名前を呼んだ時、大きな声でハイ!と言ってくれ。それだけで演武の評価は3割り増しだ」
「ハイ!」
演武者の気合い十分でした。

・準備体操
子供クラスの演武チェックに若干時間がかかったのでいつもより遅く準備体操が始まりました。今回は見学者がいるので、いつもの乱れがちな子供の体操も締まったものになりました。中には幾分緊張している子供もいました。

体操中に子供クラスOBで現在大人クラスで稽古している2人が目につきました。今回の発表では役所がなく見学のみなので寂しかろうと、体操終了後に2人に子供達の「山の上受身」の山になることを任命しました。2人は「えぇ~!」と渋っていましたが、私との関係上嫌とは言えず、気持ちよく承知してくれました。

・プログラム一番、少年部演武~団体演武~
まず横一列に並び、道場の正面に正座で待機。
リハーサル時ではダラダラと移動してなかなか整列が出来なかったのですが、本番では大学生達にせかされ、わりにスムーズに並ぶ。皆であわせて正座して礼。

毎回、稽古時にやっている「舟こぎ運動」に「鎮魂」という動作をして、前回り受身、後受身、前後の膝行を披露。そして、うずくまっている人(子供クラスOB)の上で受身をするという「山の上受身」、木刀で斬りかかられた時に最小限の動きでかわす「入身」を行い、最後は子供達の正面打ちを、私と大学生が一教という技でかわす動作をして団体演武終了しました。

何度かリハーサルが出来たのがよかったようで、全体的に子供達の動きがキビキビしていました。しかし、団体演武で1つ大失態をしました。2人一組になって稽古風景的な団体演武を予定していたのを私がすっかり失念してしまい、飛ばしてしまったのです。後から初級の子達に「四方投げは?」とは聞かれて、ようやく気がつきました。稽古を始めたばかりの子供は今回の発表ではそれほど見せ場がないので、稽古風景演武が一番の見せ場だったのに、私は演武者の方ばかりに気持ちが行き初級の子のことをそれほど気にしてませんでした。そのことに後で気がつき、普段の稽古で、私の代わりに初級者を一生懸命に教えてくれた大人の方や一生懸命に稽古した子供達に申し訳ないことをしたと、猛将した次第です。
でもちょっとだけ言い訳させてもらうと、それを飛びぬかしたおかげで、発表の時間をちょうどよく終わらせることが出来ました。来年は発表時間、それぞれの見せ場を考慮して発表内容を組み立てようと思います。

・プログラム一番、少年部演武~杖演武 二十一の型~
中上級者、主に女の子達による杖の型を披露。
前に後に変幻自在に杖を操る型ですが、大人でもなかなか覚えられない複雑なものです。練習中、何度も覚えられないと悲鳴をあげていた女の子達でしたが、1人も間違えることなくやり遂げてくれました。

しかし、間違わないよう、隣とタイミングが違わないよう恐る恐る杖を操っていたので、やや迫力に欠けていたのが残念でした。今後の稽古では、しっかりとした杖の突き方、振り方を教えないといけないようです。

・プログラム一番、少年部演武~演武~
自由技―ゲン
最年少の演武者ゲンは一番落ち着いて演武をしてくれました。ゲンの家族は総出で見学に来てくれていたので、本人もやる気満々、気合いの入った演武でした。技のレベルはまだまだですが、小学4年生であれだけの演武が出来ることを考えれば、満足なレベルでしょう。見学の方々も小さなゲンが大人相手にしっかりした技をするのでビックリしたようです。ゲンの両親も大満足のご様子でした。

二人掛け―Aジ
2人から両手を捕まれた状態から、合気道の技で2人を同時に投げる。その後、動き回りながら2人を翻弄する演武は、二段クラスの審査の技です。荒削りながらAジは上手くこなしてくれました。しかし最後の腰投げをするタイミングを誤り、Aジ自身のバランスが崩れてしまったのが残念でした。本人悔しそうでした。

杖取り―エリコ
変幻自在の杖の攻撃を入身でかわし杖を奪う。その後、杖で相手を翻弄する演武をエリコは落ち着いてやってくれました。受けを取ってくれた女子大生と仲がよくなり、姉妹のように稽古していたのが微笑ましくありました。本番では、いつものピョンピョン跳ねるような動きからヒラヒラ舞うような動きに進化してました。ヒラヒラもあんまりよくないのですが、技をかける時のバランスはしっかりしていたので、安心して見られる演武でした。

短刀取り―S磨
短刀を持った2人から襲われ、入身でかわしつつも短刀を奪い相手を制する。何度も挫けそうになりながらも、そのたびに気持ちを立て直して精神的に強くなったのか、2人の短刀から襲われても、まったく物怖じしない図太さを演武でみせてくれました。さらに、1人に技をかけ、短刀を蹴り飛ばす動作があるのですが、力任せに相手の手ごと短刀を蹴るのではなく、技を正確にかけ短刀のみを蹴り飛ばしたのは、彼の繊細さを感じずにはおれませんでした。図太さと繊細さ、今回のS磨の演武は彼の性格をそのままを表したような演武でした。

木刀取り―公平
小学生の彼にはまだ木刀が重いらしく、正確に木刀を振ることが難しかったので、リハーサル時に三本の木刀の内、一本だけ軽い短棒に切り替えました。公平は自分で短棒をいろいろ工夫し、私から教わることなく短時間で短棒を上手く扱えるようになってしまいました。
本番は私が三刀の一本を担当し演武に出ました。三刀同時に斬りかかられるのを入身で素速く死角に入り、次々に斬りかかられるのを入身でかわし続けます。その内、技をかけ1人から木刀を奪い、もう1人から短棒を奪います。最後は、斬りかかる私の太刀筋を紙一重でかわし、短棒で私の木刀を制し、もう一方の木刀は私の首筋にあて制する。公平はこの動作を一足でやってくれました。子供クラス筆頭の名に恥じぬ演武でした。

突き自由技―W谷
他の演武者の内容に比べると地味な演武だったかもしれませんが、彼は頼んだとおり名前を呼ばれると、道化ることなく「ハイ!」と返事をしてくれ、私の受けのもと確実に演武をこなしてくれました。大人の人達は彼の道化ぶりをよく知っていたようで、トリを務める彼を心配していたようですが、地味な技を確実にこなした彼の演武は大人の人達から高い評価を頂きました。
演武終了後、大人の演武を見ていたW谷に「80点だ。合格!」と褒めてやると、目を大きくして私を見上げました。いつもの虚空を見る眼差しでなくはっきりと私の目を見てくれました。今回の演武で彼は何かを得てくれたものと思います。


全員の演武が終了した時、会場はしんと静まりかえっていました。私は号令をかけ、受けをとるのに必死で会場内の雰囲気まで気がまわりませんでしたが、演武終了後、会場の静まりの意味がわかりませんでした。失敗だったか!?と思いました。その後、進行役の師の「思わず言葉を失い拍手を忘れていました」の一言で、会場からたくさんの拍手をもらいました。

発表から数日がたちこのレポートを書いていますが、今振り返っても子供達の発表はすばらしかったと思います。特に六人の演武は私の予想を超えるできばえでした。しかも、それを当たり前のような顔をして、まったく傲らなかった彼らを私は誇りに思います。

演武者に限らず、今回の発表は子供達にはきっとよい影響を与えてくれると思います。兄者(同情の先輩)のビデオ撮影が出来るのが楽しみです。

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イベント事の次の日

こんばんは、1日寝て過ごしたOSSです。
昨日無事に道場の演武会を乗り切ることが出来ました。子供達の様子などはカテゴリー「合気道稽古記録」で近日中にお伝えします。

昨日、道場の演武会終了後、親睦会に参加。
ぶどうのツタが天上を覆う、半野外のバーベキュー店で食事。子供達にアイスをねだられました。
総額5千円…。
一個210円のアイスを15名程度の子供に買ってあげたはずですが、子供のリクエストに応え、食べたい子には2つ買ってあげました。教え子には口も出すが金も出すをモットーにしている僕は快く買ってあげました。
しかし、新聞配達でギリギリの収入しか得ていない僕がどこからそんなお金を出すのか。
それは、お昼ごはんの貯金です。外食費を1日500円に設定してやりくりしています。大抵、500円以下ですませるので、残りは今回のようなイベントで使うために貯金しているのです。…なんか自分が可哀想な気がしてきました(^^;)

ビールのピッチャー片手に大人の方に挨拶回り。
「子供の演武はよかった」、「よくぞ短期間であそこまで鍛えられたものだ」等お褒めの言葉を賜りました。やはり、アイス代くらいは安いものです。

懇親会会場にはサモアからやってきた子がいました。
合気道をされていて、ホームステイを受け入れている大人の方がいて、たまたま家に来ていたので、合気道を見学させるために連れてきて、そのまま親睦会にも参加させていたのです。子供クラスのOBの中学生が果敢にコミュニケーションをとっていましたが、わからなくなると僕のところにやってきます。自慢じゃありませんが、英語は五教科の中で一番苦手です。英語の先生をやっている大人の方に助けてもらいました。英語を克服することを誓った次第です。

二次会、喫茶店
武道系の飲み会が一次会で終わるはずはなく、いつもどおり二次会へ。今回はいつも利用しているお酒が飲める喫茶店に予約を入れていなかったようで、僕がいち早く店まで行って、利用可能か聞きに行きました。お店のママさんは快く引き受けてくれました。毎回、お店のレイアウトを変えてまで受け入れてくれるママさんに感謝です。

喫茶店では師の大学の同期で現在、他の道場を運営している女性のK元先生と高校教師にして若手ながら合気道指導員に認定されいるイタイ君と同席になりました。子供の指導をする僕と若手指導員として大人を指導しているイタイ君にK元先生からためになるお話をしていただきました。

曰く「諦めなさい^^」。
僕もイタイ君もしたくて合気道の指導をしているわけではありません。たまたま、なぜかそういう境遇になってしまっているのです。それはK元先生も同じです。普通に主婦をして、趣味で合気道をするつもりだったのがなぜか、道場運営をすることになってしまっているのです。
さらに曰く「力量を隠すことはずるいことよ^^」
K元先生は、僕にしろ、イタイ君にしろ、指導できる力量があるからこそ、指導をまかされるのであって、それを拒むのは罪なことなのだと諭されました。
イタイ君はどう思っているのか知りませんが、子供の指導は僕にとってはいい勉強をさせてもらっていると思っています。不平不満はありません。しかし、K元先生が言いたいことはそうではなく、これでよかったのだと諦観をした境地を教えてくださっているようでした。まだまだ、夢も野心もある僕にはほど遠い境地ですが、望むような職に就き、望むような仕事をし、望むような環境を手に入れることができれば、そのような境地に達することができるのかもしれません。また、そうでなければならない。毎度のことながら合気道は僕に多くのことを示唆してくれます。

三次会、焼鳥屋
焼鳥屋が開くのにはまだ少し早いものの、お店のお兄さんから入れてもらいました。そこでは、主に合気道談義。三教の手は指が先か小手が先かと延々と議論していました。僕はと言うと、お酒が回り半睡眠状態。醜態をさらさないよう理性でおさえるのが必死でした。いやはや、弱くなったものです。


焼鳥屋から出て歩いて帰宅。
師や仲間と別れ一人たんぼ道を歩いているとどこからか、煮魚の臭いが…、その臭いにやられました。あぜ道にゲロゲロ吐き、生汗あきながら帰宅しました。
家に帰ると、お嫁に行った妹がいました。お土産にプリンがあるから食べるように言われ…、その名でやられました。トイレでまたゲロゲロ吐いてしまいました。

汗だくになっていたので、寝るわけにもいかずシャワーを浴び、薬を飲んで就寝しました。薬が効いたのか何とか気分よく寝ることができました。


そして、3時起床
いつものように配達をしました。大学生の時はよくこんな無茶なことをしてました。二日酔いでゲーゲー吐きながら配ったものです。今はもう若くないのでそこまでする自信はありませんが、休むわけにはいきません。
若干気分が悪かったものの、バイクで風を切って走っているとだいぶよくなりました。帰宅後、シャワーを浴びお昼まで爆睡しました。やはり子供の発表は有形無形にストレスになっていたようです。終わってくれてホッとして気が弛んでしまいました。
しかし、そういうこともあろうかと、今日は完全休養の日と決めていました。こういう自分勝手な予定を立てられるところが、自営業(フリーター受験生)のいいところです。1日ゆっくり休養させてもらいました。

でわでわ(^_^)ノシ

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発表前、最後の稽古

こんばんは、OSSです。

先日の稽古は、その前と同じ子供クラスの発表のリサーサルをして、各パート事に稽古してもらいました。完成度は50%ぐらいでしょうか。大学生に手伝ってもりましたが、もっと細かく指示すれば、まだスムーズにいけそうでした。ただ、女の子達の動きが悪いのが気になります。大勢の人達が観ている前なのに、一番にいくのは嫌とかいって譲り合って全然動こうとしない場面がありました。個々人では我を張っていいところと、悪いところをわきまえるのでしょうが、集団になるとそれができなくなるようです。今後の稽古に活かさねばなりません。

さて、先日はずっと稽古を欠席していた最後の演武者、W谷が稽古にやってきました。同じ小学校の子を通し、稽古に来るようにメッセージを送っていたのが功を奏したようです。しかし、もうまともに私が考えた内容の演武の稽古をする時間はありません。私は、目の前にW谷を座らせ、演武をする意志があるのか聞いてみました。

「え~~~~~…、ん~…」彼は意味不明な笑みを浮かべ、はっきりした態度を示しませんでした。本当はゆっくり話がしたかったのですが、時間がなかったので、10分間だけ考えるよう、道場の隅に追いやりました。

私はその間、演武者の演武を確認し、他のパートの出来具合を見て回りました。そして、それとなく道場の隅のW谷を観察していましたが、彼はゴロゴロと寝転がっていました。その姿を見た心ある子供が私に不快感を訴えてきましたが、私は不問にしました。「まぁ、そう言うな。W谷には、W谷の学ぶことがあるんだよ」。

W谷とは4年くらいの付き合いです。入門当初は大人しい性格の子供だと認識していたのですが、半年くらいたち、今に続く奇行をするようになりました。例えば、道場では、最初に師の号令の下、大人と子供をまぜ、1つだけ転換法という技をします。2人一組でするので、子供は大人と組むことになります。知らない大人と組むのは抵抗があるのでしょう。多くの子供が嫌々ながら大人と稽古をしています。その際に一時期、W谷は道場の柱の陰に隠れて稽古をやり過ごそうとし出しました。私はこの種の行為が嫌いです。行為を見とがめ、柱の陰にいくと、彼は「あ!見つかった~」と悪びれもせず、ニコニコと逃げていきます。何度注意しても、稽古のたびに彼は同じ行為を繰り返しました。私は思いあまり、柱の陰から引きずり出し、ぶっ叩いてこんこんと説教をしました。それ以来、彼はその行為をしなくなりましたが、それに類する行為を今も続けて相変わらず真面目に稽古をしようとはしません。そんな彼なので、同じ子供からも一緒に稽古をするのを嫌がられます。6年生となった今では年下の子からもバカにされる浮いた存在になってしまってます。

私は彼の奇行の原因に彼の忙しすぎる生活があるのではないかと思っています。私が知っているだけでも、彼は合気道、器械体操、バレーボールを習っています。動きを見ていると、柔道かレスリングをしているふしもありますし、水泳もやっているのではないでしょうか。そして、今時の子ですから当然、学習塾にも通っていることでしょう。日曜日の合気道の稽古の後、彼は迎えに来る車に急いで乗り込み次の習い事へいっているようです。彼は、心を殺しているのだと思います。様々な習い事をし、それらを身につける子、若しくは自分の個性を見いだせる子がいる中で、彼の場合、心を閉ざしているのではないかと思います。私が彼を観察していて一番気になることは感情の動きが鈍いことです。彼はいつもニコニコしていますが、その目の光は子供のわりに強くない。彼が大笑いするところ、泣くところ、怒るところを未だかつて見たことがありません。いつも目に弱い光をたたえ、ニコニコして奇行を繰り返しています。私は彼が非常に心配です。今後彼が今の状態を続けるのならば、周りが思春期を迎え、難しい時期になると、彼の環境はどんどん厳しいものになるでしょう。

じゃ、どうすればよいのか。
週に一日、一時間程度の付き合いの私がしてやれることはたかがしれてます。彼の心理状態を考慮した、教育プログラムを作るわけにはいきません。私は教育者ではなく武道家の端くれです。私ができることは、いつものようにぶち壊すことしかないようです。彼の心の殻をぶち壊し、彼の剥き出しの感情を引きずり出すくらいしかできないようです。

一時期、そのようなやり方が正しいのか自問自答していました。子供の権利を尊重しよう、個性を伸ばす教育をしよう、多様な価値観を認め合おうとしている昨今の風潮にあって、私の指導はあきらかに時代に逆行することでしょう。しかし、私はそれでもよいと思っています。そもそも、子供に過度の個性尊重など必要ないと思います。子供は基本的に我が儘で自分勝手です。自分の好悪でしかものごとを考えません。私はそんな子供達に自分自身を客観視することを教えたい。理性を鍛え我慢することを教えたいと思います。それに個性は人から伸ばしてもらうものではないと思います。自分で自分の個性を認識し、自分で伸ばすものだと思います。私ごときの指導でつぶされる個性などたいした個性ではありません。もし、貴重な個性がつぶされてしまったのなら、私にあったことが身の不運と諦めてもらおうと思います。それで不幸な人生を歩む結果となり、私を恨むのなら、どうぞ恨めばいい。復讐したいのなら復讐に来ればいい。私はいつもそれを受け止める覚悟をしながら、子供達と対峙しています。

今回のW谷の演武を思い立ったのは、そういう考えがあったのです。しかし、彼は私から逃げるという選択をしました。それでも完全に逃げることはできなかったようで、今回、本番ギリギリになってやってきたのです。他の子供達が発表の練習をしている隅で、ゴロゴロと寝転がっているW谷の前に座り、もう一度私は尋ねました。

「演武をするのか、しないのか、どっちなんだ? お前の気のすむようにしていい」
「…ん~~~、え~~~…、しないっていったらどうなるんですか?」
「…下級生と一緒に出てもらうだけだ」
「するって言ったら難しいことしないといけないんですよね?」
正直、私は情けなかった。この期に及んで、まだ彼は自分の損得でしかものごとを考えられないのか。いったいお前は今まで私から何を学んできたんだ…

いやいや、そう考え思い直しました。焦ってはいけません。我が師も言っておられた。
「10年後、20年後を見て教えてあげなさい。聞いてないようで彼らの中には、君の言葉はちゃんと残っている」
私がしていることは例えるならば、畑を耕し、いろんな種類の種を蒔いているようなものです。どんな種の芽が出るのかは本人次第。すぐに芽を出すものもあれば、長い時間がたって芽を出すものもある。それでいいじゃないか…

「W谷。あそこの稽古を見てみな。あんな昨日今日、合気道始めた者が習う技をやって、お前うれしいか? お前の腰に巻いてる帯は何色だ? 先生だってバカじゃないんだ。何の考えもなしにお前に演武しろって言ってるわけじゃない。ようはお前が先生の気持ちを汲むかどうかだろ? 先生はどっちでもいいって言ってるんだ」
「…やります」
彼の中では私の存在はそれほど小さいものではないようです。今回ギリギリになって逃げずにやってきたことが何よりの証拠です。まだ、彼は信頼できる。

W谷のために私が考えた演武は破棄しました。今更、人が作った動きを練習することはできません。私はゆっくりと彼を攻撃し、彼の体から出る技を拾って演武を組み立てました。紙にメモして稽古終了後、持って帰るようにW谷に指示すると、彼は大事そうに懐に入れ、ちゃんと持って帰りました。

来週はいよいよ発表です。親御さん達が大勢見に来ます。成功するのもいいが、失敗するのもまたよい。彼らが今回の発表から何かを学べればそれでいいのです。彼らが経験するものがどんなものか楽しみです。

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発表リハーサル

こんばんは、OSSです。
「合気道稽古記録」の更新は遅れ気味ですが、頑張って稽古事に更新しようと思います。

先日の稽古は発表のリハーサルを行いました。演武はまだ準備不足ですので、子供達全員でやる全体発表のみを師や高段者の方をはじめ大人の方に見ていただきました。

結果は散々でした。完成度は20%といったところでしょうか。子供達の全体の動きはダラダラしている感がありましたし、勝手がわからないのかボーッとしている子もいました。それから私には理解しがたいのですが、大勢の人が観ている前でおしゃべりする子もいました…。それでも唯一、声が出ていたのが評価できます。師や高段者の先生方の前で申し訳ない発表でしたが、いつもサポートしてくれている大学生達を上手く使えれば、もっとしまった発表になりそうです。来週までに対応策を考えておかねばなりません。

さて、リハーサルではしませんでしたが、6人の演武者の内、前回の4人の演武はそれなりに形になりつつあるようです。自由技のゲン、二人掛けのAジ、杖のエリコはあわせるごとにレベルアップしています。そして前回、気持ちが萎えてしまっていたS磨は気持ちを立て直せたようで、のびのび演武できるようになっていました。期待したとおりです。今回の経験を糧にしてくれるでしょう。

そして、昨日の稽古では新たに公平が演武の稽古を始めました。
太刀取り- 公平(6年生)
子供クラスが発足したのは今から7年前です。当時、公平は小学校入学前で最年少でした。学校の成績の程は知りませんが、公平は非常に頭のよい子です。さらに頭も切れますが、技も切れます。子供クラス一のキャリアとその能力の高さから、自他共に認める子供クラス筆頭です。その公平も今では6年生。思春期に入ったのか、時々暴言を吐いたり、私を先生と呼ばず、「~さん」と呼んで背伸びしてみたりと、若干不安定なところがありますが、私は彼に絶大な信頼をよせていますので何も心配していません。
彼に課した演武は太刀取りです。襲いかかる木刀をかわし、合気道の技で木刀を奪い取るというものです。しかも木刀は3人。公平に見せるため模範演武をやって見せたところ「難しそうですね」とすまして言っていました。ものにする自信があるようです。

6人の演武者の内、最後の一人はW谷(6年生)です。
彼は昨日の稽古にもやってきませんでした。数週間前、私は演武者を発表し、子供クラス筆頭の公平をさしおいて、私が受けを取る旨を伝え、W谷を演武の取りに任命しました。それ以来、W谷は稽古に姿を見せません。何かあったのかと思い、同じ小学校の子に聞いても別に何も起こっていないようです。
実は彼には少し心配なところがあります。今回の取りもその辺りを考慮しての判断なのですが…。今度、W谷のことをゆっくり考えないといけないようです。

話変わって、道場では親子で稽古をしている人もいます。その中の一家族、タン下家のお父さんの転勤が決まったそうです。タン下父は自衛官。しかもパイロットらしいです。子供クラスには6年生の若ちゃん(女)、4年生のトシ(男)、2年生のカズ(男)の3姉弟がいます。稽古終了後、タン下父はわざわざ私のところに挨拶に来てくれました。4年間は帰ってこれないとのことで、「子供達をよろしく頼みます。特にトシは私がいないと調子に乗るのでお願いします」と言っていただきました。私は3人の子供達の中で特にトシには厳しく当たってきたところがありますので、少し申し訳ない気があったのですが、タン下父の気配りある言葉に救われました。

「お預かりします。いってらっしゃいませ」
週一日、一時間程度の指導でどれほどのことができるのかわかりませんが、タン下父は子供達を残し、単身赴任で危険な任務を遂行しようとしています。お子さん達にはあなたの生き様を伝えようと思います。

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演武練習風景

こんばんは、OSSです。

「合気道稽古記録」、前回の続きです。

発表会に向け、演武者を6人選出しました。先日の稽古に出席した子はその内の4人です。私は4人にあらかじめ作っておいた演武内容を渡し、受身をとってくれる大学生を付け、それぞれ自主稽古してもらいました。

演武内容は大人でもなかなかできないハイレベルな内容となっています。コンセプトは「派手な演武」です。難しい内容ですが彼らならやってやれないこともないと思います。それだけの稽古をしてきたという自負があります。
以下、子供の紹介と稽古風景です。

自由技― ゲン(4年生)
世の中には、才能があるからと言う理由でしか説明できないことがあります。お世辞ではなく、ゲンは合気道の才能があります。彼が私のもとに来たのは、1年生の時です。稽古を始め、日も浅いある日、私は上級の子にしていた打ち込みのさばきの稽古を冗談半分でゲンにさせてみました。怖がって逃げるだろうと思っていると、彼は合気道の動き、技で返してくるではありませんか。私はとんでもない逸材だと驚きました。彼は合気道を頭でなく心で理解しているようです。その後、順調に稽古を重ね、技の向上に勤めてきました。今回の演武者の中では最年少です。小学4年生には無理だと思われる演武内容ですが、大丈夫だと思います。案の定、先日の稽古でほぼ形になっていました。受けをとる大学生も驚いていました。


二人掛け― Aジ(5年生)
Aジは裏表のない快男児です。怒られる時は真摯に怒られ、楽しむ時は大いに楽しむ、伸びやかな精神を持つ子です。故に何でも先入観なく吸収してしまいます。今回、Aジに課した演武内容は、初演武であるにもかかわらず、1人で2人を相手にする二人掛けです。受けを女子大生2人に頼んだところ、二人掛けをすると言うことにビックリして、内容の高度さにひるんでいましたが、本人はやる気満々です。子供クラスの稽古終了後も残ってもくもくと稽古してました。彼なら演武内容をものにできるでしょう。何の心配もいらないようです。


杖取り― エリコ(6年生)
今回6人の演武者の中で紅一点、エリコは頼りになる女の子です。一般に難しい年ごろと言われる中にあって、彼女に頼み事をすると、口では「イヤで~す」、「反対で~す」といいながらも、信頼を裏切りません。けっして、自分から主役をかってでようとはしない控え目な性格の子なのですが、何でもそつなくこなす彼女は並の器量ではないと見ています。彼女に課された演武は杖取りです。変幻自在の杖の攻撃をかわし、杖を奪うという難易度の高い演武をしてもらおうと思います。彼女の合気道歴と本人のやる気でいつものようにそつなくこなしてくれるでしょう。しかし彼女は、常日頃からウサギのようにピョンピョン跳ねるような動きをします。先日の稽古を見ていると、やっぱり跳ねてました。修正せねば…、なかなかすり足を覚えてくれません。


短刀取り― S磨(6年生)
プライドが高く、向こう気が強い子で、なかなか人とうち解けないところがありますが、それは彼の繊細さの現れだと見ています。しかし、ここぞという時にはプライドをかなぐり捨てても渦中に飛び込んでくる勇気を持っている男です。故に成長著しいものがあります。彼に課された演武は短刀取りです。木製の短刀を持った相手から襲いかかられ、それをさばきながら合気道の技で短刀を取り上げるというものです。しかも相手は2人です。大学生2人を相手に稽古をしていましたが、うまくできないようでした。珍しく落ち込んでいました。演武内容が難しいうえ、向こう気の強さも怖そうな大学生相手には発揮できないようで、くじけそうになっているようです。しかし、あえて私は演武のレベルを落とさないつもりです。レベルを下げれば、楽になるでしょうが、彼は傷つき自分自身納得しないでしょう。彼のプライドとはそういうものです。彼ならやってやれない演武ではありません。くじけそうで後ろ向きな気持ちをいかに立て直すか、今回、彼に課せられた試練です。


さて先日の、稽古終了後に子供達に話したことは
「類は友を呼ぶ。よい表情をしなさい」
と言うことです。
子供クラスの子供達は、本当にいい顔立ちをしています。なぜか美少年、美少女ばかり集まっています。しかし、本人は意識していないようですが、人に不快感を与える表情をする子がいます。あれではどんなにいい顔立ちでも人を遠ざけてしまいます。40過ぎた男は自分の顔に責任を持てと言いますが、表情にはその人間の内面が表れます。裏を返せば、表情で内面を変えることもできると思います。彼らには自分で自分をつくれる人間になってほしいと思います。

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合気道、演武、指導理念

こんばんは、OSSです。

先週、師にお伺いを立て、道場の演武会を今月末にすることが決まりました。

子供クラスでは、例年基本的な動作や技を発表させて頂いていましたが、子供のレベルも上がっていることから一昨年より、発表に杖の型を取り入れ内容をレベルアップさせました。そして今年はさらに、演武に挑戦しようと思います。

ここで、合気道の基礎知識
合気道と一口に言っても、いくつも流派があります。私たちの道場はその中でも、植芝盛平先生を開祖とする財団法人合気会系列の合気道道場です。ほとんどの合気道がそうなのですが、合気会の合気道は試合がありません。日々の稽古の成果は演武という形で発表します。

演武とは、技をかける者を仕手、技をかけられる者を受けとし、受けがあらかじめ決められた攻撃を仕手にかけ、仕手が合気道の技で返すのを見せるというものです。

話はそれますが、この演武に対してダンスではないのかという批判がありますが、私見を言わせてもらうと、私レベル程度の演武だとダンスだと思います。さらに、合気道は弱いのではないかと言われますが、これも私を基準にいうと、素人に後れをとることはないと思いますが、ボクシングや空手、柔道などの経験者に比べると、私は弱いと思います。

それでも、私は一向にかまいません。ようは合気道に何を求めるかという目的の違いであると思います。目的によって稽古の仕方を変えればいいのです。ケンカ的な強さで言うと、私の大学の先輩は強いと思います。卒業後も合気道の強さを追求しておられ、稽古に励んでおられます。先日お会いした時、手首を握られただけで、私は技量の違いを感じ、かなわないと悟らされました。戦わずして勝つの一端を垣間見た気分でした。そういえば、私の同期で主将を務めていた男は、合気道をエアロビ体操と言ってはばからず、そのつもりで稽古してました。他には、護身術の一環として稽古されている方もいますし、運動不足、肩こりなどの心身の不調を解消するために稽古をしている人もいます。つまり、合気道をする目的は各人によって違うのです。それぞれの目的に沿って稽古をすればいいだけの話であって、皆が皆、霊長類の最強を目指して稽古しているわけではありません。

しかし、各人目的は違えど、共通することは人格形成です。礼儀作法や人への思いやり、共感、自己反省能力などは学ばなくてはなりません。そこに合気道の武道性があるのだと思います。スポーツでも武術でもない武道性です。私は子供達にそれを教えるために指導させて頂いています。

ちなみに私にとって合気道は「禅」です。稽古を通し心身のバランスをとれるよう精進し、人格形成に努めています。合気道歴13年、少しは人格を練ることができたのではないかと思います。今、入門当初のこまっちゃくれた自分を思い出すと恥ずかしくて師に合わす顔がありません。

話が大幅にそれたのでもとに戻します。
今年、子供クラスは演武に挑戦します。しかし、40人近くいる子供達一人一人に演武をさせていると時間がかかりますし、まだ演武ができるレベルでない者もいます。そこで6人の子に演武をしてもらうこととしました。一人一人が才能あふれる子供クラスの中でも、一際、非凡な才を放ち、私が前途を嘱望する6人です。

彼らがどんな演武をし、演武をきっかけにどのように成長するか非常に楽しみです。

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再会と別れ

こんばんは、OSSです。

「合気道稽古記録」、先週稽古がなかったので二週間ぶりの更新です。

昨日の稽古では珍しいに人がやってきました。
S田さんです。
私が合気道を始めた当初に道場にいた方です。仕事の関係や他武道への転向で久しくお会いしていませんでしたが、昨日、何と2才になる息子さんを連れて道場にやってきてくれました。我が師も懐かしそうでした。

さて、悲しいお知らせです。
前回のブログで紹介した子供、U助が正式に合気道を辞め、野球に専念することになりました。ですから、昨日が最後の稽古でした。

稽古の始めに子供達にそのことを告知したところ、U助の存在を知らない子供が多数いました。U助自身、目立とうとする子ではないし、子供達はいろんな小学校からやってきていますし、学年もバラバラ、週1回1時間程度の付き合いです。最近は子供の数も増えているので無理もないことかもしれません。しかし、中にU助を指さし「こいつ?」ときく子にはカチンと来ました。その子には注意をしましたが、私の指導ミスだと反省です。私は私と子供との関係にばかり注意するあまり、子供通しの横のつながりが希薄になっていることに気が付きませんでした。

子供に限らず、集団の中で居場所のないというのは心細いものだと思います。武道をやっているのだから、孤独を怖がらないでほしいという思いもありますが、かといって仲間に無関心であってほしくはありません。U助が教えてくれた教訓を今後の指導に活かさねばなりません。

稽古終了後、U助に挨拶をしてもらいました。彼はとまどいながら多くを語ることはできませんでした。小学三年生です無理からぬことです。しかし彼は、一言、はっきりと、
「ありがとうございました!」
と、正座したまま礼をしました。去りゆく教え子に対するひいき目でしょうか。私には背筋の伸びた、それでいて隙のない武道家の礼に見えました。

U助に贈る言葉としても、昨日子供達に話したことは、時間もなかったので一言でした。
「人付き合いで大切なのは、出会い方と別れ方です」
これは私の中学の恩師の言葉です。私は人見知りするところがありますので、上手な出会いがなかなかできません。また、根本的に自分の存在価値に自信がないので、人との別れは淡泊になりがちです。 私自身の反省も込めて…、
子供達にたくさんの出会いと別れを経験してほしいと思います。

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完璧に真似る気概

こんばんは、OSSです。

今日の稽古に、先週体験稽古をしてくれて、入会希望の子が3人やってきました。それぞれ希望とやる気に満ちて私に「よろしくお願いします」と挨拶してくれました。武道の先生なので失礼があってはならないと、少し緊張しているようです。

私は人の顔と名前をなかなか覚えない悪癖があります。幼い頃から自分自身と向き合うことに必死になっていたので、必然的に他人に無関心になってしまったのだと思います。先生と呼ばれるようになり、それがいかに悪いことかがわかったので、これからはもっと人を理解しようと反省してます。

今年から、子供の顔と名前を覚えるため、名札を見せてくれている写真を撮らせてもらうことにしました。どこかの国の囚人みたいですが、これで彼らの顔と名前を覚えられるし、町であっても反応できるでしょう。

名前を教え、写真を撮られたので、彼らも幾分緊張が解けたのでしょうか。いろいろと話しかけてきてくれました。しっかり1人1人聞いてあげたかったのですが、時間がありませんでした。残念です。新しい子に限らず、前からいる子もいろいろとあったことを報告してくれます。運動会の練習で骨折した子、花火でまぶたを火傷した子、いろんな話をしてくれます。それだけ信頼して気を許してくれているということなのだと思います。この関係大切にしたいものです。そんな中、近々、合気道を辞め野球をやることにすると報告してくれた子がいます。

その子とは彼が小学校一年生からの、数年来の付き合いです。控えめで素直な性格の子で、期待すると必ず応えようと一生懸命になるところが私は好きでした。彼の今後の成長が楽しみだったのですが、合気道を辞めることも彼の人生には意味があることなのだと思います。

卒業や他のスポーツをきっかけに合気道を辞める子。気付いたら来なくなっている子。子供との別れはどこかせつないものを感じます。いつまでも彼らと稽古をして、彼らの成長を見ていたかったという喪失感、これで重い責任から解放されるという安堵感、彼らに何を伝えられただろうかという後悔に似た不安感を感じずにはいられません。将来、大人になった彼らに胸を張って会えるよう私自身、精進しようと思います。

今日の稽古も子供達を3グループにわけ、それぞれの稽古をしてもらいました。私は初め小学生低学年と初心者達のグループを受け持ち、合気道の構え、受身、さばきなどを教えた後、後を大学生の補助に頼み、他のグループの稽古を見て回りました。大学生達がよく指導してくれているので稽古は順調でした。

さて、今日も稽古終了前、子供達に話をさせてもらいました。今日のテーマは「完璧にまねする」です。
塾講師時代、高校生を教えている時、漢字の書き順が無茶苦茶な生徒がいました。彼が書く漢字は一別すると文字ではなく記号に見えてしまうのです。その書き順が無茶苦茶な記号のような漢字を見せ、書き順がいかに大切であるかを話しました。そして、それは合気道でも同じことです。合気道は型稽古が主体ですので、型の一挙手一投足に集中し、その意味を理解しないといけません。いい加減に技を覚える者は、型の奥深さを感じることなく、物事をなめてかかるようになるのではないかという不安があります。彼らには物事の奥深さというものを感じ取れる人間になってほしいという願いを込めて、先生を完璧に真似る気概で稽古、あるいは勉強をするように話をしました。そして、言わせてもらいました。

「物事をいい加減にする癖が付いている者は…、人生もいい加減になる!」

言った後で激しく凹みました。私は何を話しているのだろう。大人の人も聞いているのに照れくさく気恥ずかしいことを言ってしまった。そもそも、そんな言葉を吐く資格が私にあるのか。でも私が伝えられること、伝えたいことはこれしかない…、こんなことしかないのです。

今日の稽古は彼らの心に何かを残せただろうか。

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残心

こんばんは、OSSです。

高校生の頃から現在の道場で合気道を始め、その後地元の大学に進学し、単位そっちのけで稽古に励み、大学卒業後は道場に帰り、子供クラスの指導をさせてもらっています。高校以来、合気道歴は13年になります。現在、三段を認可して頂いています。このカテゴリー「合気道稽古記録」では、私が指導する子供クラスの稽古風景、私の考えたことを報告したいと思います。子供達の成長を感じ取って頂けたら幸いです。

私が所属する道場では6月の頭、今時分に小学生の入会を認めています。当初、10人程度から始まった子供クラスですが、現在30人を超えています。正直、もう私の統率できる許容範囲を超えていますが、近隣大学の学生による補助、一般の大人の方の助けで何とか指導らしいことをやっています。昨日の稽古では、子供を入会させたい数家族が稽古の見学にやってきました。彼らが入会すると40人を越えてしまいます。今後の稽古の仕方を工夫しないといけません。

小学生が夏休みに入る頃、道場では日頃の稽古の成果を発表するため内輪で演武会を行います。年々子供クラスの演武内容をレベルアップさせていますが、そろそろ上級者と初級者の開きが目立ち始めるようになりました。そこで、昨日の稽古では、演武する者、杖の型を習う者、初歩的な技を習う者、子供達を3グループに分け指導しました。私は、体験入会している子供達に顔を見せるため、他のグループを大学生達に任せ、初歩的な技のグループを担当させてもらいました。

まず最初に受身を教えた後、胸取りからの一教をやってみせました。初めて合気道の技を見たのでしょう、子供達も親御さんもビックリしていました。その後、子供達にも実際にやってもらい稽古を楽しんでもらえたようです。

私は稽古の終了時にたいてい子供達に話をするようにしています。合気道的な価値観、私自身の人生哲学、人間として大切な道徳的なことなどをその時々の私の気分で話させてもらいます。その日のテーマは「残心」でした。

「残心」とは剣道では、撃突した後、敵の反撃に備える心の構え、弓道では矢を射放した後の反応にこたえる構えのことを言いますが、私は合気道の残心とは、特に一対多の多人数がけを想定し、1人に技をかけた後、技をかけられた者への心配り、次に攻撃して来るであろう者への心構えだと理解しています。つまり、私が考える合気道の「残心」とは終わったことへのけじめ、次に起こるであろうことへの準備だと思うのです。

私の考える「残心」は何も合気道だけのことではありません。日常生活にも実践できることです。このことを子供達にわかってもらうため、私は私服を持参しました。裏返しに脱がれた上着、片足がめくれたズボンなどをみせ、残心とはどういうものかを話しました。どうでもこうでも服を脱ぎ、脱いだら脱ぎっぱなしにする。これでは残心はできていません。脱いだ服に感謝し、洗濯がしやすいように服を脱ぐ、これが「残心」です。

もっとわかりやすく話すことも可能なのですが、私はあえていつも禅問答のような感じで話をします。私と付き合いの長い子供達は楽しんで理解してくれたようですが、新しい子達は私が何を言っているのかわからずポカーンとしていました。今はそれでいいのです。
わかりにくい話を自分の頭で考え自分自身で納得する。これが私が合気道を通し、彼らに一番伝えたいことなのです。

稽古終了後、我が師に呼ばれ入会希望の親御さん達に紹介して頂きました。我が師は私に子供の入会を許可してもよいかと聞いてくださいました。私は30人も40人も変わらないから、入会はかまわない旨答えました。

不覚でした。
30人も40人も変わらないとは何という発言でしょう。これでは子供を十把一絡げに扱うと言っていると同じことではありませんか。他人への無関心は私の悪い癖です。直そうと努力していますが、時々不用意な発言にそれがでてしまいます。心ある親御さんは不快だったのではないでしょうか。我が師の顔に泥を塗るようなことをしてしまいました。その後、猛反省した次第です。

本心ではないといえ、言った言葉は取り消せません。この失態を償うため行動で示し続けなければなりません。終わったことへのけじめ、次に起こるであろうことへの準備……、「残心」。

このブログを読んでくださっている親御さんはおられるはずないと思いますが、改めまして…

私に貴重な出会いをありがとうございます。私は合気道を通し、子供達に自分の人生と真剣に向き合うことを伝えたいと思います。私自身、まだまだ未熟ではございますが、私でよろしければお子さんをお預け下さい。一生懸命に指導させて頂きます。

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