旧ブログ4「OSSのblog 躓く石も縁の端」

更新休憩

こんばんは、OSSです。

しばらく更新を休みします。

昨日、髭を剃ったあと、髭剃りのメンテナンスをしていると、刃でざっくり左指を切ってしまいました。不覚。

今回のように更新できないわけではないですが、やや、というか、かなりキーボードを打ちづらい。よって長い文章は無理(ムダに長いだけで誰もそれを望んでいないと思うのだが)。

傷はたいしたことなので、二、三日、長くても一週間以内で治るのではないかと思います。幸い、右手でなく左手なので、勉強には支障はありません。というわけで、休んでいる間も精力的に勉強をします。

以上

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ピンチはチャンス

こんばんは、OSSです。

後期試験の結果もほぼ出尽くしたようです。補じょ校も来月中旬までお休みで、春からの新三年生もまだ目の色を変えた者はいない。来週、新三年生を対象としたセンター試験の解説講義をすることになっている。その準備をボチボチしていますが、職場では比較的のんびりと仕事をさせてもらっています。

今日は、英語の先生の講義があった。かつての全盛期の頃の塾ならば、軽く40人以上は集まるところだが、今日の授業は10人いるかいないかくらい。明日、明後日の数学はさらに少なく、来週の僕の講義は今現在4人が受けることになっているそうな。やばい、やばい。

今日唯一の面談が終わり、二時間講義の準備に当てようかなと思っていると、事務のお姉さんが「本社から連絡が入り、仕事がないので、その…」といいにくそうに話す。

ぴんと来た。「じゃあ、帰らせてもらってかまいませんね」とこちらから申し出た。

前々からそういう措置をとるという通達があったが、実際に帰らされたのは初めてだ。経営は、そこまで切迫しているということだろう。こりゃ、長居はできないぞ。

しかし、悲観はしない。収入が激減しても時間はできる。その時間を本来の勉強に充てればいい。ピンチはチャンスだとばかり、家に帰ると、身を入れて法律の勉強をした。

以上

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性根がなっとらん!

こんばんは、OSSです。

今日は、前々からやってみようと思っていた、ストップウォッチを持って普段行っている行動がどのくらい時間がかかっているのかを調べてみようとしました。

犬の散歩は15分弱

歯磨きは5分

家から駅まで車なら10分

電車通勤は快速で30分弱

駅から予備校自習室まで歩いて7分30秒

予備校に入り、自習室に座るまでは5分40秒

といった感じでデータ収集をしていました。こうしてみると、結構な時間がかかっていることがわかります。こうした時間に体を動かしながら、頭は法律知識のメンテナンス、考察などを行えば、かなり力がつくでしょう。

ストップウォッチで計りながらいろいろなことをしていると、普段より集中できることにきがついた。これはいいと思い、自習室でちょっとしたことでもストップウォッチで計りながら集中的に処理していると、ピッという音が気に障るのでしょう。前に座っていたヒゲ面の若い男が振り返り、一言小声でボソッと「うるせ」と睨まれた。

(なんちやぁ? きさん!)反射的にらみ返し、しばし目が合う。

しかし、すぐに反省。

悪いのは僕の方なのだから頭を下げてストップウォッチをカバンになおした。自習室ではもっと配慮すべきだった。ストップウォッチの音など全然、問題にならない程度だと思ったのだが、それは僕の独りよがりだった。勉強ばかりして引きこもっているから、またもや社会性のない行動をとってしまった。

しかし、謙虚に非を認めたものの、しばらく内心穏やかでなかった。たいした音でもないのに何反応してんだ。集中してないから気になるんだろ。なんがうるせだ。明らかに自分より年上の背広着た男によくもそんな口がきけるもんだetc

いやいや、醜い自己防衛です。まだまだ修行が足りません。

そんなことがあったからか、その後は調子が悪くなった。

やるべきことは一通りこなしたが、自習室では集中できなくなってしまった。

自習室を引き払い、遅い昼食をとるために行きつけのネカフェにいった。食事しながら講義を受講したかったのでマットの席をお願いすると、マッキントッシュの席に案内された。そういえば店員さんは、メニューも何度か聞き直したな。僕の声が小さいのかな。それとも発音が悪いのか。すぐに席を変えてもらった。

WEB講義のサイトに行き、ログインして受講しようと準備していると、家にテキストを忘れてきたことが判明。講義受講を断念した。

席にいると携帯のバイブが鳴った。本当は携帯スペースにいくべきだったのだが、思わず席でとってしまった。予備校の事務の方からで、受付カウンターにプリント類を入れるフォルダを忘れて帰っているという内容だった。

食事がくるまで漫画を読んでいたが、全然こない。どうなっているのかと思い、電話してみて二、三やりとりしていると、僕が違う席に座っていることが判明。急いで席を移動する。正しい席にいってみると、とっくの昔にランチはきていた。店員さんが恐縮して作り直しますと言ってくれたが、明らかに僕のミス。とんでもないと、若干冷えたランチを急いで食す。

予備校にもどりフォルダを受け取り、塾に移動。同僚の先生が「OSS先生、さっきネットカフェにいませんでした?」と聞いてきた。先生は僕が最初に間違って入った席の隣にいたそうな。予備校からの電話のことも、席移動のことも知っていた。声でそうじゃないかなと思ったそうだ。お恥ずかしい限りです。どこでだれが見ているかわかったもんじゃない。悪いことはできません。

なぜ、こんなに裏目裏目に出てしまったのだろう。引きこもっているからこんなことになるんだろうな。性根がなっとらん!

もっと社会性を身につけ、堂々と生きなければならないと猛反省です。来年は合格率1%を争わないといけない。この甘えた性根を早急にたたき直すさないと戦えないだろう。

以上

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スタンス

こんばんは、OSSです。

小論文を何とか納品しました。大混乱の中、歯を食いしばって、どうにかこうにかやっつけた。そんな感じです。

さて、今日一日、部屋に引きこもっていたので、納品後に気分転換もかねて近くのデパートに車を走らせた。注文していた時計が入荷したという連絡をもらっていたので受け取りにいったのだ。

しかし、お店で店員さんに注文していた時計を受け取りに来た旨伝え、受け取ったのだが、何となく違和感を覚えた。適確にコミュニケーションがとれていない。どこかかみ合わないものを感じた。別に言葉が出なかったわけでもなく、話が通じなかったわけでもない。でも、明らかに違和感があった。

後から考えた。原因は僕のスタンスにあったのではないだろうか。

僕は一人前の大人の客として時計を買いに行ったのだが、どこか自信のない子供というか、浮世離れしているというか、ママゴトをしている気分というか、とにかく一人前の大人の客という心理状態ではなかった。だから、表面上はコミュニケーションがとれても、気持ちの上で違和感を感じていたのだろう。

そういう心理状態になった原因は一日部屋に引きこもって大混乱していたからだと思う。また大混乱の原因はスタンスにあったのだと思う。僕の小論文のコメントは、講師として高所からアドバイスをたものあり、近しい者のように一緒に考えるようとしたものあり、逆に教えを請うようなものあり、しかもそれが一人の添削中にコロコロ変化していた。さすがにそういう文章で書いたものを納品はしていない。後から読み返してちゃんと手直ししたが、スタンスが定まっていないというのが、混乱の原因だったのだろう。

そういえば昔読んだ本、齋藤孝先生の「原稿用紙10枚を書く力」に、「書き始める前に、自分に向けて書く文章なのか他人に向けての文章なのか、明確に意識することが必要である」という記述があった。そのときは、よいことを教えてもらったと思ったが、全然身になっていなかった。得た教訓を血肉にしないのならば、それは時間の無駄でしかない。反省だ。

ここまで考えて、ピンときた。そうか! 僕はこれが苦手だったんだ!

人間関係において人には求められる役割がある。ある時には友人という役割、ある時には子供の役割、またある時には先生という役割など、時と場合によって人は自分の立場をスタンスを変えている。

このスタンスを変えるということが僕は苦手なようだ。

裏表があってはいけない、自分の心に正直であることを心がけて生きているようなところがあるので、僕は基本的に演技ができない。無意識のうちに誰に対しても同じスタンスで接してしまう。もちろんまったく演技ができず、1つのスタンスしかとれないという訳ではないが、自分的には「教えを請う者」というスタンスが一番しっくりくるスタンスのような気がする。

今まで、年の離れた年長者に受けがよいことが多いが、それは僕の教えを請うというスタンスと年長者の教えたいというスタンスがマッチしていたからだったと気がついた。

そういえば、もう、そう呼ばれて何年もたつのだが、僕は未だに「先生」と呼ばれることに違和感を覚えている。合気道の子供クラスを指導する際、指導者という立場で強いメッセージを込めて指導に当たらなければならないが、時々、道場に足を運ぶのが怖いときがある。あれは自分が先生モードになっていなかったんだ。

また、僕は求められてもとりがたいスタンスがある。

例えば、女性との対等な関係。男尊女卑、時代錯誤といわれてもかまわないが、僕は男は女を守るものと思っている。だから対等の関係として接してくる女の人にはどういう反応をしてよいのかわからない。

また、基本的に粗野な人間は嫌いだ。たいして親しくもないのにタメ口を聞いてくる奴。僕が気を使って接しているのにそれを変にとる奴。そういう奴は、大抵、僕を変な奴、弱い奴と判断し、見下すことがしばしば。

しかし、僕もそんな評価を素直に受け入れない。受け入れない僕を相手は生意気だと感じ、僕はなんだこいつと思う。関係が悪化する。後になって、僕の方から腹を割って話そうということになる。相手はビビる。それで認識を改めることができる、器量の大きな人間ならこちらもつきあいたいと思うのだが、大抵、修復不可能な関係になってしまう。

まぁ、つまり、僕のスタンスの取り方に問題があるのだろう。

そのスタンスも、思えば最近少々ブレていたきらいがある。それは僕という人間の根本が定まっていないからなのだろう。今の僕にとって成長を妨げている壁になっているのは、これではないだとうか。

TPOや、相手の期待にあわせて、自分の立場を変えられる。しかし、それは表面上であって、根本的には決してぶれない一つのスタンスでいるというのが理想だ。

以上

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上を向いて頑張ろう

こんばんは、帰りの電車が人身事故の影響で大幅に遅れ、満員電車で帰ってきたOSSです。

ひどい目にあった。

それはいいとして、昨日はやる気になったので、寝る前に少々無理をして講義を受講した。とりあえず講義はどんどん受講して、10月くらいまでには基礎マスターを終わらせたいと思います。

ところで困ったことになっている。明日が小論文添削業務の締め切りなのだが、全然終わっていない。

調子が悪かったのも原因だが、今回かなり苦戦している。こう言っては何だが答案のレベルがあまりに低い。ゴミが増えていますどうしたらよいですかとあれば、ゴミを減らせばいいと答え、犯罪件数が増えていますとあれば、刑罰を重くすればいいとまじめに答えている。大まじめに場当たり的な対策を提案する答案が多い。それなりのレベルの大学生が書いたもののはずなのだが、なぜこんなことになっているのだろう。

答案をよく読み込み、執筆者である大学生の身になって発展性のあるコメントをしようと試みているのだが、その発想と論理構造に毒され、こちらの方が混乱してしまう。

混乱してしまうと自分も不安定になる。そうなるとまたぞろ信念の矛盾が顔を出す。ものを考えない人間に考えさせることはできないのではないか…。どんなコメントをしても意味がないのではないか…。それともこれが普通なのではないか。むしろ僕の方が考えすぎで異常なのではないだろうか…、というわけでなかなか添削業務が進まなかった。

時に、昨日の講演会の帰りに、弁護士の先生方が読む業界誌を買った。新人弁護士の先生方の特集があったのだが、皆、そうそうたる経歴の持ち主ばかりだった。そして、みな希望に燃えていた。

そうだよ! 僕が目指している世界はこんなだよ! 

なんか最近、いや、もう何年も下ばかり見て生きてきた気がする。下を向いて出るのはため息ばかり。もう、どうしようもない現実を悲観するのは疲れた。決して、志を忘れたわけではないが、しばらく上だけを見てがんばってみようかと思っている。ため息も上を向けば深呼吸というではないか。

自分のレベルが上がれば、見えるものもあるのではないかと思う。

以上

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気合い注入!前進!

こんばんは、OSSです。

今日は、いつもの合気道の稽古を早々に切り上げ、伊藤先生の講演に行ってきました。

今、法律の勉強の方は、やる気もあり、それなりに手応えを感じているが、仕事が忙しく思うように時間がとれない状態だったりする。しかし、今日の伊藤先生のお話を聞き、仕事の忙しいのは理由にならないということを肝に銘じてきました。時間は作るもの、環境は整えるもの、待っていても何も変わりません。

時に、先生の原理原則から考えるという言葉にハッとした。原理原則を信念と置き換えてもよいのではないか。

正直、今の僕は信念が揺らいでいる。人にものを考えてもらいたい。とりわけ自分自身と向き合い、人生を考えて欲しい。それが道を踏み外すことなく充実した生を送る方法であり、ひいては世の中をよりよくするものだという思いがある。しかし、それができない人間がいる。ものを考える能力、想像力が皆無。だから自分自身と向き合うというこの意味すら解さない。そういう人間はどうすればいいのか。社会の中に形式的に組み込み、その内面には当たらず障らずして波風を立たせない方がよいのか。しかし、そういう人間が事件を起こしたらどうする。反省など期待できないのだから、キチガイ犬に噛まれたと思ってあきらめるしかないのか。しかし、それがためにかけがえのないものを失った場合あきらめられるのか。そういう迷いが最近特に強かった。

しかし、昨日今日、少々迷いがはれた。信念を盲信して疑わないのは問題だが、事をなすに当たり、例え信念が矛盾を抱えていても、その信念を貫き通すという生き方もあってもよいのではないかと思った。

そう考えるにいたった理由は、他にもあるのだが、それはそれとして、今日のところはいいでしょう。とりあえず、前向きにがんばれそうです。

以上

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ガス欠

こんばんは、OSSです。

今日は調子が悪かった。

ここ数日、締め切り間際の小論文添削を脇に置き、ダラダラと長文の記事をアップし続けた。今日くらいから本腰入れて片付けないと間に合わなくなってしまう。

しかし、添削できない。なんてコメントしていいのか考えられない。

公務員試験を念頭に置いた小論文だから大学生が書いたものだが、高校生の書いたものとそう変わらない。どうかするとそれ以下のレベルのものがある。なんだかな~と思う。

一番閉口するのが政策論を語っているもの。これこれの法律を制定すればいい、行政はこれこれの政策を実行すべきだ、行政主催の○○イベントの実施を提案する、などと書いてある。

つっこみどころ満載で感想を言うならば、メルヘンだね。

しかし、ストレートにそんなことコメントできるわけがない。表現をオブラートに包み、軌道修正を指示しないといけないのだが、今日は全然言葉が出なかった。仕事で、文章を読んで問題を解いて見せ、解説したり、学習アドバイスなどするには仕様はなかったが、ものを考えて文章化することができない。なんか集中できないというか、気が散るというか…。

集中力を高めるツボを押したり、軽く柔軟したりしてみたが、効果なし。そんなこんなで今日は一枚も添削できなかった。

家に帰って食事をしていて気がついた。今日は満足に食事をとっていなかった。朝食べたくなかったので牛乳を一杯飲んだだけだったし、昼も食べたくなかったので食べなかった。どうやら脳みそがガス欠を起こしていたのではないだろうか。飴の一つでも食べていたら変わっていただろう。残念。

食事は大事だね。

以上

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人と接するスタンス

こんばんは、OSSです。

人間の性は、善か悪かで古来より議論がある。孟子は性善説をとなえ、荀子は性悪説をとなえたそうだ。

善とは何か、悪とは何か、大学の法哲学ゼミでいろいろ議論したが、今もってよくわかってない。たぶん、答えはなかったのだと思う。

人間の性が善なのか、悪なのか、そこで語られる善悪の定義はこの際どうでもよい。

今は善か悪かは相対的な概念であって、絶対的な基準などないと考えておく。善か悪かは主体が客体をどのように判断するのかという主観の問題にしか過ぎないと考えておけばよい。

さて本題だが、基本的に僕は他者を善と見ることにしている。経験則からその方が得られるものが多いと考えるからだ。

子供の頃は違っていた。他者を悪と見て容易にうち解けようとはしなかった。知らない人を見ると僕を嫌っているのではないか、僕に危害を加えようとしているのではないか、不利な状況に追い込まれないためにはどうすればいいのか、この人間とどんな距離をとればいいのか、無意識にまずそのことを考えていたものだ。

そもそも弁護士になろうと思ったのもそういう考えをしていたからだ。組織で働いたとして、僕に命令する上司は信頼できるのか。人間的に信頼できるのならいいが、信頼できない人間の下で働き、間違った命令、判断の尻ぬぐいをさせられるなど人生の無駄遣いだとしかおもえなかった。だから、自由業の弁護士に憧れた。信頼できるかどうかわからない他人の判断より、自分の価値観に基づく判断を尊重したかった。仮にそれが間違っていたとしても、自分で判断したことであれば、その責めを負うのはやぶさかではない。そう考えた。

容易に人とうち解けない僕は、信頼し、気心が知れる人間は大切にし、誠実であろうとした。その点でも弁護士になりたかった。自分が大切にしている人を守れるようになりたかった。その人にとってかけがえのない存在でありたかった。

中学まではそれでよかった。たいていのことに平均以上の能力を発揮する自分に自信があったし、少数の自分が好きな人さえいればよかった。仮に同級生であったとしても他者など歯牙にもかけなかった。だから、僕は同級生の顔と名前をほとんど覚えていない。覚えていないと言うより知らないといった方がいいかもしれない。

しかし、そういう生き方はいつまでも通用しなかった。数々の失敗や挫折を経験した。そのほとんどが自分の人間性にあった。

そのことに気がついてから、180度方向転換を試みた。見ず知らずの他者であっても心を開いて誠実に付き合おうとした。今までが今までだっただけにすぐにできたわけではない、今もできていないと思うが、こちらが心を開けば、たいてい相手も心を開いてくれた。信頼を示すと、信頼で返してくれた。その結果、有形無形に自分の至らないところ、学ぶべきことを気づかせてもらえた。

人を悪と見るより、善と見た方が得るものが多いというのはそういうわけだ。

人を無防備に信頼したがためにひどい目にあった。それがためにかけがえのないものを失い、たぶん一生苦しむハメになった。

それでも自分のスタンスは変えない。信頼を裏切った人間を恨むだけでは何も変わらない。恨むのなら自らの人を見る目の貧しさも恨もうと思う。ここでも学びがあった。

人を無防備に信頼する愚かさをしった僕の弁護士になりたいという動機に変わりはないが、今は信頼している人を守りたい、かけがえのない存在になりたいという思いの方が強い。そのためには、もっともっと成長しなければならないと思っている。学力的にも人間的にも。

だから人を基本的に善と見るスタンスは変えない。裏切られたり、傷つけられたりしてもそれを糧にして成長すればいい。それに傷つけられても、僕が信頼する、守りたい人たちが癒してくれることを知った。

人一人ができることなど方がしれている。だから、人は多くの人と協力して大きな事をなす。ただし、自分がすべきことは確実にこなさなければならない。それができるからこその信頼関係だ。そういう人間関係がもてることを幸せというのだと思う。

以上

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暗い眼差し

こんばんは、OSSです。

最近、希望を持った善人のような記事を更新したばかりで恐縮だが、私は聖人君子ではない。そんな者にはなれそうもない。受けた仕打ちは簡単には忘れない蛇のような執念深さを持っている。それを棄てるつもりはない。

数日前から、ある写真の存在をしっていた。その写真が眼に飛び込みそうになったとき反射的に目をそらした。そのときは、見る勇気がなかった。

かつて見るチャンスがあったにもかかわらずそれを見ると、目に焼き付き一生消えないのではないのかと思ったので見ることを拒否したことがある。

血が逆流するのではないか、頭に血が上るのではないか、目の前が真っ赤になるのではないか、何年も続いた砂を噛むような感覚が戻ってくるのではないか、いろいろな懸念や恐怖があった。

しかし、今日、意を決して目にした。

思ったような反応はなかった。正の感情がわき起こることはないが、不思議と負の感情も起こらない。いいことなのか悪いことなのか。ただ、自分が暗い眼差しをしていることは感じた。

片目をつぶり、おどけた表情

馬鹿なことしたよな

まだ目をそらしているのか?

一生目をそらし続けるつもりか?

それとも答えは出たか?

生き様といえば大げさかもしれない。だが、あんたは、人に何を教えることができるんですか?

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近況報告

こんばんは、OSSです。

最近、更新が鈍いためか、とある方から連続更新記録への挑戦を促されております。

楽しみにしてくれるのは悪い気はしないが、このブログには当初から目的がありまして…、その目的のための更新でありまして…、しかし、目的から外れた更新もあり、いや、むしろその方が多いくらいであったりして…

まぁ、ブログの方向性は、おいおい考えるとして、補じょ校が明日の授業を最後に春休みに入ります。ようやくしらけきった授業から解放される。昨日の特別授業は整体関係の授業を企画して、そのために何冊も本を読み勉強して臨んだのだが、生徒の参加はゼロだった。生徒より、先生方が受けたいと切望していた。

何をやっても食いつかない生徒は食いつかない。もうやめて、大学入試の指導だけしてようかと思わなくもなかったが、ここは僕自身の勉強になる。教える内容は簡単なので、専門外であっても付け焼き刃の知識で授業ができる。そういう授業をこなすことで自分の知識を深めることができる。加えて、ある意味生徒はシビアな反応をするので、講義スキルが上がる。実際、最近はいいテンポで話ができるようになった。そういうわけで、もう一年居座ろうと思う。確実にストレスから寿命は縮まるだろうが。

小論文の添削業務を受注し、司法試験の講義は消化しないと行けない。忙しいが、明日を超えれば余裕ができる。返信しないと行けないメールがあり、更新したい記事の案もある。もう少し、時間の使い方を上手くならないといけませんね。

明日以降に考えます。


以上

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