こんにちは、今日もお昼更新のOSSです。
少し前にしたノート術の研究をきっかけに、いろいろなことをノートに書きためるのが習慣になっています。
しかし、それは本当に最近のことであって、それ以前は全くノートというものを活用していませんでした。そもそも僕はノートをとる意義がわかっていませんでした。
小学生に上がってすぐの時、先生は黒板に授業内容を書きながら授業をしてくれていたが、僕はそれを写すことなく、ただ先生の話を聞いていた。誰も教えてくれないものだから、それが授業を受けることだと思っていた。しかしある時、隣に座っていた女の子が「先生!OSS君は全然黒板を写していません!」と授業中に先生に報告した。その時に知った。授業を受けるというのは黒板に書いてあることを写すという行為をしなければならないということを。それ以来、高校まで板書は必ず写してきた。その方が退屈せずにすんだから。
しかし、板書を写したノートを勉強に活用したことはほとんどない。テスト前ですらノートを開いて勉強した記憶がない。これも誰からも教えてもらえなかったものだから、そういうものだと思い、何の疑いもなかった。今にして思えば、板書の多い先生の授業は僕にとっては硬筆の時間でしかなった。何も考えず、先生が黒板に板書した内容をできるだけきれいな字で写して暇をつぶしていた。それでも中学生時分の成績は悪くはなかった。
中学生の時は、テスト直前に教科書を読み、大切な情報を自分でピックアップし、それをふまえた予想問題のようなものをつくり、一夜漬けで問題自体を丸暗記してこなすということをやった。授業中にとっていたノートは見向きもしてない。手間暇がかかる方法だが、それで点数がとれていたのでそういうものだと思っていた。実際、そのやり方でそれなりに校内でも上位に位置していた。
しかし、高校二年生あたりから徐々に成績が下がった。当時は人間関係や人生に関することで大いに悩んでいた時期だったので、それが原因だと分析していたのだが、今から考えるとノートの活用の仕方、勉強法に問題があった。
大学予備校時代から、例外的に自発的にとっていたノートがある。僕が「人生ノート」と呼ぶところのものだが、琴線に触れる名言に出会ったり、本や人の話を聞いて感銘を受けたりしたとき、それを書き留めてきた。これは偶然そういうことをしてきただけであって、それ以外に有意義なノートはとってこなかった。だから、勉強時間の割に予備校での成績はふるわなかった。それでも幸運にも地元の大学に進学できた。
大学の勉強はさっぱりだった。先生は滅多に板書しない。まえで蕩々と話しているだけだった。試験も用語の穴埋的なものではなかった。どうやって勉強してよいのかわからず、レポートのなんたるかもわかっていなかったので、いつしか講義から足が遠のき、アルバイトと部活に精を出し、もっぱら図書館やキャンパス内で本を読む生活を送った。必然、単位を取るのに苦労した。
司法試験の勉強を予備校ではじめたのは大学四年生の時だったが、全く身につかなかった。当時は精神的にボロボロだったので、授業をまともに受けられなかったのだが、精神的に安定していたとしても当時の勉強スキルではついていけなかっただろう。
大学五年目(留年した)の時に塾講師をはじめた。本ばかり読んでいたせいか、国語は人並み以上にできていたので何とかなるだろうと思いはじめた。しかし、古典が教えられない。そもそもどうやって教えていいのかわからない。そこで、関係する本を読みあさり、納得できる合理的な学習手順を構築し、古典文法から教えることにした。
しかし、古典文法をどうやって教えていいのかわからない。現役の時ですら古典文法を何となくしか覚えておらず、敬語法にいたっては全く理解していなかった。それでも幸運だったのは、当時、塾はオープンしたてで教室に生徒はほとんどいなかったことと、国語講師が僕一人だったので、僕の底の浅さがばれなかったことだった。
人間追い詰められると何とかしてしまうもので、生徒が使う塾のコンピューターには古典文法のソフトが入っていた。それを研究することで、覚えるべき内容を逆算した。さらに中学時代にやっていた丸暗記の方法を応用してプリントを作った。生徒にプリントを解説し、暗記させたところ、短期間で飛躍的に古典が得意になる生徒が続出した。また、何百人もの生徒にプリントを解説することで、知らず知らず僕自身も古典文法を覚えることができた。僕は高い評価を受け、勉強のやり方がわかった気がした。
しかし、司法試験には通用しなかった。いや、たぶん通用するのだと思うが、僕のやり方は一から教材を作り直すようなものだから、とんでもなく時間がかかる。それに科目の特性のなんたるかを無視して教材をつくっても意味がない。今でこそ、憲法、民法、刑法の急所を意識して勉強しているが、当時は全く意識していなかったし、できなかった。司法試験に肉薄はできても合格などできるはずがない。無茶な勉強は本試験直前に極度のストレス、精神的な不安定を引き起こし、大スランプとなり、結果、司法試験を一時撤退を余儀なくされた。
一時撤退し、リハビリに専念すると共に、まず暗記の仕方を研究した。関連する本を読みあさり、情報を集めて、講義で使えるようにプリントにした。そして、実際にいろんな暗記のテクニックを駆使して、いろいろなことを覚えてみた。今では暗記することにそこそこ自信がある。
暗記のコツの1つに、「想起のきっかけ」がある。覚えたことはきっかけがないと思い出せないのだ。そのことから気がついた。これまでいろいろなことを考え、有益な情報に接してきたが、それらは身になっているだろうか。身になる前に興味関心が移り、違う情報に接することをしているのではないか。そこで、長年つけている人生ノートの存在に思い至った。そういうノートをとることの効用を書いた本を読んだこともきっかけであった。
そうだ、何でもノートにメモっておこう。
そこで、生まれた雑考ノートシリーズ。ノートの最初のページに目次をつくり、見開きを一ページとして、情報を書きためることにした。これのおかげで興味関心の移り変わりにもとなって、とりとめもなく情報に接し、流すことが少なくなった。
はじめ、雑考ノートには文章で書くのではなく図解を心がけていたが、図解とは体系化であり、情報がはじめから体系化されて入っていくわけではないことに気がついた。そこで、マインドマップで記述を試みたが、マインドマップも体系化の一種であるので記述の仕方に悩んだ時期もあった。今では書き方にこだわらなくなった。メモ書きしたり、マインドマップを崩した書き方にしたり、図解したり、イラストを描いたりと、かなりおおざっぱに書いている。ノートだから罫線もあるのだが、それも無視している。
そういうノートの取り方は何度か参加した講演でもやってみた。講演だから板書はない。講師の先生の話を聞きながら、その場で内容を自分でまとめノートにメモしたり、感銘を受けた発言などは、できる限り一言一句間違えずにメモしたりして聞いた。後でノートを見るとぐちゃぐちゃに書いてあるのだが、どういう内容であったのかは書いた本人はわかる。他人が見て理解できないといけないものではないのだから、この書き方で全く問題ない。講義などで他人に教えないといけない場合は、このノートからレジュメをつくればいい。おかげで講義の組み立て方にも自由度が増した。
雑考ノートをつけていると、特定の分野の情報が多いことに早くから気がついていた。そこで人生ノートのように専用のノートをつくり独立させることにした。現在、武術全般に関することを記述する「武術考」と勉強法に関する情報を集めた「勉強法研究」、講師業など仕事のスキルに関する「professional」(当然、将来、弁護士道に関する情報がどんどん入る予定)をつくっている。これらは適時見直すことで、情報の記憶に役に立ち、過去や現在の研究テーマを考える際のきっかけとなっている。
そして、さらに今回司法試験を突破するために「司法試験考察ノート」をつくった。カウンセリング記録や学習上のヒント、肝に銘ずべき言葉や合格したら挑戦することなど、書き綴っている。今度、仮想合格体験記や合格した際、皆の前でするスピーチ原稿なども書いておこうと思う。苦しいときのモチベーションの維持になるだろう。
いろいろ試行錯誤してきた感があるが、ようは勉強のやり方を模索しているにすぎない。これまでのノート遍歴はその一分野でしかない。早くから勉強の仕方がわかっていて、実践していたら、もっと早くに成果を上げてエリートと呼ばれる人生を歩めていたかもしれない。しかし、勉強法というものは各人が生涯追求するべきものでだと思う。その意味するところを理解せず、ただ成果を上げるよりも、手探りで試行錯誤しながら、生涯磨き上げた方が最終的には僕にとって価値のある成果を上げることができるのではないかと思う。
司法試験を志したこと、数々の挫折を経験したことに後悔はない。
以上
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