こんばんは、OSSです。
小論文を何とか納品しました。大混乱の中、歯を食いしばって、どうにかこうにかやっつけた。そんな感じです。
さて、今日一日、部屋に引きこもっていたので、納品後に気分転換もかねて近くのデパートに車を走らせた。注文していた時計が入荷したという連絡をもらっていたので受け取りにいったのだ。
しかし、お店で店員さんに注文していた時計を受け取りに来た旨伝え、受け取ったのだが、何となく違和感を覚えた。適確にコミュニケーションがとれていない。どこかかみ合わないものを感じた。別に言葉が出なかったわけでもなく、話が通じなかったわけでもない。でも、明らかに違和感があった。
後から考えた。原因は僕のスタンスにあったのではないだろうか。
僕は一人前の大人の客として時計を買いに行ったのだが、どこか自信のない子供というか、浮世離れしているというか、ママゴトをしている気分というか、とにかく一人前の大人の客という心理状態ではなかった。だから、表面上はコミュニケーションがとれても、気持ちの上で違和感を感じていたのだろう。
そういう心理状態になった原因は一日部屋に引きこもって大混乱していたからだと思う。また大混乱の原因はスタンスにあったのだと思う。僕の小論文のコメントは、講師として高所からアドバイスをたものあり、近しい者のように一緒に考えるようとしたものあり、逆に教えを請うようなものあり、しかもそれが一人の添削中にコロコロ変化していた。さすがにそういう文章で書いたものを納品はしていない。後から読み返してちゃんと手直ししたが、スタンスが定まっていないというのが、混乱の原因だったのだろう。
そういえば昔読んだ本、齋藤孝先生の「原稿用紙10枚を書く力」に、「書き始める前に、自分に向けて書く文章なのか他人に向けての文章なのか、明確に意識することが必要である」という記述があった。そのときは、よいことを教えてもらったと思ったが、全然身になっていなかった。得た教訓を血肉にしないのならば、それは時間の無駄でしかない。反省だ。
ここまで考えて、ピンときた。そうか! 僕はこれが苦手だったんだ!
人間関係において人には求められる役割がある。ある時には友人という役割、ある時には子供の役割、またある時には先生という役割など、時と場合によって人は自分の立場をスタンスを変えている。
このスタンスを変えるということが僕は苦手なようだ。
裏表があってはいけない、自分の心に正直であることを心がけて生きているようなところがあるので、僕は基本的に演技ができない。無意識のうちに誰に対しても同じスタンスで接してしまう。もちろんまったく演技ができず、1つのスタンスしかとれないという訳ではないが、自分的には「教えを請う者」というスタンスが一番しっくりくるスタンスのような気がする。
今まで、年の離れた年長者に受けがよいことが多いが、それは僕の教えを請うというスタンスと年長者の教えたいというスタンスがマッチしていたからだったと気がついた。
そういえば、もう、そう呼ばれて何年もたつのだが、僕は未だに「先生」と呼ばれることに違和感を覚えている。合気道の子供クラスを指導する際、指導者という立場で強いメッセージを込めて指導に当たらなければならないが、時々、道場に足を運ぶのが怖いときがある。あれは自分が先生モードになっていなかったんだ。
また、僕は求められてもとりがたいスタンスがある。
例えば、女性との対等な関係。男尊女卑、時代錯誤といわれてもかまわないが、僕は男は女を守るものと思っている。だから対等の関係として接してくる女の人にはどういう反応をしてよいのかわからない。
また、基本的に粗野な人間は嫌いだ。たいして親しくもないのにタメ口を聞いてくる奴。僕が気を使って接しているのにそれを変にとる奴。そういう奴は、大抵、僕を変な奴、弱い奴と判断し、見下すことがしばしば。
しかし、僕もそんな評価を素直に受け入れない。受け入れない僕を相手は生意気だと感じ、僕はなんだこいつと思う。関係が悪化する。後になって、僕の方から腹を割って話そうということになる。相手はビビる。それで認識を改めることができる、器量の大きな人間ならこちらもつきあいたいと思うのだが、大抵、修復不可能な関係になってしまう。
まぁ、つまり、僕のスタンスの取り方に問題があるのだろう。
そのスタンスも、思えば最近少々ブレていたきらいがある。それは僕という人間の根本が定まっていないからなのだろう。今の僕にとって成長を妨げている壁になっているのは、これではないだとうか。
TPOや、相手の期待にあわせて、自分の立場を変えられる。しかし、それは表面上であって、根本的には決してぶれない一つのスタンスでいるというのが理想だ。
以上
Recent Comments