勉強についてあれこれ

基本は条文

こんばんは、OSSです。

現在、いわゆる直前期。仕事に割く時間は必要最小限度におさえ、択一問題ばかり解いています。

問題ばかり解いていると、こういう場合ではこういう判断になる、この場合はあの事例に似ているからたぶんこうだろうと、事例だけが頭にはいることがある。それで問題が解けるのだからよいではないかという向きもあろうが、それでは議論の出所や趣旨のわからない「空中戦」になってしまう。

基本は条文。

問題は条文から作られ、ほとんどの論点は条文に端を発する。事例は抽象的な条文に肉付けされたようなもの。骨のない肉はただの固まり。

いかに条文とリンクさせるか、法律学習の妙とはそこにある。

裏を返せば、条文から考えると誰でもわかるはず。

条文を軽視しない。条文の趣旨とけんかしない。

ともすると忘れそうになるのでメモしておくのです。

以上

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3時間1セット

こんばんは、OSSです。

学習の主要な要素の1つである暗記に関しては、これまでの記憶の研究による暗記理論を体現するシステムを構築したことで問題はなくなりました。理論通りなら司法試験に必要な知識量は確実に超えることができるでしょう。

残る問題は、時間。

確実に知識をものにできるとしても、そうするためにはそれ相応の時間は必要となる。収入を確保しつつも勉強しなければならないため、絶対時間が不足するであろうことはわかっている。

しかし足りないものは足りないのだからしょうがない。反対に、これまでの経験から、時間がありすぎるのも問題だったりする。区切りのない長時間の勉強は精神衛生上よくない。特に僕には。

そこで、この際量のことはいったん脇に置き、質を高める方向で考えようと思う。

年末の家事で、短時間に同時進行でいろいろなことをこなしていたが、母がいつもしているのを真似してみただけだったりする。母は何かをするときにまさにバタバタバター!という擬態語が適切なほど集中して終わらせる。主婦は三食昼寝つきなどと言う人がいるが、母を見ている限りそんな暇はない。一日の生産性はかなりのものだろう。しかし、いかに母といえど一日中集中しているわけではない。買い物や食事などはリラックスしている(夜は電池が切れたように動かなくなる)。つまり、一日に集中する時間が何回かあるようだ。

そこから考えた。基本3時間1セットでことに当たるようにしてみてはどうだろう。

お風呂や食事、睡眠などを考えると一日4セット12時間が最大となるが、あまり詰め込むと精神的なバランスが悪くなるのが怖い。さしあたって一日3セットを基準に考えようと思う。1セットで、例えば講義の受講、復習、暗記までする。あるいは論文問題一題の分析と知識の抽出、暗記も3時間もあれば可能だ。

これまでは数時間まとめて受講してへろへろになり、復習は中途半端な上に時間をかけ、結果膨大な量の暗記を一気にしないといけなくなり、挫折するというあまり効率のよくないことをやっていた。暗記は少しずつ確実にしなければならない。学習というものは知識を暗記してこそ習得なのだから。

しかし、一日3セットすべて法律学習に使えるわけではない。仕事がある日は1セットが関の山だったりする。でも、社会人受験生ってそんなものだろう。しばらくこれでやってみようと思う。

以上

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私のノート歴

こんにちは、今日もお昼更新のOSSです。

少し前にしたノート術の研究をきっかけに、いろいろなことをノートに書きためるのが習慣になっています。

しかし、それは本当に最近のことであって、それ以前は全くノートというものを活用していませんでした。そもそも僕はノートをとる意義がわかっていませんでした。

小学生に上がってすぐの時、先生は黒板に授業内容を書きながら授業をしてくれていたが、僕はそれを写すことなく、ただ先生の話を聞いていた。誰も教えてくれないものだから、それが授業を受けることだと思っていた。しかしある時、隣に座っていた女の子が「先生!OSS君は全然黒板を写していません!」と授業中に先生に報告した。その時に知った。授業を受けるというのは黒板に書いてあることを写すという行為をしなければならないということを。それ以来、高校まで板書は必ず写してきた。その方が退屈せずにすんだから。

しかし、板書を写したノートを勉強に活用したことはほとんどない。テスト前ですらノートを開いて勉強した記憶がない。これも誰からも教えてもらえなかったものだから、そういうものだと思い、何の疑いもなかった。今にして思えば、板書の多い先生の授業は僕にとっては硬筆の時間でしかなった。何も考えず、先生が黒板に板書した内容をできるだけきれいな字で写して暇をつぶしていた。それでも中学生時分の成績は悪くはなかった。

中学生の時は、テスト直前に教科書を読み、大切な情報を自分でピックアップし、それをふまえた予想問題のようなものをつくり、一夜漬けで問題自体を丸暗記してこなすということをやった。授業中にとっていたノートは見向きもしてない。手間暇がかかる方法だが、それで点数がとれていたのでそういうものだと思っていた。実際、そのやり方でそれなりに校内でも上位に位置していた。

しかし、高校二年生あたりから徐々に成績が下がった。当時は人間関係や人生に関することで大いに悩んでいた時期だったので、それが原因だと分析していたのだが、今から考えるとノートの活用の仕方、勉強法に問題があった。

大学予備校時代から、例外的に自発的にとっていたノートがある。僕が「人生ノート」と呼ぶところのものだが、琴線に触れる名言に出会ったり、本や人の話を聞いて感銘を受けたりしたとき、それを書き留めてきた。これは偶然そういうことをしてきただけであって、それ以外に有意義なノートはとってこなかった。だから、勉強時間の割に予備校での成績はふるわなかった。それでも幸運にも地元の大学に進学できた。

大学の勉強はさっぱりだった。先生は滅多に板書しない。まえで蕩々と話しているだけだった。試験も用語の穴埋的なものではなかった。どうやって勉強してよいのかわからず、レポートのなんたるかもわかっていなかったので、いつしか講義から足が遠のき、アルバイトと部活に精を出し、もっぱら図書館やキャンパス内で本を読む生活を送った。必然、単位を取るのに苦労した。

司法試験の勉強を予備校ではじめたのは大学四年生の時だったが、全く身につかなかった。当時は精神的にボロボロだったので、授業をまともに受けられなかったのだが、精神的に安定していたとしても当時の勉強スキルではついていけなかっただろう。

大学五年目(留年した)の時に塾講師をはじめた。本ばかり読んでいたせいか、国語は人並み以上にできていたので何とかなるだろうと思いはじめた。しかし、古典が教えられない。そもそもどうやって教えていいのかわからない。そこで、関係する本を読みあさり、納得できる合理的な学習手順を構築し、古典文法から教えることにした。

しかし、古典文法をどうやって教えていいのかわからない。現役の時ですら古典文法を何となくしか覚えておらず、敬語法にいたっては全く理解していなかった。それでも幸運だったのは、当時、塾はオープンしたてで教室に生徒はほとんどいなかったことと、国語講師が僕一人だったので、僕の底の浅さがばれなかったことだった。

人間追い詰められると何とかしてしまうもので、生徒が使う塾のコンピューターには古典文法のソフトが入っていた。それを研究することで、覚えるべき内容を逆算した。さらに中学時代にやっていた丸暗記の方法を応用してプリントを作った。生徒にプリントを解説し、暗記させたところ、短期間で飛躍的に古典が得意になる生徒が続出した。また、何百人もの生徒にプリントを解説することで、知らず知らず僕自身も古典文法を覚えることができた。僕は高い評価を受け、勉強のやり方がわかった気がした。

しかし、司法試験には通用しなかった。いや、たぶん通用するのだと思うが、僕のやり方は一から教材を作り直すようなものだから、とんでもなく時間がかかる。それに科目の特性のなんたるかを無視して教材をつくっても意味がない。今でこそ、憲法、民法、刑法の急所を意識して勉強しているが、当時は全く意識していなかったし、できなかった。司法試験に肉薄はできても合格などできるはずがない。無茶な勉強は本試験直前に極度のストレス、精神的な不安定を引き起こし、大スランプとなり、結果、司法試験を一時撤退を余儀なくされた。

一時撤退し、リハビリに専念すると共に、まず暗記の仕方を研究した。関連する本を読みあさり、情報を集めて、講義で使えるようにプリントにした。そして、実際にいろんな暗記のテクニックを駆使して、いろいろなことを覚えてみた。今では暗記することにそこそこ自信がある。

暗記のコツの1つに、「想起のきっかけ」がある。覚えたことはきっかけがないと思い出せないのだ。そのことから気がついた。これまでいろいろなことを考え、有益な情報に接してきたが、それらは身になっているだろうか。身になる前に興味関心が移り、違う情報に接することをしているのではないか。そこで、長年つけている人生ノートの存在に思い至った。そういうノートをとることの効用を書いた本を読んだこともきっかけであった。

そうだ、何でもノートにメモっておこう。

そこで、生まれた雑考ノートシリーズ。ノートの最初のページに目次をつくり、見開きを一ページとして、情報を書きためることにした。これのおかげで興味関心の移り変わりにもとなって、とりとめもなく情報に接し、流すことが少なくなった。

はじめ、雑考ノートには文章で書くのではなく図解を心がけていたが、図解とは体系化であり、情報がはじめから体系化されて入っていくわけではないことに気がついた。そこで、マインドマップで記述を試みたが、マインドマップも体系化の一種であるので記述の仕方に悩んだ時期もあった。今では書き方にこだわらなくなった。メモ書きしたり、マインドマップを崩した書き方にしたり、図解したり、イラストを描いたりと、かなりおおざっぱに書いている。ノートだから罫線もあるのだが、それも無視している。

そういうノートの取り方は何度か参加した講演でもやってみた。講演だから板書はない。講師の先生の話を聞きながら、その場で内容を自分でまとめノートにメモしたり、感銘を受けた発言などは、できる限り一言一句間違えずにメモしたりして聞いた。後でノートを見るとぐちゃぐちゃに書いてあるのだが、どういう内容であったのかは書いた本人はわかる。他人が見て理解できないといけないものではないのだから、この書き方で全く問題ない。講義などで他人に教えないといけない場合は、このノートからレジュメをつくればいい。おかげで講義の組み立て方にも自由度が増した。

雑考ノートをつけていると、特定の分野の情報が多いことに早くから気がついていた。そこで人生ノートのように専用のノートをつくり独立させることにした。現在、武術全般に関することを記述する「武術考」と勉強法に関する情報を集めた「勉強法研究」、講師業など仕事のスキルに関する「professional」(当然、将来、弁護士道に関する情報がどんどん入る予定)をつくっている。これらは適時見直すことで、情報の記憶に役に立ち、過去や現在の研究テーマを考える際のきっかけとなっている。

そして、さらに今回司法試験を突破するために「司法試験考察ノート」をつくった。カウンセリング記録や学習上のヒント、肝に銘ずべき言葉や合格したら挑戦することなど、書き綴っている。今度、仮想合格体験記や合格した際、皆の前でするスピーチ原稿なども書いておこうと思う。苦しいときのモチベーションの維持になるだろう。

いろいろ試行錯誤してきた感があるが、ようは勉強のやり方を模索しているにすぎない。これまでのノート遍歴はその一分野でしかない。早くから勉強の仕方がわかっていて、実践していたら、もっと早くに成果を上げてエリートと呼ばれる人生を歩めていたかもしれない。しかし、勉強法というものは各人が生涯追求するべきものでだと思う。その意味するところを理解せず、ただ成果を上げるよりも、手探りで試行錯誤しながら、生涯磨き上げた方が最終的には僕にとって価値のある成果を上げることができるのではないかと思う。

司法試験を志したこと、数々の挫折を経験したことに後悔はない。

以上

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さきに確保

こんばんは、OSSです。

補じょ校で週三日非常勤講師として教鞭をとる現在僕の社会的身分はフリーターということになります。完全な専業司法浪人でないので二十四時間自分の時間というわけにはいかない。働く時間は当然に法律の勉強はできないのだが、それ以外に講義の準備をしているときも法律の勉強はできない。

何が言いたいのかというと、時間が無尽蔵にあるわけではないということ。一日の内にできるだけ法律の勉強に充てるべきで、実際そうしているのだが、これから全く勉強できない時もあるやもしれない。

そこでシビアな時間管理が必要なのだが、単位時間あたりの作業量、集中力はストップウォッチが大活躍してくれているのでこれは問題ない。問題なのはやることが多いのでいくら集中しても終わらないということ。

かつて一日のノルマを決め、それを頑張って消化する生活をしていたのだが挫折した。原因は、物理的に処理できない量のノルマを設定していたからだった。当たり前のことなのだが、なかなかこのことに気がつけなかった。当時の精神状態が思いやられる。

そのことから今はかなり一日のノルマは少なく設定している。少なく設定しているといってもやや多いといった感じだと思う。しかし、それでもともすると消化できなくなっているときがある。原因は、仕事関係でやらなければならないことに時間をかけすぎているからだ。特に講義の準備などは、時間をかければかけるほどいい講義ができるという側面がある。まぁ、いい講義をしたとしても生徒からは喜ばれないのだが…

そこで、最近時間管理で心がけていることは、

勉強時間は捻出するものではなく、さきに時間を確保すべきもの

仮に五時間の可処分時間(←伊藤塾的表現)があるとして、その中でやらなければならないことが講義の準備と法律の勉強だとする。今までは、さきに講義の準備をしてから、落ち着いて法律の勉強をするようなことをしていたが、たいてい講義の準備は予定通りには終わらない。どうしても法律の勉強の時間を浸食してしまう。

そこで、さきに法律の勉強時間を確保することにした。五時間中三時間勉強するとしたら、さきに三時間してしまう。後の二時間で講義の準備をする。たとえ時間が足りなくとも二時間しかかけない。準備不足は出たとこ勝負でしのぐことにした。

優先順位を考えたら当然のことだ。僕は仕事というものは自らの生き様を表現するものだと考えている。だから、手を抜くようなことはしないつもりなのだが、僕が自らの生き様を表現する職業は弁護士だと決めている。法律の勉強は個人的なものであるかもしれないが、遠因的に弁護士の仕事をしていると考えられないこともない。よって、補じょ校より優先順位は上となる。

これからは、どんなに忙しくとも講義は一日最低一コマは受講することにした。次回のカウンセリングまでに遅れを取り戻すだけでなく予定より進めるつもりです。

しかし、明後日までに小論文の添削をしないといけない。これは時間が足りなかったといって見切り発車はできない。少ない時間を集中して乗りきらねばなるまい。

以上

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ストップウォッチ集中法

こんばんは、OSSです。

今日、ネットで注文していたピッという音が鳴らないストップウォッチが到着しました。

先日、予備校自習室で、ストップウォッチ集中法とも呼べき勉強法を実践していたところ、ストップウォッチの音を注意された(睨まれ因縁をつけられた)。

そんなことがあった次の日、行きつけの時計店に音の鳴らないストップウォッチを買いに入ったが手に入らなかった。そんな商品はどこも作ってないので手に入らないといわれた。

そこで音が鳴る部品を取り外せばいいのではないかと思い、手持ちのストップウォッチを分解してみたところ、意味がわからなかった。元に戻すと、液晶が映らず、結果壊してしまった。

小さい頃に父からもらった小さい卓上時計を思い出した。多機能でストップウォッチ機能もついていた。腕時計なんて誰も持っていない時代、僕はその卓上時計をポケットに入れ遊びに出かけていた。懐かしい。確か、あの時計のストップウォッチ機能は音が鳴らなかったと記憶している。

さらに、かつて通っていた司会教室の先生達は、みんな自分専用の小型卓上時計を持っていて、ストップウォッチやカウントタイマー機能などを駆使しながら司会を進行していた。そういった卓上時計は音が鳴らないはずだ。

なるほど、卓上時計のストップウォッチ機能は音が鳴らないに違いない。

そこで、アマゾンでストップウォッチ機能がついたキッチンタイマーを購入(時計屋さんに話したところ、僕の考える時計は卓上時計と言うより、キッチンタイマーに近いといわれた)。それが音が鳴らないとは書いていなかったが、試験勉強にも役立つと書いてあったので、とりあえず注文してみた。

二日後に商品が届いた。ピッという音がはっきりした…

しかし、使い勝手は悪くはなかった。部屋で使うぶんには問題ない。机の上に置き、時間を計りながら勉強した。集中力がとぎれると、五分頑張ろうとストップウォッチをスタートさせ、気がつくと10分以上経っていたといった感じで、短時間に断続的に集中するようにした。かなり作業効率がよく、またゆったりと流れる時間を感じることができた。

今まで、時間は簡単にすぎるもの、一日はあっという間にすぎるといった感覚であったが、集中すれば五分間でも結構いろいろなことができることを認識した。

そういうわけで是非とも自習室でもストップウォッチは使いたい。できれば卓上型でデジタル、持ち運びできる小型タイプのものを探した。

しかし、なかなか見つからず、かわりにそのものズバリ、音の鳴らないストップウォッチを発見。今日届いた次第です。

職場で使ったところ、三時間の空き時間に、小論文添削を三通、情報カードの入力20枚、ブログの執筆ができた。なかなかの作業量です。しかも断続的に集中するので全く疲れていない。

また一つ、来年の展望が開けてきた!

以上

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英語の再学習

こんばんは、OSSです。

ただ今、初心に返って中学レベルから英語の勉強をし直しています。
僕は英語が五教科の中で一番苦手なのですが、原因は単語数にあります。文法問題等はそこそこできるつもりなのですが、単語がわからなくて点がとれないというパターンで学生時代は、いつも点数は振るいませんでした。

なぜ、単語数が少なかったかというと、僕はアルファベットを文字とは認識できず、模様に見えてしまうのです。密かに学習障害ではないかと疑っています。でも、気にすると症状が激しくなりそうなので、今回の再学習では、あまり考えないようにしようとおもいます。

僕の単語の覚え方は、オーソドックスに紙に書いて覚えます。中に覚えにくいものがあるとローマ字読みしたり、記憶術もどきの小細工をして印象深くなるよう工夫して覚えようとしています。この方法は学生時代と変わりません。

一度、英語で挫折したのは、文字の認識に加え、覚える単語数の多さです。高校受験なら800語程度、大学入試なら最低でも2000~3000語ほどほしいところです。元来、暗記を面倒に思う性分ですので、この千という単位が途方もない数に思え挫折してしまったのです。

しかし司法試験で大量の暗記をしようとした経験から、今では暗記を面倒に思う感覚は薄れています。それに記憶術の研究を通し、効率よく覚えるようにすると、千や二千の数など時間さえあれば、確実に覚えられるという自信をつけることができました。そういうわけで、今は空いた時間に地道に単語数を増やそうとしています。

単語を紙に書く際、僕は筆記体で書いていました。最初はぎこちなく、そのうち手が覚えさらさらと書けるようになります。しかし、やはりいまいちしっくりこない。このやり方では、手の感覚を確かめているだけのような気がしますので、スペルをいい加減に覚えているような気がします。でも基本であればあるほど、理屈ではなく身体感覚ですよね。小学校一年生習う漢字なんかそうだと思う。

どうしたものかと思っていると、小・中の同窓生、テツブーの言葉を思い出した。
「何で筆記体で書くと? 筆記体とか使わんでいいよ。ブロック体で書いてもあまり速さは変わらんよ」

テツブーとは、正直、小学校から馬が合わないものを感じていた。
つり目でデブ。中途半端に不良(普通?)。いらんことばかりして人を不快にさせるデリカシーに欠けるところ。人のギャグをすぐまねする節操のなさ、無粋(これが一番不快だった)。当然、成績は僕の方がよかった。だから当時、彼の発言など歯牙にもかけなかった。それに学校の方針が筆記体だったし。

しかし、今考えてみると、彼も何の根拠もなくそんなことを言うはずがない。おそらく彼が通っていた塾の先生あたりにそう教えられたのだろう。プロのアドバイスは聞くに如くはなし。ためしにブロック体で書いてみると、確かにスピードは大して変わらない。いいのか悪いのか、スペルの細部まで意識できる。そういえば、今やっている漢字の書き取りだって、楷書できちんと書いているよな、ん? まてよ、漢字だってちゃんと知っている字じゃないと行書や草書で書くことはできないよな、もしかして、英語のブロック体と筆記体の関係は、漢字の楷書と行書、草書の関係ではないのか?

塾に行き、さっそく懇意の英語の先生に疑問をぶつけてみた。こういう学習相談ができる環境こそ、僕が塾に戻った最大の狙いです。聞いてみると、やはりそうであった。さらに、海外では筆記体で書くと怒られるそうな。筆記体では筆跡が曖昧になるからだそうだ。

そうと聞いてはもはや躊躇なし。すぐにブロック体で書き始めた。感覚がかなり変わって感じるが、そのうち慣れると思う。英語の先生も言っておられた。英語は基本的に体育教科だ。

将来的に、英語に限らず中国語や朝鮮語、ドイツ語も習得する計画。
だが、まずは英語から征服。数年以内にTOEICで800点くらいとれるようになりたいものです。

以上

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習慣について

こんばんは、OSSです。

前回の予告通り、今日は習慣について考察します。

習慣というものはありがたくもあり、恐ろしくもある。
新しいことをするとき、いろいろな理屈や決まり、心得などを意識しながら、どうにか、こうにか行動するが、いったんそれが習慣化してしまうと、何も考えずに勝手に体が動く。それは楽なことであるが、それが悪い習慣だった場合、修正がききにくくなるばかりか、とてつもないことを成し遂げるという恐ろしさがある。例えば、歯を大切にするために歯磨きを習慣化するが、間違った磨き方が習慣化してしまうとかえって歯をダメにしてしまうことになる。「継続は力なり」というが、歯ブラシごときで歯をダメにすることができるのだから、継続習慣侮りがたしといったところか。

勉強も同じだと思う。頭のいい人間とそうでない人間がいるが、その原因の1つに習慣の問題があると思う。おおざっぱに言えば、習ったことを逐一修得する習慣を持つ者と、聞き流してしまう習慣を持つ者の差が頭の善し悪しとして現れるだけではないだろうか。

今回、司法試験に失敗したが、今は不思議と絶望感はない。未だに合格できる気でいる。ただ、今の自分では無理だということは認めている。だから根本的に自分のあり方を変え、合格する人間になればいいと思っている。そのための手段として習慣を利用すればいいのではないかと思う。

司法試験に合格する人になる習慣として、学習面からの好ましい習慣は以下のものが考えられる。
・法的三段論法で考える習慣
・法律知識を暗記する習慣
・日常で法律を意識する習慣
・択一問題を解く習慣
・法律論文を書く習慣
・法的会話をする習慣.....etc

その他に、日常生活における習慣として、心のバランスをとる習慣、頭のコンディションを良好にする習慣、心・技・体を整える習慣などが必要だと思う。

そして、ここで自身の経験から一つの教訓を得ている。
「一度にたくさんのことを習慣化しようとすると失敗する」

前に自分を変えようと筋トレ、ジョギング、勉強などなど一日にいくつもの習慣を作ろうと急激な負荷をかけ、一気に動き出したところ、一週間と続かなかった。途中でやっていることに身が入らなくなって、混乱しはじめた。反対に少しずつゆっくり確実に習慣化しようとしたところ、成功した経験がある。このことから一度に多くのことをしようとすることを戒めていたのだが、司法試験の勉強では時間が足りないという強迫観念から、それを見失ってしまった。失敗は当然であった。

さらに、もう一つ教訓。
「本質的な変化が起きるのは100日くらいかかる」

ゆっくり確実に自分を鍛えはじめて、変化を感じ始めたのは二、三週間くらいだったが、根性がついてきたなと感じたのは数ヶ月後のことだった。昔の人も100日祈願などしていたくらいだから、この感覚はあながち間違えではないと思う。これを勉強に応用すると、例えば、暗記習慣を確立し、覚えることに抵抗感や違和感を感じなくなるのに100日くらいかかると考えてはどうだろうか。この教訓は、すぐに結果を求めようとすることへの戒めとして心得ておくべきことであろう。

そこで、まず、「一度にたくさんのことを習慣化しようとすると失敗する」という教訓をいかすべく、習慣化するものを絞ろうと思う。暗記の本に書いてあったが、人間が一度に覚えられる物事は7±2項目くらい、これをマジカルナンバー7というらしい。しかし、昨今では7つも多い、もっと少なく4つくらいがベストだとする新マジカルナンバー4の理論が出ている。この理論に乗っ取って、新習慣の確立をまず四つに絞ろう。

①朝のジョギング又は柔軟・筋トレ習慣
健全な精神は健全な肉体に宿る。合気道の技の向上のためにも、来るべき新司法試験受験のためにも体力をつけなければならない。

②一日のまとめ習慣
基本的に学者タイプの人間でありたい。そのためには膨大な知識を蓄えなければならない。そのために日々、その日習ったこと、知ったことをまとめ、暗記する、時間を確保し習慣化しようと思う。

③夢のための時間をとる習慣
社会人は忙しい。経験からも目先の忙しさばかりにとらわれ、流されてしまう危険がある。自身のスキルアップのため、夢の実現のための時間を日に必ずとるようにする。朝が最適だろう。

④親しくない人とでもコミュニケーションをとろうとする習慣
司法浪人して、さらに顕著になってしまった感があるが、僕はかなり人見知りが激しい。それがためにずいぶん損をしてるし、いずれ致命的になりかねないものを感じている。人見知りの原因は、自分に自信がないからだろう。司法試験に合格して自信を持とうと思ったが、それを望めなくなった今、何かにすがり自信を持とうとすることはやめようともう。いや、そもそも今のままでも自信持ってもいいじゃないかと思ってたりする。そこで、積極的に人に話しかけようと思う。ただし、馴れ馴れしくならないようにし気をつけねば。

とりあえず、この四つを100日ぐらいかけて、じっくり習慣化しようと思う。それができるようになったら、次の習慣を確立する。三年あればずいぶん変わるだろう。

伊藤塾の伊藤先生もいっておられる。
「習慣が変われば、人生が変わる」

でわでわ

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暗記考

こんばんは、OSSです。

学習の心得に「毎日、暗記する努力をすべし」という戒めを設けています。今日は暗記のことを考えてみようと思います。

前回、「司法試験の暗記はかけ算の九九のようにしっかりした事柄を暗記するのではなく、むしろ、漠然とした暗記のような気」がするという印象を持ちました。でも、だからといって、暗記にそれほど神経を使わなくてもよいという発想は早計だ思う。合格者さんも言っておられた「なかなか覚えられないから、合格に時間がかかった」。それでは、やはり物覚えがよい人は早く合格すると言うことだ。

暗記術の大家、渡辺剛彰先生は二ヶ月で東大を合格され、在学中に司法試験にも合格された。このことからも、物覚えのよい人は、有利だと思う。

しかし、その暗記が問題だ。僕自身、地方の二流大学に運だけで合格したため、たいした学生生活はおくれなかった。しかし、うぬぼれさせてもらうと、頭はそんなに悪くない方だと思う。在学中、とある団体の研修に参加したことがある。そこには、東大、京大、一橋、早稲田、慶応、上智などの有名大学の学生ばかりだった。そんな人達と一緒に研修を受けたとき、東大の学生から言われた「OSS君、何で○○○大学にいると?もったいないよ」。ちょっと、うれしかったりした^^

僕の弱点は自分でわかってる。暗記をめんどくさがること。英単語、熟語、社会の用語、数学の公式、意図的に覚えようとはあまりしなかった。だから、基本的には自然に覚えるものしか覚えてこなかった。

塾講師になって、古典文法を教えないといけないとき、正直、困った。僕自身何となくしか覚えてなかったからだ。そこで、生徒の身になって、効率よく覚える方法はないかと考えた結果、編み出したのが図解暗記術。覚えたい事柄の関係を図にして、その図を何度も書いて覚える。この方法だとやる気のある学生なら、一晩で古典文法をとりあえず覚えさせることができた。さらに、この方法は社会にも応用がきいた。僕は高い評価をもらった。今となっては、過去の栄光だが。

しかし、図解暗記術は基本的に単純な暗記には適さない。英単語や数学の公式、古文単語などを図解暗記術で覚えようとするとかえって、時間がかかる。だから僕は相変わらず単純暗記は嫌いだったりする。

しかし、嫌だ嫌いだといっても必要なものは必要。そこで、暗記とは何かを考えてみる。

そもそも暗記とは脳に情報をインプット(入力)することだと思う。脳に情報をインプットするには脳が外界を把握するセンサー、五感を使わなければならない。すなわち視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。このセンサーをできるだけ多く使うことによって、脳に強い信号を送ることができる。しかし、脳の海馬と呼ばれる器官が情報を取捨選択してしまう。海馬が必要な情報だと判断した情報は脳にインプットされるが、不必要だと判断したら削除される。

海馬に情報を拾わせる手段の1つに、その情報にインパクトをもたせればよい。語呂合わせや替え歌暗記などの既存の暗記テクニックは、単に情報にインパクトを持たせたものにすぎない。しかし、そればかりだと図解暗記術と同じく限界を感じる。

小手先のテクニックをぬきにして、海馬の選択基準は生きるために必要かどうからしい。そこで、我々は海馬を説得ないし騙さなければならい。司法試験に必要な知識情報は我々が生きるために必要なものであるということを自分自身で確認する。いわゆる高いモチベーションを維持しなければならない。次に時間をかけて何度も何度も、しつこいくらい同じ情報を海馬に送り続ける。その時間は一度に多く取るのではなく、間をおいて取るほうがよいといわれる。具体的には、まず情報を4時間以内に暗記。次に24時間以内にまた暗記。さらに48時間以内にまた暗記。個人差はあるが、平均、五セットくらいで覚えられるそうな。

入試の頃に比べ、いくぶん暗記を面倒がらずになったとはいえ、まだまだどこかで暗記を面倒に思っている。ゆえに物覚えが悪い。ここらで、今まで自分の成長を阻害してきた要因である、この暗記を嫌がる悪習と向き合わねばなるまい。いや、むしろ無視した方がいいのかもしれない。ウダウダ考えるより、とにかく覚える努力をすること。暗記の習慣ができ、抵抗がなくなれば、自ずと暗記のテクニックも洗練してくるかもしれない。

ということで、今日から勉強の合間、1時間おきに10分ほどの暗記タイムを設けることにしました。
敵を知るのも大切だが、己も知らねば。

今日も長文になってしまった

でわでわ(´▽`)ノシ

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