OSSの世を忍ぶ仮の日常

懸案事項は「身体」

こんばんは、ご無沙汰しているOSSです。

仕事が忙しくてその日暮らしの生活が続いています。

しかし、お金にはなる。

去年はほぼ無収入だったのである意味借金生活だったが、四月から収入を得て、今月ようやく返済の目処が立った。いくつか分割払いが残っているが、毎月の生活に支障をきたすほどではまったくない。来月からはやっと貯金ができる。

コメディアンの萩本欽一さんの言葉だが、「私はいつも人生を五つの要素に分けて考えて考えています。身体、仕事、お金、家族、そして友達などの人間関係。この五つのことが全部うまくいくことなんかない。また逆に全部がどん底になることもない」

今、もっぱらの懸案事項は「身体」だろうか。

蕁麻疹は薬を飲んでいるからなのか、すっかり症状は出なくなった。しかし、最近朝起きると口が開けにくい。持病の顎関節症が悪化したようだ。

しゃべるのが仕事なのだからこれは致命的。しかし、忙しくてなかなか病院に行けなかった。もともと顎関節症だという診断をずいぶん前にされていたが、べつに口を大きく開けるとガコッとなるだけで何ともなかった。何件か病院にいたったことがあるが、どこも、痛くなってから来てくださいと言われただけだった。

しかし、今は半分くらいしか口が開かない。

今のところ、普通に話すのには支障がないのだが、先日、予備校の講師控室で同僚の先生にそのことを話すと、「ストレスが原因じゃないですか?」と、ここでもストレスを指摘された。ストレスは関節に何らかの影響をあたえるそうだ。

ほんにストレスは侮り難い

ストレスがある人は夜中に歯を食いしばっていることがあり、顎関節症にはそれが非常によくないとのこと。そういえば歯を食いしばっているような気がする…

予備校講師は日雇い労働者みたいなものだから、一日でも休むと大損害。

そこで昨日、万障繰り合わせて口腔外科に言ってみたところ、すぐに歯型を取られマウスピースをつくることになった。先生曰く「よくない顎関節症」だそうで、「このままでは口が開かなくなる可能性がある」そうだ。急に悪化した原因を教えて欲しかったが、その話題は避けられた感じがした。

仕事の都合、今度の土曜日の朝一にマウスピースを受け取る予定。高額ではないが結構な出費になるようだ。

最近、思想的なことで考えていることがあるのだが、それがストレスになっているのではあるまいか(しかし、本当にストレスごとにきにという思いもないではない。ストレス、ストレスと気にしすぎではないかと)

まぁ、考えていることは補じょ校でのことであり、根本的には11年前の事件なんだけどね。

無力ってストレスだ。しかし、このままでは終わらない。

以上

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謎の蕁麻疹の原因

こんばんは、OSSです。

ここ最近、原因不明の蕁麻疹に苦しんでいました。

仕事中は出ないのだが、帰宅途中、電車の中あたりで何となく痒みを覚え、家で確認すると発疹が出ているといった具合。病院に行っても原因はわからなかった。しかし、先生の言った一言にピンとくるものがあった。

曰く「ストレスが原因で蕁麻疹が出ることもある」

思えばここ数年、何度か謎の蕁麻疹がでたことがある。そういうときは補じょ校でトラブっていた時だったのではなかろうか。今、一部の生徒が原因で、授業中に手や足が震えるほどの怒りを覚えることが頻繁に起こっている。それが肉体をむしばんでいるのではないだろうか。10年前も突然アトピーを発症したことがあったが、それは間違いなくストレスが原因だったと認識している。

そうとわかれば長居は無用。

今年いっぱいで辞めさせてもらえないだろうか。いや、辞めよう。予備校の仕事が忙しいとか、勉強しないといけないとか理由はつけて。それが理由にならなければ、蕁麻疹のせいにしてもいい。そういう考えをここ数日もっていた。キャンパス長の先生に切り出すタイミングねらっていたのだが…、

やめた

いろいろと思うことがあって、ボロボロになろうとも契約満了までしのごうと思っている。

本当に、本当にしんどいんだけどね。

以上

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どうにもこうにもキツイ

こんばんは、OSSです。

聞くところによると、夏の疲れは秋に来るらしい。

最近、どうにもこうにもキツイ。

朝は四時、五時に起きて将来のための勉強をしないといけないと思うのだが、一度眠ると泥のように寝入ってしまい、起きるに起きられない。ここ最近は起きる時間が徐々に後退している。このままでは遠からず遅刻してしまうのではないかと恐れている。

かつて、僕より一足先に社会人になった人が、「社会は厳しい」「働くのは大変」などといって本人曰く「ストレスで太ったりする」と言っていた。

過酷だな、そういう中で生き抜いて行くにはやはり信念が必要だなと確信しつつも、心の片隅では自己管理の問題ではないかと思ったものだった。それから10年以上たち、今年ようやく社会人らしい生活を送っているが、なるほど大変だ。予備校業務は肉体的にきつく、補じょ校業務は精神的にきつい。

しかし、その中で耐え、時に倒れ、寝込み、また耐える。そういう生活をしていると徐々に体が慣れてくる。当初、一日の予備校業務終了時にはいつも気分が悪くなっていたものだが、最近はそこまでなく。むしろ、仲のよい講師の先生達や生徒達との触れあいが楽しい。相変わらず補じょ校業務は性に合わないが、それでも幾分精神的に強くなり、打たれ強くなっているのを感じる(ちなみに、前回、授業中に怒鳴り上げて私語を注意した生徒は授業に出なくなってしまった。要するに、逃げたんだよな。いろいろなことから)。

確かに社会人は大変だ、仕事はキツイ。しかし、だからといって道を踏み外したり、目的を忘れたりしない。

いつか、「大切なこと」を伝えられる人間になりたいと思っている。

以上

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いつかの補じょ校

こんばんは、補じょ校から撤退する気のOSSです。

最近の補じょ校の雰囲気に耐え難いものがあります。

これまでの生徒は、悪い悪いといわれてもまだ人の心があった。しかし、今年入学した1年生の女生徒達の一部は悪さの質が違う。

例えば、授業中は当然だが、休み時間にも先生が電話中や来客時には静かにするよう言われる。先日、一年生の女生徒グループがキャンパス内にポータブルゲーム機を持ち込みぎゃーぎゃーと大騒ぎ中、キャンパスに電話がかかった。電話が鳴ったことに気がつかないはずはないが、まったく騒々しさは衰えない。たまりかねて先生が静かにするように声をかけるも、まったく効果なし。本当に聞こえないかのような完全無視。僕なんかはその無視の仕方に非人間的な悪意すら感じている。結局、数名の先生が集まり、何とか静かにさせた。

そういう輩がいるせいだろう。今まで大人しかった生徒までハメを外すようになった気がする。それが対抗意識なのか、自己保身なのかは知らないが、キャンパス内の雰囲気は明らかに悪くなっている。

そんなこんなの僕の授業。毎回、ペラペラ、ペラペラと普通の声で私語をやめない女生徒いた(前々回のキメェ、ウゼェ、マジムカツクとは違う)。1人でいるときは大人しいのに、仲間がいるとやりたい放題。これまでは何度も何度も注意し、なだめすかしながら、何とか授業をしていたが、もう、さすがに我慢する気になれなかった。

板書を途中で辞め、ドスをきかせて「オイ! いい加減しゃべるのやめろよ!」

女生徒は黙った。

「嫌だったら、出てってもいいぞ」

「いやいやいや…」

しばし、沈黙して女生徒見る。そうすると女生徒は目を合わせず一言、「ウゼェ、ぶち切れやがった」

ここまで言うつもりはなかったが、その一言が火に油を注いだ。

「おまえ出てけ」吐き捨てるように言うと女生徒は反射のように小さい声で「うるせ」とつぶやいた。

女生徒の席まで行き、机ごと蹴り上げたい衝動に駆られたが、そこまでやるのはやり過ぎだと思い、止まった。メッセージのない怒り方はただの暴力でしかない。

それ以降、女生徒達はあからさまな私語はしなくなった。しかし、僕はなかなか感情が安定しなかった。いかなる場面でも冷静沈着であることを美徳だと思っているので、感情に流されることなどあり得ないと自負していたが、またも「ウゼェ」や「うるせ」の暴言を言われたことに対する怒りの感情を抑えようとすればするほど、手が震え、足が震えた。

その時に深呼吸をした。予想以上に効果が絶大だった。怒りを抑え、冷静になるには深呼吸をすればいいということを身を以て経験した。

何食わぬ顔をして授業しながら決意した。授業が終わったら女生徒を残して話をしよう。

言いたいことは二点ある。嫌なことから逃げるな。逃げるからおまえは年相応の成長ができずにいんだ。それから人に対して、特に目上の人間に、しかも先生と呼ばれる人間に「ウゼェ」とか「うるせ」などと暴言を吐くな。その一言でどれだけのものを自分が失っているのか考えろ。この二点をどういう風に言えば相手に届くか、授業をしながら考えていた。

授業が終わり、件の女生徒が板書を写したプリントを僕の所にもってきた。話があるから教室に残っているようにと言おうとしたとき、

「先生、今日はゴメンね」と女生徒はしおらしく謝ってきた。

「^-^うん」反射的に満面の笑顔で許してしまった…

正直、意表を突かれた。まさか謝ってくるとは思わなかった。計算してやっているのなら僕よりも一枚も二枚も上手だが、そうではないのだろう。生徒は僕が考える以上に子どものようだ。

職員エリアで同僚の先生にお礼を言われた。先生が一喝してくれたおかげで、しまった授業になっていたと。どうも一部始終を見られていたらしい。僕としては釈然としていないのだが、僕が取った行動を生徒の中にも少なからず評価する雰囲気があった。授業後、何名かの生徒が親しみを込めて話しかけてきてくれた。

そんなこんなで、午後の授業の準備のため、コピーをとっていると、去年から受験対策で教えていた男子生徒が「先生、先生」と僕を呼ぶ。どうしたのかと思うと「合格しました」と言うではないか。先日推薦入試を受けていたが、合格通知が届いたらしい。キャンパス内の先生達全員が大喜びした。僕は力が抜けそうになった。よかった。本当によかった。

今期、受験指導をしている生徒の中で最初の大学合格者がでた。この勢いで二人、三人と合格させようと、意気揚々教室に行くが誰もいない。一番いないといけない子がいなかったので、担任の先生に確認すると、生徒は今、難聴で片方の耳が聞こえないらしい。だから帰ったそうだ。

心因性難聴

極度のストレスが原因で起こる症状。よく知っている。

片耳が聞こえないのなら、もう片方の耳で聞けばいいと思うのは酷いことだろうか。まぁ、生徒の感じているストレスは僕が思う以上なのは間違いない。

補じょ校にはいろんな理由の生徒が集まっている。彼らの抱えている闇は深い。

補じょ校との契約は今期限りで、来期の契約はしないつもりだ。受験生がいないのなら今年いっぱいで辞めさせてもらえないかとも思っている。補じょ校では、いい勉強をさせてもらっているが、ここは今の、何者でもない僕がいていい所ではない。

以上

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地雷は踏まない

こんばんは、OSSです。

もういっぱいいっぱいの生活が続いています。

今週の金曜日は荒れる補じょ校があり、夜は小規模な塾で中間テスト前最期の個別指導。精神的にも肉体的にもきついが、何とか乗り越えなければならない。

時に、先日読んでいた「心の護身術」が読み終わった。傷つかないよいうにするには非人情に徹することであり、その為のテクニックが紹介されていた。

しかし、それに違和感を覚えた。

確かに紹介されたテクニックを駆使すれば傷つかないかもしれない。しかし、それは心が通ったコミュニケーションといえるのか。相手に対して失礼ではないか。有効な方法論ではあるかもしれないが、それを実行することにすくなからず抵抗を覚えた。

しかし、話の通じない人間がいることは確かであり、傷つけられるのも確かなこと。

そんなことを考えていると予備校で同僚の先生が言った一言。

曰く「地雷は踏まない」

予備校で僕のことが眼中にない、気になる生徒のことを先生と話題にすると、先生もその生徒のことが気になっていたそうだ。しかし、先生はあえてどうこうするつもりはないという。言っても聞かないというオーラがありありであり、ヘタに手を出すとやけどすることはわかっているという。地雷は踏まない。

それは先生と呼ばれる者としていかがなものかという多少の反発を覚えなくもなかったが、それ以上に何かピンと来るものがあった。

確かに地雷が埋まっていることがわかっているのに好き好んで踏みに行く必要はあるまい。例えるならば、これまでの僕は地雷があることをわかっていながら、そのことを認めず、地雷を踏んで大けがしてから、なぜ爆発するのか、なぜ地雷なんてあるのかと、その存在とその奥にある、一個人にはどうすることもできない大きなものと戦おうとしてるようなものだったのではあるまいか。それが、僕の使命であるのならそれもよいだろうが、それは僕のするべきことではないとはっきりわかる。

また、通勤中に何気なく手に取ったフリーペッパー。

善意で野良犬を何匹も保護し、山奥で養っていた人が亡くなったらしい。現在犬たちはボランティアの人たちによって継続して養われているが、人手が足りないらしくボランティアを募集するとのこと。しかし、過酷な環境のためボランティアはすぐに音を上げ、辞めていくそうだ。だから募集にはその過酷な環境が包み隠さず語られているうえで募集があった。覚悟して応募してくださいと。

その中の記述に目がとまった。

「犬たちの気性は野生です。愛玩犬ではありません。吠えられまくることを覚悟して下さい」

僕は犬に吠えられても何とも思わないが、人に吠えられ、時に傷つくのはなぜだろう。

信頼しているから、心があると思うから、思いは伝わると思うから、それが絶望的に叶わないと感じると傷つく。それでは、はなから期待しなければよいのではないか。野犬のような人間にはドラスティックに対応すればいいのではないか。それは単なる自己保身ではない。

うまく言えないが、大切なことを気づこうとしている気がする。

このことはもう少し考えたい。

以上

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人生の真理

こんばんは、OSSです。

今日は補じょ校の日であったが、祭日だったので一日お休みでした。

そこで、かねてからの予定通り、祖母の眠る霊園のイベントに参加した。

はるばる高野山から徳の高いお坊さんがやってきて、霊園の管理棟で一時間ほど読経。その後、特別にOSS家のお墓にもお経をあげていただいた。

最近は仕事が忙しいため前ほど頻繁にお墓参りに行っていないが、時間があるときはできるお参りするようにしている。だから霊園の管理をしている人たちからはしっかり覚えられている。昨日は稽古前にお参りに行ったため、道着に袴姿だったが、それがお坊さんに見えたらしく、高野山のお坊さんが一日早く来たのかと勘違いされ、管理棟では大騒ぎになったという笑い話を教えてくれた。

一時間の読経中、隣に小学生低学年くらいの女の子が座っていた。足がしびれたり、退屈したりと大の大人でも落ちついていられない人が多い中、その子は終始乱れることなく手を合わせていた。美しいと思った。お坊さんの説法に、家族で墓前に手を合わせる姿は美しく、ほっとするという話があった。得心するものがあった。

最近は宗教というとおかしなもの、危険なものなど考える節がある。とくに補じょ校の生徒を見ていると神も仏もない者が多い。たしかにどんな宗教にも非合理な部分はある。そこのところが人を惑わすところなのかもしれないが、ちゃんとした宗教にはある種の真理に到達しているところがあるのではないかと考える。

人生いろいろ、考え方は人それぞれ。

そんな風に言われるきらいがある昨今、そうかなと思う。確かに、もって生まれた環境も能力も違うのだから、人生も考え方もいろいろあるかもしれない。しかし、そんな中でも正しい生き方、考え方はあるという気がしている。

殺生しない、人を裏切らない、人のものを盗まない…etc いろんな決まりはあるも、それらの趣旨には究極的な正しさというものがあるのではないだろうか。それが「義」なのではあるまいか。

何かで読んだことがある。「人生の真理はすでに人類は知っている。ただ実践できないだけなのだ」

正しいことを実践できないのは煎じ詰めると己に弱さ、未熟さではあるまいか。

以上

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大やけど

こんばんは、「心の護身術」を読むOSSです。

少し前から、予備校のある女生徒から無視されている。

いや、無視されているというのは言い過ぎかもしれない。しかし、なぜかその子は僕と目を合わせようとしない。校舎であっても知らん顔。こちらが声をかけても気づかないふり。僕の担当コマ、名簿に名前はあってもいつもいない。

別にその子と何かトラブルがあったわけではない。予備校では忙しくはあるが楽しく仕事させてもらっている。しかし、人間相性というものがある。おそらく僕とその子は相性が悪いのだろう。

そもそも僕はヤンキー系とは相性が悪い。

その子が不良で法に触れるようなことをしているというわけではない。ただ先日、オタク文化の対極はヤンキー文化だという意見の文章を読んだからそのように言っている。彼女のつきあいのある人間を見ていると、オタクよりヤンキーの方が好きに違いないと思える。

昔から不良とは仲が悪かった。

いろいろ理由はあるが生理的に受け付けないものがある。以心伝心という。ヤンキー系の人間も僕をそう思っているかもしれない。彼女が僕と距離を置くのはそういう理由ではないかと思っている。不快に思いつつも、伝える力のない自分の無力を寂しく思う。その子にとって僕の存在、僕が今まで培ってきたものは無意味であるとは思えない。僕にはその子の人生をよりよいものにする何かが必ずあると思う。しかし、無理強いは逆効果だろう。

ここ最近そんなことを考えていたからだろう、昨日は補じょ校で大やけどをしてしまった。

一年生の授業中、1人の女生徒が遅れて入ってきた。

見たことがないからおそらく夏休みの間に入学したのだろう。補じょ校はいつでも入学できる。生徒が遅れて入ってくること自体はよくあることなのであまり気にとめなかったが、その子は席に着くやいなや、ずーっと隣の子と私語をしている。何度か口頭で注意したがぜんぜん改まらない。そんなはずないがまるで聞こえていないようだった。

そう、その時僕は件の予備校の生徒を思い出していた。

つかつかと私語をしている生徒に近寄る。生徒は僕の方を見ることなく、まったく意にかえすことなく私語を続ける。僕は無理に生徒の視界に入り唇に指を当て静かにするようにとジェスチャーした。

すると、生徒は黙ったのだが、心底僕をさげすむような目で、

「人の視界に無理矢理は行ってくるな。キメェ。人が話よるのに割ってはいるな。ウセェ。マジ、おまえムカツク」

そういって、生徒は視線をそらした。

予想を超える反応に一瞬思考が停止した。不快な反応をするだろうことは予想したが、初対面の人間に、しかも先生と呼ばれる立場の人間にここまで言うというのは僕の理解の範疇を超えていた。

ひっぱたくか…、出て行かせようか…、反論するか…

しばし迷ったが、何も言わず引っ込んだ。どのような対応をしても伝わらないものを感じたからだ。

そのまま授業を続けたが、なかなか感情を抑え、平常心を保てなかった。足が震えたり、声がうわずったり、支離滅裂な話をしたりしてしまった。そうしながら思った。「キモい」、「ウザい」。言われたのは初めてだ。なかなかに殺傷力のある言葉だ。確かに無理に視界に入り、静かにするようなジェスチャーをしたのは、キモかったかもしれない…

その後も、生徒は断続的に私語をし、「カラオケ行きたいねぇ」という話をしていたと思ったら、なんと歌い出したりした。何度も口頭で注意をしたが、どこ吹く風だった。

出て行け!

何度か口に出そうになったが、ここは補じょ校、相手が何者なのかわからない。ヘタな対応は生徒のためにならないのではないかと躊躇した。それになんだかんだいいながらも、生徒は板書を写していた。

授業が終わり、次の授業をしていると、その生徒と先生達がもめていた。

どういうわけか生徒は授業に出ておらず、それはそれとして、生徒の鞄が教室にあるとかで授業中の教室に入ろうとして、先生に止められていた。一度は思いとどまったようだが、すぐにまた入ろうとし、先生達と押し問答。

その様子を見ていた僕はなぜか、生徒の沸点が近いことを感じた。そろそろだな…、そして案の定、生徒はキレた。

「いい加減にしろ! おまえら! マジムカツク」

そう言って先生達を振り払い、睨みつけ、授業中の教室に入り、教室内の先生と生徒達の驚愕の視線の中、自分の鞄を取ると、先生達の制止を無視し、さっさとキャンパス出て行った。

後からキャンパス長に僕の授業であったことを報告し、生徒の情報を教えてもらったところ、補じょ校生徒、200人いる中で現在ナンバーワンの問題児だという。そして通常そのような生徒の親は「先生なんとかうちの子の面倒を見てください」と懇願するものだが、あの生徒の親に限っては、親もあんな感じだという。だから今、どういうふうに方向付けようかと思案中だという。

家庭環境か、これまでの生き方か、何にせよ、病気だ。いや精神的な障害だな、これは。

生徒の沸点が低く、すぐに限界に達することがなぜわかったのか、感じたとしかいえないのだが、生徒はストレスに極端に弱いことは間違いないだろう。だからちょっと気に入らないことがあると沸点を超える。超えると暴発する。口が。生徒の使う「キモい」、「ウザい」にしっかりした中身、その言葉が相手に与えるであろう影響への計算はないようだ。よくわからない自分の内面をその言葉に託しているだけなのだろう。そのように考え至り、またそれを言われたのが自分だけじゃく他の先生も言われていたことを思うと少し楽になった。

しかし、なかなか切り替えられない。今も不快な気分を引きずっている。

その日のお昼休み。鬱々とした気分で何気なく本屋によると「心の護身術」という本が目についた。

傷つくのはいい。しかし、それを引きずることなく、そこから何かを学び、次に活かせるようになりたい。ならないといけない。11年前の出来事を今も引きずっている自分を何とかしないと。

以上

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最期の休みに映画館

こんばんは、トもダち(←検索対策)にちょっとウルっときたOSSです。

予定通り、今日は映画を見に来ました。

当初、職場のある街に見に行くつもりが、朝寝坊。しかし、結果としてそれがよかった。

家から車で20分くらいの所に映画館がある。一度も行ったことがなかったが、かなり充実した施設であると言うことは聞いていた。一時間以上かけていく映画館より、まずは身近な映画館を開拓すべきだと考えた。

最近、いろいろなお店や施設を開拓している。これまでは遊びらしい遊びをしてこなかった。今は遊ぶ人がいないというものこともあるが、そもそも僕は遊び自体にそれをほど価値をおいていない。だからお金を出して遊ぶと言うことにあまり興味がなかった。しかし、それはある意味建前で、要するに遊ぶお金を持っていなかったという面もある。本当にお金に余裕があるというのはいろんなことが変わるものだ。

そんなこんなでお昼の上映に間に合うように家を出た。

映画館に着くと、なるほど田舎町にそぐわない立派な施設だった。チケット売り場の人に勧められるままに会員カードを作り、会員になった。これから定期的にこの映画館で映画を見ようと思う。実際、そんな時間的余裕がないかもしれないが、月に一度くらい、映画を見ることを楽しみに、そのために仕事や勉強をがんばるのもいいだろう。

映画はおもしろかった。三時間弱くらいだが、集中して楽しめたのであっという間だった。トもダちの正体がまさかあいつだったとはね。二転三転して全部引っかかってしまった。

どんな映画でも非日常を楽しめる。ただ見ているだけだが、本でする体験とは違った体験ができる。それが視野を広げ、発想を柔軟にし、ひいては精神のバランスをとることになるのかもしれない。かつては映画が好きではなかった。見れば見たで楽しいが、見るまでに二時間あまり拘束されることを考えると躊躇してしまっていた。

でも、ある人が僕に映画のすばらしさを教えてくれた。

その人からは多くのことを学んだ。そういえば犬を飼っているのもその人の影響だったりする。冷静に考えると世話は大変なのかもしれないが、それ以上のものを得ている。頭で考えるだけではわからないこともある。

考えて行動するものよいが、行動して考えるのもいい。ブレるわけではない。ようはケースバイケースと言うことだ。

さて、明日から怒濤の12時間労働が始める。気合い入れて年末までしのぎますか。

以上

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ともだち

こんばんは、OSSです。

おくればせながら「20世紀少年」の第一章と第二章を見ました。

何となく郷愁を覚えてしまうのは僕が年代が近く、田舎育ちだからだろう。

明日は休みの最終日。

明日以降はまとまって休めるのは年末くらいになる。

映画館に行って第三章を見に行くのもいいな。

「ともだち」の存在が何となく笑える

以上

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講師控室に生息する弱な生き物

こんばんは、講師控え室で座敷童状態だったOSSです。

今日は予備校で個別指導のお仕事が2コマあった。

しかし、その2コマの配置が問題だったりした。

1コマ目は最初の時限。2コマ目は最終時限。その間、約9時間。さすがにスタッフの人から同情されたが、まぁ、司法試験予備校の自習室で一日12時間、毎日過ごしていた人間にとっては、なんてこと無い時間です。やらねばならないことはたくさんあるから暇をもてあますことはない。

お昼休みの時間にインターネットカフェを1つ開拓した。料金は少々高めだが、ウッディな内装。落ちついた雰囲気。きれいな店内。OSS的に星4つ。足を伸ばせば他にもネカフェはいくつもある。追々開拓するが、さしあたって予備校に一番近いところを開拓したので台風なので帰れないときは宿泊候補となる。

泊まると言えば、カプセルホテルなるものが駅周辺にはいくつもある模様。前々からその名は聞いたことがあるが、はたしてカプセルホテルとはいかなるものなのか、泊まったことがないのでよくわからない。昔からもっているOSS的イメージでは、蜂の巣みたいな穴を1つあてがわれ、その中に入って寝るというものだが、それで正しいのだろうか。でも、それでは本当に虫みたいではないか。値段的にはネカフェより高いのだから、ネカフェより待遇が悪いとは考えられないのだが、まぁ、これもいずれ体験してみたいと思う。

そんなこんなで、最終コマを無難にこなし帰宅中、バスの中で気分が悪くなりそうだった。小さい頃に感じた車酔いの感覚。これはまたぞろ体調を崩す前触れではなかろうか。最近は仕事が忙しくなかったものだから気のゆるみもあるのだろうが、弱くなったものだ。今年はインフルも流行るだろうから、このままでは感染は免れないかもしれないな。

以上

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